死んだ人の魂
死んだ人、亡くなった祖父や祖母はは私のことを忘れてしまうのでしょうか。
死んだ後のことを調べていると、
亡くなった人は最後、今まで過ごしてきた、家族のことや自分のことを忘れると書いてありました。
亡くなった祖父や祖母は私のことを見ていないのでしょうか。私の声は届いていないのでしょうか。私を忘れてしまうのでしょうか。それならば、凄く悲しく、私は死ぬのが怖いです。家族のことを忘れたくはありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いつもお見守りなさっています
拝読させて頂きました。
祖父母様や亡くなられた方々がどう思うのかとあなたはとても疑問に思っておられるのですね。あなたがそう思うのもわかる様に感じます。あなたのその思いを受け止めさせて頂きます。
祖父母様やお亡くなりになられた方々は仏様や神様がお導きなさって下さり、先に往かれた親しい方々やご先祖様があたたかくお迎えなさって下さいます。そして仏様や神様のもとにて一切の迷いも苦しみも痛みからも救われて、清らかに円満にご成仏なさっていかれます。そして生きるあなたやご縁のある方々を穏やかに優しくお見守りなさっていて下さいます。
ですからあなたはいつでもどこでもどんな状況の中にあったとしても祖父母様が優しくお見守りなさっていて下さるのです。あなたと祖父母様やご先祖様とのご縁はこれからもずっと永遠に続くのです。
まだまだ先のことでしょうけれども、いつの日かあなたが与えられた天寿を全うなさる時にも必ず仏様や神様があなたをお導き下さり、祖父母様やご先祖様があなたをあたたかくお迎えなさって下さいます。そして再会を喜び合い分かち合うでしょう。一切の迷いも苦しみからも救われて何の憂いもなく清らかに円満にご成仏なさっていくことができるのです。
どうか安心なさってあなたの人生を歩んでいって下さいね。
あなたがこれからも沢山の方々との愛情に恵まれて健やかに生き抜いていかれます様に、皆さんと一緒に心から幸せに生きていくことできます様に切に祖父母様やご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌
生者と死者の関係性はあります
人は亡くなられた後は精霊、みたま、霊魂として存続し続けていくのです。
死後もずっとそれは続いていくものです。
亡き人が死後も存続していくということは、あなたの中でその人が今後も関わり続けていくということです。
よく言う、幽霊は存在するのか?知ないのか論というのは、物質として存在するというより、精神世界、実際にこの世に存在していた時の作用があり続けていくということです。面影、消えぬ声、残り香、言葉、業績、足跡、行履(あんり)として、残って踏襲され続けていくのです。
人が亡くなって本当にそれっきりだったら、誰も泣きもしません。本人の死後も周りの人々に確かな影響を及ぼすからこそ、ちゃんと死後も法のハタラキとして存続し続けていくのです。
人が亡くなられて本当にその後、何もなくなってしまうというのであれば、誰にもお釈迦さまの存在は知られません、影響力もありません。仏教もありません。
そもそも生命とはものじゃァないのですからこそ、生きて、生きているうちに活動をして多くの人たちと関わりあったり、この世に小さな輝きを残すのです。
また、ものだって魂はありますから、あなたが小さいころ大事にしていたオモチャだって何年たっても忘れないでしょう。私の時代はゴールドライタンというオモチャがあって今も欲しくてしょうがありません。ああ、あの懐かしい、キンキラキンの。重たいカクカクの。今でもいとおしいと感じます。どこか行っちゃったけど…(´ー`)✨
だからこそ、人は生きている人たちも生きているうちに生きている人を大切に敬わなければならないのです。そして、亡くなられたとしても大切にお祀りをしなければならないのです。それをしないと人はやれ唯物主義だ、便利主義だ、共●主義だ、で人をモノのように扱ったり、人権人命が軽視されるようになるからです。
噛みや仏を敬うということは、そういう人の尊厳、命の尊さを敬うということです。そういう敬いの精神がこれっぽっちもない所には残念ながらそういう精神性が理解されることなく、関わり合いもなく、もののようにドライに扱われていくことは確かにあるでしょう。
あなたが生命やモノの大切さ、出来事の尊さに気づけば、どんなものもコトも、永久に生き続けていくことができるのです。生きている人々も。そして亡くなられた人々も、ともに大切に敬ってください。