最低な過去の自分
こんにちは。はじめまして。
お忙しい中お時間を割いてくださり本当にありがとうございます。おこがましいですが相談させてください。
私は小学生の時にいじめをしていました。小2の時から私は中心人物の1人として暴力を振るったり、本当に酷い言葉を言ったり最低なことばかりしていました。
いじめられていた2人は登校できなくなり、学校をやめてしまいました。
中3の時謝罪の手紙を書き、先生を通して渡してもらいましたが返事はありませんでした。許しは乞うていません。しかし手紙は自己満足でしかなかったのではないかと後悔しています。
その方たちの可能性を奪い、心身を傷つけ、追い込んでしまったことに本当に謝罪と後悔の気持ちでいっぱいです。しかもそれなのに自分は学校に残り登校していることが申し訳なく、消えたいです。
私は幼稚園の時からずっと人の気持ちを考えられない、と親や先生から叱られており、直す努力をしていました。でも考えるより先に手や言葉が出てしまい、そのことを毎晩反省していました。
今はこれ以上誰かを傷つけないよう、細心の注意を払って生活しているつもりです。本当に優しいよねと言ってもらえることも多いです。でも本当はそんなことないのに、とその度に罪悪感で死にたくなります。
中学ではクラスや部活、担任から2年半ほどいじめられました。自分がしたようなことに比べれば遥かにましでした。
それでも、昔自分の行動の酷さを身をもって実感しました。日々増す自分がいじめられる苦しみと、自分がしたことへの謝罪と後悔が限界に達し、自殺未遂をしてしまいました。
今はいじめも大分落ち着きました。こんな自分も愛してくれる両親や友達が本当にありがたいです。でもこんな自分で心底申し訳ないです。
いじめられたのは因果応報、自業自得なので、いじめてきた人たちのことを恨んだりはしていませんが、ふとした瞬間にフラッシュバックして怖いし、その度に過去への後悔が押し寄せてきます。1度いじめをした人はずっとそれを背負って生きなければならず、未来も真っ暗だと感じ、死にたくなります。でも悲しんでくれる人がいるので生きています。
私はこれからどうすれば良いですか?
自分だけ助けを求め、まとまりのないことをたくさん書いてしまい申し訳ありません。
本当に辛すぎて相談させていただきました。どうか回答して頂けるとありがたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご相談読ませていただきました。
あなたの辛い気持ちや心情を受け止めさせていただきます。過去にいじめをしたことやいじめられた経験による苦しみ、そしてその後に抱く後悔や自責の念、それらすべてがあなたを今の状況に導いています。
まず、あなたが過去に行った行動やその後の経験から学び取り、成長しようとしている姿勢には称賛に値します。他者の気持ちを大切に考え、過去の行いへの反省と謝罪の気持ちを持ち続けることは、大きな前進です。
人間は誰しも過ちを犯すことがあります。その過ちや過去の行動に負う部分が今の自分に影響を与えていることは自然なことです。しかし、あなたはその過ちに懺悔し、新たな道を模索し、今日も誠実に生きようとしているのです。
今後の行動について、未来への希望を持つためにも、次のような点に留意してみてください。まずは、自分自身と正直に向き合うことが重要です。過去の自分を許し、自分自身に対する愛と受容を育んでいくことが、内なる癒しから始まる一歩と言えます。
また、他者との関わりで相手の気持ちを尊重し、思いやりを持って接することが大切です。自身の苦しい経験を活かし、他人にも優しさを分け与えることで、新たなつながりや成長の場を見出すことができるでしょう。
過去の過ちや苦しさに囚われず、新たな自己理解と成長を重ねていく過程で、心に光と希望を見出していけるよう応援しています。辛い気持ちを抱えることはありますが、いつも前に進み続ける勇気を持ってください。あなたは強く、成長を遂げる可能性を秘めています。あなたを応援します。合掌
質問者からのお礼
宮本龍太様
ご回答本当にありがとうございます。
いただいたお言葉、どれも心に染み涙が溢れました…
これからは過去にとらわれて塞ぎ込むのではなく、前を向いて生きたいと思います。また、しっかり過去の行いを反省し、他の人の痛みに気づき優しくできるような人になれるよう頑張ります。そのためにもまずは自分を好きになれるよう時間をかけて自分自身そして過去と向き合いたいと思います。
どのようにすれば感謝の気持ちをお伝えできるか考えるのに時間がかかってしまい、お返事が遅くなってしまいすみません。
本当にありがとうございました。
これから頑張って生きます。
はな
宮本龍太様からいただいたお言葉を何度も読み返しています。辛くて仕方が無くなった時、このお言葉が生きる糧となっています。ありがとうございます。
今日も読んでいます。ありがとうございます。