さすがにもう幸せになりたい
不幸自慢のように思われてしまうかもしれません。けれど、どれだけ不幸であったか、不幸であるかということを書かせていただきます。
小学生のときに転校してから、今までずっとずっと、死にたい死にたいと思いながら生きてきました。
いいかげんに幸せになりたいです。
転校した初日に母に言った言葉は死にたいだったそうです。私は覚えていないのですが……
その日から学校にいても家にいてもしんどくて、生きていることが辛い、消えたいと思う毎日でした。
実際はしんどくないのに死にたいと言っているかというとそういうわけでもありません。
小学生の頃は人の目が怖かったです。場面かんもく症といって、学校関係の場面では声が出ずに話すことができませんでした。前を向くこともできず、首が痛くなるほど下を向いていました。
小学生の頃には父からの性的な暴力が何度かありました。今はもう一緒に暮らしてはいませんが、親子関係は続いています。ですが父親として認めることはないです。
中学生は不登校で、少しだけ通いましたが、授業をまともに受けられないし、下ネタが飛び交う荒れた環境でした。1人の子からブサイクだ、存在が気持ち悪いといじめられたこともあります。机をぶつけられたりもしました。
高校生の間は、転校してからの人生で一番穏やかなときでしたが、やはりブサイクだ気持ち悪いと言ってくる人はいました。辛いことが重なった結果うつ病になりました。
こうやって書いていると、あまりしんどくなさそうだなぁと思われるかもしれません。
ですが本当に心がしんどくて、生きることが苦しいんです。
最近は支えてくれていた母もしんどくなってきてしまって、ケンカが増えました。私が責任を押し付けて、母のことを尊重できていません。
私の命はなぜあるのだろう、苦しむためにあるのかなと感じます。
変な話、嫌に思われるかもしれないのですが、小さい頃に悪いものに取り憑かれたことがあるみたいなんです。有名な厄除けのお寺でよくしてもらいました。
その悪いもののせいで辛い人生なのかなって、悪いものに責任を押し付けたくなります。
生きることは苦しみであると仏教は説いていますよね。
幸せになれるって言って欲しい気持ちもあります。
長年苦しんだから、幸せになれますか?
人生に希望が見えなくて、希望を見せて欲しいって思ってしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心の病が気持ちを覆っている。晴れていくように取り払っていこう
今までの質問も読ませてもらいました。生きてこられた環境に、休まる安心の場所が無かったように思います。
人は、必要とされ愛される温もりを感じながら、そこが安心できる場所だと実感できてこそ、周りを受け入れていけます。そうやって、身近な安心を広げていきます。例えば、家族や家庭、学校などね。そして、自分の気持ちを出せたり、想いを表現出来るようになって、人間関係を築き、生きる社会を広げていきます。
ですが、あなたの生きてこられた環境は、家庭にも学校にも安心が無くて、虐げられ、怖い場所だったように思います。不安な社会(学校)に出ていくのは、緊張や恐怖も大きかっただろうと思いますし、だから声も出ず鍵を閉めてしまったのでしょうね。家でも虐待を受け、ずっとひとりで耐えてきたのかと思うと、もう疲れて心が弱ってしまうわよね。死にたいと助けを求めていたんだよね。辛かったわね…。悲しくて、怖かったわよね。
心が弱っているときは、どうしても気持ちが下向きになりますが、心の病があなたの気持ちを覆ってしまっているから。少しずつ晴れていくように、取り払っていきましょう。
ハスノハにも、いつでも繋がって。こうして一緒に話をしましょう。
あなたの味方よ。幸せになっていきましょう。
あなたの手を、ちゃんと繋いでいますからね。
脳・神経のぎっくり腰
自殺者の9割は「うつ」等を患っていると言われます。
「死にたい」の直接的な原因は、不幸ではなく脳・神経の体調不良によるものではないでしょうか。
