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人間関係のトラウマからの決別

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有り難し有り難し 7

過去の子どもの幼稚園時代のママ友達とのトラブルでトラウマが消えません。 
色々な行き違いがあり、信頼していた人に裏切られ孤立する体験をしました。

不本意ではありますが、謝罪し、お互い子どものためにも引きずらないとなり、表面上は大人な関係を築いていますが、その後5年経過した今でも1人1人の方とは関われますが、学校行事で集団で楽しそうに過ごすママグループに遭遇する度に、見下されているように感じたり、1人でいる私が情けなくなったりで、子どもを見たいのに、心がざわついて落ち込んでしまいます。

新年度始まりましたが、今からまた学校行事で会うかもと思うだけで気が重く、正直参加したくないです。
子どものためにはいい加減強くなりたいです。 どうすれば、過去のトラウマから決別出来るでしょうか?

2024年4月9日 14:58

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

反応しない練習をやっていきましょう

拝読させていただきました。

相手が動向を意識しているうちはトラウマから離れることはありません。

いろいろネットや書籍や心療内科などでも答えはもらえるが、とらりゅうさんが納得したものの「でもな...」などと感じるのではないでしょうか。

動かないものであれば、こちらから移動すれば見えない所に移動できます。
しかし、人は動きます。なにが動いているのか?行動ではないのです。心が動いているのです。
他人の心は、常々 動いているからこそ捉えることも難しく、捉え所も難しいのです。
そうならば、「反応しない心」に時間を費やすことのほうが手っ取り早いのです。
相手の動向を伺っていては、いつまでも変化することはないのです。相手が実際に子どもの成長などで、親同士の関係性が薄れたり離れたりしたとしても、また子どもの関係に限らず、同じような境遇にでくわしたときには、同じように気持ちになるのです。

人の感情は、仏教では「五蘊(ごうん)」より生じていると説きます。
五蘊を簡易にしますと
①眼で見るもの
②耳で聴くもの
③鼻で匂うもの
④舌で味わうもの
⑤身体で感じるもの
この五つの五感を感じる境界線にあるのが五蘊である「色・受・想・行・識」です。

釈迦の弟子に阿難陀という方がいました。それはとてもイケメンだったと説かれています。その阿難陀が「托鉢(修行)」に行くのですが、とても心苦しくなったのです。
なぜか?阿難陀は、托鉢に出かけるものの多くの女性から誘いを受けることで苦悩を感じるようになったのです。
そこで阿難陀は釈迦に相談しました。
「女性が言い寄ってくるので修行の邪魔になるのです。」
そうすると釈迦は阿難陀にこのように言いました。
「見るな!!聞くな!!」

釈迦が阿難陀に言った説法は、これだけです。

見るから心が動く。聞くから心が動く。
一度、染み込んだシミが簡単に取れないように、付着してしまったトラウマを取るにも簡単ではありません。
ここからが「修行なんだ」と思える とらりゅうさんが感じるならば、あとは「反応しない練習」を積んでいくのみとなります。
頭の中に、トラウマが浮かんだら、反応しないと自身に言い聞かせてあげてください。やさしく、何度もです。
それを繰り返していくのも見えない心を鍛錬させる練習なのです。
練習は、プラスもマイナスも共に成果を上げていきます。

2024年4月9日 23:01
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有り難し
おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...
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質問者からのお礼

