幼い頃から
幼い頃から「普通」が手に入りません。
両親は仲が悪く
幼い頃から母の顔色を伺い
学校ではイジメにあい不登校。
しかし、優しい主人に出会いようやく
幸せに思ったら、子どもは発達障がい。
それでも少しずつ受け入れる事が…と
思ったら、2人目も発達障がいの可能性が
出てきました。
幼い頃から、世間一般でいう「普通」が
目の前で消えていきます。
ちなみに親戚家族みんな縁が薄く
数年振りに会っても愚痴ばかりで
幸せそうな人がいないのです。
これは一種の呪いではとすら
思ってしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「普通」だから幸せなわけではい。
MIsanさん
お悩み拝見させていただきました。
私もこれまでずっと、MIsanさんと同じように思ってきました。なのでとっても良くお気持ちがわかります。
機能不全家族で14歳で家出、長年の摂食障害、学校にもろくに行かず学歴もなし。
子供ができたかと思ったら重度の鬱で入院。
ここには書けないことも沢山ありますが、私もずっと普通ではない人生でした。
ずっとそれを「恥ずかしいこと。」と思っておりました。ですので周りには隠していましたし、なるべく「普通」を装って生きてきました。
ですが、それをやっていた時は大変生き辛かったですね。
自分の人生を否定し、自分を否定し、自分の周りを否定して生きて来たのですから。
ある時から、なんでこんなに不幸が続くのだろう?と思い、「これが私の人生なのだ。」と受け入れ、とても楽になりました。そこから人生がどんどん好転していきました。
なかなか受け入れるのは難しいこともわかっています。
誰かのせいにしたり、何かのせいにして、ずっと恨み続けて生きていた方が楽だからです。
自分の人生を自分で受け入れてしまうと、誰のせいにも、何のせいにもできなくなります。
ですが、ここからがスタートです。
自分で責任を持つということは、「これからどうにでも出来る!」ということだからです。
普通を思い続けて、人生を呪い続けるもよし。自分だけのオリジナルの幸せを作っていくもよし。
自分で全て選べるようになります。
「普通」だから幸せなわけではい。どんな場所でも、幸せを感じる事ができる人が幸せなのです。
もし仮に普通の人生を手に入れたとしても、何かしらの不満を見つけて悩み続けるかもしれん。普通だと思っている人でも、病気になったり、困難に遭うこともあるでしょう。それを繰り返すのが人生です。そうであればずっと自分の人生を呪い続けることになります。
私の今の人生も普通ではないと思います。ですが、周りから見たら幸せに見えているのでは?と思います。
それは、私自身が今の環境に感謝し、幸せを自らの意思で作っていこうと、腹を決めているからかもしれません。
渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」という本があります。
とてもおすすめなので是非ご覧になってください。
MIsanさんの心が少しでも軽くなり温かい光に包まれるようお祈りしております。
南無阿弥陀仏。合掌。
ご質問拝見させて頂きました。こういってはなんですが、人は誰でも隣の芝生は青く見えるという言葉の通りだと思います。我家も普通がいいと思っておりますが、私の思う普通は手に入っておりません。それがある意味、普通なのです。そういう普通ではないのが普通にしていくことの大切さ。またあなたにとって普通でないことを受け入れていくというご縁、それを頂いているということ。そこが大切だと思います。与えられたご縁に生かされているのが私達です。普通はなくても幸せな部分は気づかないだけであるはずです。それを見つけるところから始めることが大切なのかもしれません。勝手なことを言いますが、私は少なくともそうしておりますので参考になれば幸いです。 合掌
質問者からのお礼
初めまして。
まずは質問、というより心の叫びを
聞いていただきありがとうございます。
日々、死にたい自分と家族を残して
死ねない自分との葛藤です。
正直、そうか、じゃあ仕方ない。と
現状を受け入れられる精神状態では
ありませんが、生活の中にある小さな幸せに目を向けていけるよう努力したいと
思います。
お返事、嬉しかったです。
ありがとうございました。