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仏教は宗派争いがないのはなぜ

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いつもお世話になってます。実は友人にクリスチャンの人がいるのですが、カトリック、プロテスタントも仲が悪いし、プロテスタント内でも色々な教派がありお互いに仲が悪いそうです。それに比べ、仏教は宗派に別れていても昔はともかく現在は仲がよくいい関係みたいに見える、うらやましいと言ってました。そこで質問なのですが宗派間でお話し合いとか協定?とかされているのでしょうか?

2024年4月6日 7:02

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

つながりを深め合っています

拝読させて頂きました。
ご質問ありがとうございます。詳細なことは研究者の方々や仏教学者の方でなければその変遷はわからないですが、以前は宗派ごとの争いはあったと思います。
中世では各寺院に僧兵がいました、当然ながら武装してそれぞれの教団同士で争いをしていました。
そして戦国時代には豪族や大名を超える様な巨大組織となって権力を振るう様にもなりました。時の権力者の織田信長とも争いを起こして何十年も戦争をしていました。その後豊臣秀吉の天下統一後そして徳川家康の江戸幕府が開かれてから宗教団体の統制が図られる様になり武力による争いはなくなりました。
その後明治政府による廃仏毀釈によって多くの寺院が破壊されるなどの弾圧を受ける様になり、国家神道に追随するように国家に忠誠を尽くすようになりました。
敗戦によって国家神道は解体されて国の宗教政策は政教分離となりました。そうした中で各教団は比較的連携を図っていく様になっていきます。
当然ながら宗派や教団が生き残りを図るために組織的に連携していくことになります。或いは仏教や各宗教の教えを広めていく為にも様々な活動があります。新宗教との関係も最近になって深くなりつつあります。
現在でも全日本仏教会や「同和問題」に取り組む宗教教団連帯会議や新日本宗教団体連合会や世界宗教者平和会議への参加を通して多くの仏教教団も連携し合い協力ながら様々な平和的な活動を続けています。或いは災害の発生に対して各教団は連携しながら救済活動を実施していくこととなります。
おそらく今後もこの様な形で多くの教団が連携しながら平和祈念や万人救済の為に人的交流を図りつながりを深め合っていくことになると思います。
ありがとうございます。因みに仏教教団も神道教団もキリスト教教団も新宗教教団も様々な交流を深め合いながら協力し社会や世界の様々な問題に向き合っていこうとしております。なかなか現実世界は大変ですけども決して諦めずに誰しもが安心して生きることできます様に平和に共存していくことできます様にこれからも共に理解を深め合って歩んでいきたいと思います。至心合掌

2024年4月7日 9:29
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

詳しいお答えありがとうございます。平和や理想のために宗派を越えて協力する、素晴らしいです。友人はこういうところキリスト教会はダメだ、仲が悪いどころではなく、罵りあって掴み合いの一歩手前までなると言ってました。仏教のほうが人間出来てます。一応友人に言っておきますね。ありがとうございます。

追記の回答、誠にありがとうございます。仏教が一番平和的な宗教だと私は思っています。宗教対立が無くなれば現世の半分くらいは戦争、争いが無くなる気がします。どの宗教でも平和的な考えの人たちがいます。その方たちがそのように頑張っておられるのですね。平和とご活躍をお祈りしたいです。

「仏教全般」問答一覧

お金なんて要らんと貫いた心

神仏への信仰心がとても篤かった医療人のお話です。 その人は幼き時に難病で視力を失い、家督を譲って琵琶法師と鍼師のどちらかを選ぶときに医の道を選んだそうです。親には「二度と家の敷居をまたぐでないぞ」と突き出され、入門先の師匠は「素足に埃が付いたら掃除やり直し」覚えも良くなく、ある日鍼を持たせてもらった時には、患者さんが痛さで悲鳴と怒号のクレーム続出…ことごとく破門。 後がなく生死をかけ岩屋に篭もって断食修行、無我の境地で空腹に転び手にした松葉(鍼のような)と、くるまった落葉を元に、のちの管鍼法を発案。「これなら患者さんも痛がらずに下手な自分でも施せる」心の清らかな和一さん、あれよあれよと出世し果ては将軍の病まで治癒。「よくやった和一よ、褒美を与える。何でも申せ」と将軍、ところが見返りを求めなかった和一先生、儲けは要らんと一旦断るも、当時の上下関係では言語道断。お互いにプライドがゆるさず譲り合わなかった末(流石の将軍もこれで諦めるであろうと、盲目の自分に)「ひとつ、目が欲しゅうございます」と頓智を効かせたところ「わかった」と将軍は引き下がり、しばらくして江戸の一ツ目という地名の土地に、「盲目と老体が遠方まで行かずともお参りできるように」と江ノ島の弁財天様を勧請、老いても尚熱心に参詣を怠らぬ和一検校を自分のケアスタッフとして「そばに置いておきたかった」のもあり、治療院のみならず弟子の養成所と神社まで併設、そして今も残るそうです ハンデがあっても自立して生きていける術を磨く、世界初の視覚障害者用職業養成機関は、実は江戸時代に「盲目となり家を出され、師弟関係も破門され…住むところもお金もなく、仕事のセンスにも恵まれず…只管に神仏に手を合わせ続けた」信仰篤き偉人の苦労の先に日本で生まれた逸話、私は大好きです! 話が長くなりましたが、私も勉強をし指圧師となって施術をしたいと毎日仕事に明け暮れています。元ヤン僧侶さんは「目標が半端ねぇ。もっと効率的にガッツリ考えろ」と喝を入れてくださいました(笑)息を吸うように朝日が昇れば仕事が入ってきて、6月は休みなしで母の日から連勤達成更新中です。今の仕事も好きですが、やっぱり指圧を専門学校で学びたい。 先日お寺でふと仏様から「前へ。只管に進みなさい」と声が聴こえた氣が…私の指圧を喜んでくれた母の為にも入学が叶うようエールをいただけますか。

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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