法源さま
回答ありがとうございます。

おっしゃる通り、色んなアドバイスを受けたり、時間が解決するよと言われたりしましたが、結局行事の度に気持ちが何も落ち着かないままでした。

反応しない練習

私が1番してこなかった事だと思います。
周りとついつい比較して、羨ましくもないのに羨ましく思ったり、相手の気持ちを勝手に想像して1人で疲れたり。

でも、ここ最近はその人達と離れたからこそ
お話できたり、優しい方に癒やされたりする事もありました。

今、私がすべき修行を分かりやすく説いて下さりありがとうございました。

「ダイエット・過食・痩せたい」問答一覧

いじめとペット虐待をしてしまった

胸糞悪いです。ごめんなさい 私は高校生で、三年生になります。 まずは小学生の頃、人をいじめてしまいました。それだけじゃなく、いとこのものや学校のものを盗み最低なことまでしました。そしてハムスターを飼いました ハムスターはとても可愛がりあかちゃんも生まれました。でも私は赤ちゃんを殺してしまいました。赤ちゃんをトイレの下に挟む?などをしてしまいました。死んだ後は何故か泣いてしまいました。私が殺したのにも関わらず自分がキモいです。公園の木の下に埋めました。手も合わせました 小4、小5から落ち着きいじめもしなくなりました、そして私は昔から人と話すのが苦手でした。もちろん、いじめられました因果応報です。当然です。 そして中学生になりペットが欲しいと親に言いました。親は必死にペットを探してくれました。そしてやっとお迎えできたんです、名前は私が決めました でも私はいじめてしまいました。 水をかけたり飲ませなかったりしました。 そして特に理由もなく何度も棒で殴ったり何度も首を掴み投げたりもしましたずっと犬はキャンキャン泣いてました、でも辞めませんでした。殴ってる時はずっと心臓がバクバクしてたにも関わらずやってしまいました。私はクズです。私より弱く無抵抗な犬にそんなことをするなんて最低です生きてる価値なんてないです。 親はこんなことしてたなんて知りません そして犬は別の家に行きました そして亀を迎え入れました 可愛いです。すごく可愛かったのに その時私は余裕がなかったんだと思います 餌をあげると逃げていくのが気に食わなくていじめてしまいました。亀が懐かないなんて当たり前です。わかってます。餌も大量にあげてしまいました。途中で私はまたやってしまったと思い辞めました。今はその亀のことを大切にしてます。 そのいじめや動物を大事にできなかったことが苦しいです。当たり前です 私には生きてる価値なんてありません ずっと苦しいです、寝る時もずっとそのことを考えてしまいます。すごくくるしいです。好きなゲームをしててもそのことばかり考えてしまいます。ペットは二度と飼いません。クズでごめんなさい。 このことをお仏壇で謝りました でもそれは私が楽になりたいだけ 罪からは逃れられません ごめんなさい。しにたいです。 自分勝手でごめんなさい。苦しいです 自分でもどうしたらいいか分からないんです。

有り難し有り難し 4
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暴食がやめられません

仕事帰りに菓子を暴食してしまいます。 明らかに身体を壊す量で、お腹を下すことも何度もあります。 毎月2万円近く食べています。 それでも、仕事でストレスを感じると食べてしまいます。 ストレスを発散する別の方法も試しましたが、そうして自分を抑制することがまたストレスになり、やはりドカ食いに逃げてしまいます。 ドカ食いをしたあとは疲労感と自己嫌悪に襲われ、優しい妻に対してそっけない態度をとってしまい、さらに自己嫌悪に陥ります。 それでもやはり食べてしまうのです。こうして思い返しているときは、自分から見ても別人としか思えません。 お酒は一切飲まないのですが、アルコール依存の人の話を読むとまったく自分と同じだと戦慄します。 これまで何度か食べない時期もあったのですが、結局食べるようになってしまったので 「どうせまた挫折するんだ」と思うと一念発起する気も起きなくなってしまいました。 挫折する度に自己嫌悪が大きくなっていくのです。 ストレスの原因である仕事をなんとかすればいいのではと思われるでしょうが、そこは難しい問題があり解決はできそうにありません。 それに、ストレスを感じたら食べる、という癖を治さないと今後環境が変わっても同じだと思うのです。 こんな状態の私に助言のしようがないと思いますが、食欲などの快楽、あるいはストレスに対する向き合い方で何か新しい気づきになるお話を頂けたらと思い投稿致しました。

有り難し有り難し 32
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容姿への執着を小さくしたい

私は摂食障害を患っていて、生活のほとんど全てが食べることに振り回されている感覚があります。 一人では抱えきれず、大学のカウンセラーに相談したり、病院では先生に話を聞いてもらったり、親や知り合い、友人など兎に角さまざまな方に自分の悩みを相談しました。 その中でよく聞くのが自己肯定感にまつわるものです。「もっと自分を大切にして」とか「自分に優しい言葉をかけてあげて」、「自分を褒めてあげて」とか…でもそれがとても難しいし、やり方もよく分かりません。 私は容姿に自信がない為、痩せてないと…と必要以上に痩せている体型にこだわってしまっていて、食事を制限し、制限しすぎてガリガリになって、飢餓状態になったのか過食してしまい、それで大後悔してまた厳しく制限、過食…という悪循環から抜け出せません。私は吐くことが大嫌いで吐けないので、急激に太って(といっても低体重のままですが)急激に痩せるという感じです。容姿がすべてではないのも分かっていますが、容姿の良い人ばかり優遇され、嫌な経験をしたことがとても多く、どうしても「やっぱり見た目なんでしょ」とひねくれた見方をしてしまいます。 だからこそ「痩せてから可愛くなった」、「綺麗になった」って言われて本当に嬉しかったんです。結果として痩せすぎていたことも分かっていました。だけど太る恐怖は凄まじく、太ったら後悔で何かをせずにはいられませんでした。 その他にも、顔への自信のなさがあり、マスクを外すことが本当に怖いです。マスクをしていると容姿を褒められることが多く、その分、「マスク外したら不細工だと思われるんだろうな」、「マスク外したら細いだけで大したことないって思われるんだろうな」…とネガティブなことばかり考えてしまいます。もちろんそんなこと面と向かって言う人はいませんが、それが本当に辛いです。マスクを外さないと不自然な場面でも外せません。 容姿に囚われてばかりの人生で辛いです。なんでこんな人間になってしまったのだろうと自分でも思います。 もう何をどうすれば良いのか分かりません。いっそ死んでしまった方が楽ですし、何のために生きてるのか分かりません。しかし恐怖で死ねません。 容姿への執着を手放す方法はありますか?なにかアドバイスや考えかたを教えてください。お願いします。

有り難し有り難し 15
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