生き切る、生き抜く
昨年癌と診断され治療途中ですが、今月復職しました。程無く、他部署の方が、鬱で自殺をしたと知りました。
限りある命のなかで、生き切って欲しかったと思いました。
しかし私が、病気の再発リスクを抱え、死に対する不安があるため、自ら命を絶つことが勿体ないと思うからかもしれません。私はまだまだ生きたいです。
自殺した方にとっては、十分生き切ったのかもしれません。そう考えると、よく頑張ってこられたと思うべきでしょうか。
自分が納得した最期ならよいのか。この文章では生き「切る」と書きましたが、生き「抜く」が適切なのでしょうか。
まとまりがない文章ですが、皆様のお考えを拝読したいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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希望の光は必ずある。光は輝く
みう 様
そうですね。生ききる、生き抜く、どちらも同じような感じで、そして希望の光は必ずある。光は輝く。
と私も皆さんに伝えたいですね。
あなたがそう思って、病と闘ないながら、あるいは受け入れながら、精一杯生きていこうとする姿勢は素晴らしいものがあります。
ところが、鬱に罹ってしまった人は、ネガティブな思考が脳内で繰り返し繰り返し起こっていきます。鬱になりたくてなったんじゃないし、鬱がその人のせいでもありません。でも自分を責める思考がぐるぐる回るのです。
少しでもポジティブとまで言わないまでも、楽な考え方、安らぐ気持ちや癒しを得られれば、命を落とすということはないのでしょうけれどそこが難しいところです。
もし、みう様が生ききるあるいは生き抜くことで、優しさや思いやりを多くの人に向けることができて、希望の光りに包まれたいるような感じでいるとしたら、鬱のように辛い思いをしている人に少なからず影響を与えることがあるということを心に留めておいていただいて、これまで同様に生ききる・生き抜くを実践していただければ、私はよいと思います。
参考にしてください
一礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。確かに今日一日が大切ですね。あなたの経験、そのものがより良い人生になっていると思いますし、また無事で過ごされることをご祈念申し上げます。再礼
質問者からのお礼
釋 孝修さま、ご回答をくださりありがとうございました。
病気になり、1日無事に過ごせることの有り難さを痛感しています。
これからも日々も大切に生きていこうと思います。