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過去の加害者達への殺意をどうにかしたい

回答数回答 1
有り難し有り難し 26

前回前々回への回答ありがとうございました。

あまり間を置かずの質問申し訳ありません。
お手隙の際にお答えを頂けたら幸いです。

悩みはタイトルの通りです。

不幸自慢のつもりはありませんが
私は幼い頃から今に至るまで
他者に傷つけられることが多々ありました。
その為、前回前々回に書きましたように
フラッシュバックにずっと悩んでおります。

前回前々回に頂いた回答のお陰で
フラッシュバックについて
少しずつ好転してきたのですが
今度はそのフラッシュバックが収まったあとに
思い出してしまった過去の加害者達へ
殺意が沸々と湧き上がってきます。

正直に言いますと
今の私の現状は良いものではありません
また、未来に対しての希望もなくしています
夢も消えてしまいました。

けれど私がこうなった原因の人達は
普通に生きているんだろうなと思うと
その人達、若しくはその人達の大切な存在を
現実的な方法でもオカルト的な方法でも
どんな方法でも良いので殺したいと思い
それらについて調べ
そして我にかえることを繰り返しています。

今迄はそんなことをして
自分の人生を棒に振るなんて馬鹿らしい
人を殺したら地獄行きだ。
そう思って衝動を振り払っていたのですが
こんな人生どうなってもいい
今も地獄みたいなものじゃないか
物理的に行うと犯罪になるけど
生霊とか呪い代行とかのオカルト的な方法なら犯罪にはならないな
若しくは自殺に追い込む方法はないだろうか
なんてそんな考えが徐々に強くなってきています。

この殺意をどうにかしたいです。

2024年3月20日 0:25

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

内なるメンドクサ案件からの安全な距離感をキープ

前回と前々回の質問も読ませていただきました。
難しく考えなくて大丈夫です。ちゃんとした解決策に出会っていないだけです。
より高い価値を考えて、より心が豊かになって有意義な人生を送れる方がネガティブ怨念人生を歩むよりは楽で健全です。
過去に嫌なことをしてきたそのイカれた連中はその時点で餓鬼畜生地獄界心理に棲息する人間ですから相手にするだけ人間性の程度も同じになってしまいますので、動物のマウンティング、植物のアレロパシーと同じで、自分が自分のテリトリーを守るのに必死なだけ。相手は別に貴女でなくても良かったのです。その連中でなくても過去に自分が優位性を示したくて周りのお邪魔な人間を排除したがっていた人なども思い出してみてください。加害者には加害・危害行為という意識すらない!…のです。沸騰し続ける壊れたポットに近づけば火傷してしまうように、たまたま他害行為の盛んな人の近くに運悪く出くわしてしまっただけだと思いましょう。
世の中見渡してみてください。どこの業界も器でない輩がトップの座を握って離さない。あのあさましさ。尊敬されない人間こそが尊敬されないから別の形で上に立とうとするだけなのですよ。そういう道理を知って、悲しい連中には道理が通じませんので相手にしないことです。おおよそ、保身とコンプレックスといやらしいマウント行為で自分の優位性を保っているだけです。そんな奴らに復讐しようとすれば、あなたも同じ毒々しい行為に身を染めることになりましょう。
さて、フラッシュバックの治し方について。
あなたがフラッシュバックの際に行っている行為の本質を客観的に知りましょう。
おおよそ、今目の前にいない幻の相手に対して自分があの時こうしたかった、こうするべきだった、許せない、自分を傷つけられた云々ということをずっとやっているだけではないでしょうか。
過去のことはどうにもならないのに「何か」おもしろくないことがあった。
その面白くないことにちゃんと向き合うと「自分が」「私が」という自分意識が災いしていることに気づけるでしょう。相手はあなたに対してどうこうしたというより、自分が自分の都合で欲望に任せてその行為を行っただけ。そこにあなたも過剰にかかわらないよう安全な距離感を保つことをお勧めします。他人のツイッター、Xの呟きがどうでもいいように、あなた自身の呟き、リポストからも距離を置く!…のです。

2024年3月20日 3:03
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

頂いた回答を読んで色々と腑に落ち
これまで延々と考えていた諸々への思い
あの人等への殺意が少し落ち着きました。
フラッシュバックについての
幻の相手に対しての云々も仰るとおりのことをしていたので回答を読んでそれに気付き
ハッとしました。
ちゃんと向き合って
距離を置けるように頑張ってみます。

この度はありがとうございました。
重ねてお礼申し上げます。

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