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息子の生き方が不安です。

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おはようございます。
大学2年になる息子の生き方が不安です。
中学ではサッカー部の部長、高校も楽しんでいたのに、部活の人間関係につまずき、
大学受験に失敗してから、息子が心を閉ざして、必要以外外出しなくなりました。
大学は滑り止めに行きました。後期を休んで仮面浪人(ほぼ勉強せず)しましたが、落ちたようです。呆れてます。
今いるところで頑張って欲しいです。

友達もいないようで、春休みもバイト(たまにしかいかない)と教習所以外でかけません。

小さい頃は友達もたくさんいて人気者だったのに今は暗く全く楽しくなさそうでこのままでは、卒業就職すらできなさそうで心配です。

せめて、1人でも映画を見に行ったり美味しいものを食べに行って欲しいです。
もう何度も言い合って喧嘩もしてます。
疲れました。

高校生の娘は文武両道友達、彼氏もいてとても楽しそうです。
娘も兄に呆れています。

見守るしかないのでしょうか。

ただ普通に楽しんで欲しい。そんな簡単な思いすら叶わないのが悲しいです。
甲子園や、駅伝に出て欲しい、サークルの代表になってほしいとかではないです。

楽しんでる学生を見るだけで最近は胸が痛いです。息子にはプレッシャーをかけないよう、そっとしておいたり、言い合ったり
色々試してみたけれど、何も変わりません。

主人は息子を信じて見守るといっていて、息子も主人のことは尊敬しているようです。でも、毎日だらしない生活を見てる私と娘は息子の存在すら鬱陶しくなっています。

親として最低なのか甘いのかもわかりません。

2024年3月27日 7:30

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

親が何と言っても態度や表情で残念&否定しているから子は苦しい

一つの失敗に関して、きちんと処理・浄化・より良い方向に向かうためのアイデアが見いだせていないだけではないでしょうか。

男の子であれば、おおよそ、強さ、力、スキル、対応能力、柔軟性、解決策を求めているはずでしょうから、そういう価値を教えてあげることでしょう。
親子でご一緒にスピーカーフォンなどお電話いただければ、お力になれることもあるかもしれませんが、合う合わないはあると思いますので、いいアドバイザーがみつかればお子さんが新しい一歩を踏み出すためのきっかけを与えてあげることもできるとおもいます。

さて、親御さんとしてはお子さんに対してどうなってほしいのか。
それが一番問題だと思います。
そこが正しく伝わっていない事。
あるいはお子さんとしては親の期待に潰されてしまっている面、申し訳ないと思っている面もあるのではないかとも思います。
そういう許し、赦し、ゆるめることが親子間で足りていないのかもしれません。
こどもというものは親の期待に応えようとするものです。
あなたが表情や態度でダメ出しをしている・許していない・優しさが足りないのではないでしょうか。親が主人公過ぎるから子供が自立できない位置に落とし込まれる。
親というものはいつの間にか子供にプレッシャーを与えてしまっているものです。
そういう気持ち、子供を愛する気持ち、子供の尊厳を尊重する気持ちが先にあるべきだと思いますが、あなたはあなたが主役になって困っている気配があるからお子さんの真実の声に耳を傾けられないのでは?完全受け入れ容赦の態度がないとお子さんだってお母さんに話せないものです。
ここでもご自分の書かれた文章をちょっと見直してください。
これを息子さんが観たら悲しむことをいっぱい書いてますよ?
「大学受験に失敗した」👉ああ、やっぱり今も失敗だと思ってるわ…
「妹も呆れています」👉ああ、妹と比較されてるわ。兄のプライドズタズタ。
「仮面浪人 落ちた 呆れます」👉ああ、母親は俺のことホントに低評価ばっかりだな。それが一番やる気無くすってわかってないわ。

人はおよそ会話の際に、相手を優先せずに自分の要求・いいたいこと・先に思い込んでいることを優先する所がある。あなたにその自覚はないかもしれませんが、第三者として文を拝見いたしましたところ、これは息子さんも心の行き場がなくて可哀そうだと感じました。

2024年3月27日 8:44
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

早速のお返事ありがとございます。
私も親としておっしゃる通りだと思います。本当に。
受験に失敗は、家族は思っておらず本人が思ってることで、仮面浪人は息子が本来なら受かってたはずと思い込んで勉強せずに挑みました。絶対に受かるから今のところを休学するといいだし、それを親が必死でとめ、全部休んでいいからということで納得させました。こんなチャレンジ認める親も甘いなと感じております。確かに今回の文章だけだと、私が追い込んでいるただの毒親です。でも、息子の行動も目に余るものだったのです。といってもやはり、私も追い込んでるのは間違い無いです。
変われるよう努力します。
貴重なご意見ありがとうございます。
私こそ成長しなきゃです。
家族以外で相談できないので本当に有難うございました。

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