どんなに幸せな人生でも、ぎっくり腰になりやすい人はいます。
ぎっくり腰になったらまともに動けなかったり重い荷物を持てなかったりします。
あなたの場合は、脳・神経のぎっくり腰になりやすい体質だと考えてはどうでしょうか。
たとえば、あなたは江戸時代のお姫様が食べたこともないスイーツをコンビニで買えますから、人類史の中ではかなり幸せな方なのです。
しかし、脳・神経のぎっくり腰のせいで、明るい気分になれなかったり、ネガティブな想像をして悲観的になってしまうのかもしれません。
それは、たまたま脳・神経が弱い体質なだけで、人それぞれに弱い部分(故障しやすい部分)があるのです。
少年時代にスポーツを頑張りすぎて肘を痛めている人がいるように、あなたの脳・神経の弱さにお父さんからの虐待の影響があるでしょう。
あなたのせいではない、あなたは悪くはないのです。
ですが、肘が弱い人、脳・神経が弱い人、胃腸が弱い人など、その人のせいではなくても何らかの理由でそうなってしまったら、そのような自分の体質と付き合って生活しなければなりません。
そして、生きている限り誰にでも苦しみ(不満、解決すべき宿題)が毎分毎秒あります。
息を吸った人には息を吐きたいという苦しみが生じ、息を吐いた人には息を吸いたいという苦しみが生じる。
生き物から苦しみは無くならない。
瞬間ごとに苦しみの形が変わっていくだけ。
それが普通なので、不幸ではないのです。
「幸せになりたい」と言う人は、毎分毎秒の苦しみが無くならなければ不幸だと思っているのかもしれません。
呼吸をしなきゃ苦しいし、ぎっくり腰になったりするし、苦しみは尽きないけど、昔の貴族が見たこともない映画を見られる。
「幸せになりたい」を「すでに幸せ」に言い変えてみましょう。
幸せになれる。
イルカの目さん
お悩み拝見させていただきました。
これまで辛い過去を歩んでこられましたね。よく今日まで生きて来られました。
よく頑張ったね。
タイトルで書いてくださった
「さすがにもう幸せになりたい。」
に全てが込められているように感じます。
心の深いとこから出てきた本音の部分なのでしょう。
こちらの心にも沁みてくる重さがありました。
さすがにもう幸せになりたいのですよね。
イルカの目さんは、幸せになって良いのです。
絶対に幸せになれます。
ただ、いざ目の前に幸せが来たとしても今のままだとなれない可能性があります。
なぜでしょうか?
「自分が幸せになる事を許可できないからです。」
イルカの目さんは幸せになって良いのです。
幸せになる事を自分に許してあげてください。
そんなに切実に願っているのです。
あとは、受け取る事を許可してあげるだけ。
仏教だと、唯識と言う考え方があります。
全ては心が作っていると言う考え方です。
ですので、幸せになれますか?という質問には、
絶対になれる。と言い切れるのです。
幸せだと思えるようになれば、誰もが幸せになれるのです。
とは言っても、
うつ病の時は通常の思考をするのは難しい傾向にあります。
心が弱いわけではなくて、脳のバグなのです。
私も経験者ですので、痛いほど状況はわかります。
ある程度うつ状態が改善されると、少しだけ前向きに考えられるようになります。
今は、どうか、自分を許してあげて。
そして、頑張らなくていいから、
こうやって溜まった気持ちを誰かに吐き出してください。
イルカの目さんの心が少しでも軽くなり温かい光に包まれるようお祈りしております。
南無阿弥陀仏。合掌。
質問者からのお礼
みなさんありがとうございました。
お一人ずつお礼を書くことができず、ごめんなさい。まだ心のまとまりがないのです。しばらくはご回答いただいたものを読み返してみます。
しんどい気持ちを受け止めていただいたことでひとまず気持ちが和らぎました。
ありがとうございます。
あれから何ヶ月か経ちましたが、今は前より幸せです。当たり前と思っていたことにも幸せを感じられるようになってきました。
苦しいときに助けてくださった石森様、中田様、がんよじょうし様、本当にありがとうございました。