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大乗仏教とは悟りへの一方通行か?回答受付中

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「清く正しく生きてみんなで支え合い愛し合う。善行(カルマ・ヨガ)、叡智の探求(ギャーナ・ヨガ)、時には脳を休ませる(ラージャ・ヨガ)、神仏に助けを求める(バクティ・ヨガ)などのあらゆる手段で悟りに近付くことができる。悟りに至った人は永遠の安息を得て、悟りに失敗した人は来世でもっと悟りに近付き、地獄に落ちた人は刑期が終わると来世でもっと悟りに近付く」

これが大乗仏教ですか?

2024年6月30日 23:07

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自利利他円満の教えです。

拝読させていただきました。
まあ、仙人さんのおっしゃることが当たっていますよ。

仏教を大きく分けて上座部仏教(小乗仏教)と大乗仏教に分かれます。
日本にある仏教は大乗仏教とご存知のこと承知します。
釈迦はインドであり、その教えが北と南の経由で東へ東へと流伝されていきました。
日本に伝った経由は北経由の「北伝仏教」ともいい、南経由で流伝されたものは「南伝仏教(上座部)」となります。

南経由の南伝仏教である上座部仏教(小乗仏教)では、「灰身滅智(けしんめっち)」である自己だけ悟れば阿羅漢という聖者になり完成となります。
しかし、自己だけ悟っていては衆生を救済できない理論から、日本に伝わる北伝仏教である大乗仏教は、字の如く「大きな船にみんなを乗せて、みんなで苦しみのない世界に行こう」というのが大乗の根本理念である「利他」の実践こそが日本仏教の思想形態です。
他人様を救うことが自分のためとなることから、自利利他円満を目指す大乗仏教です。
さまざまな修法[ヨガ(瑜伽)、坐禅]などを共に行うことで、心を禅定に導くことや、法話などの聴聞者には仏の話しを聞くことで縁から目覚める声聞覚などありとあらゆる方法をもって救済へと教化していきます。
「清く正しくみんなで支え合う」の質問は、大乗仏教です。
ただ大乗仏教に限らず上座部(小乗仏教)の根本には「四無量心(慈悲喜捨)」があり、大乗仏教も取り入れている利他の心をもって救済する修法です。
全世界の仏教の教えをひとつに集約すると「空性(一切皆空)」であり、すべては「無」であると説きます。その生きる心は常々「中道(ちゅうどう)」である、かたよらない、こだわらない、とらわれない、何事においても"ほどほど"が何よりであると説きます。これが釈迦の真髄です。

大乗仏教をまとめますと「利他」です。

仏教はとにかく広義ですが、しかし単純です。「今を切に生きるのみ」です。この今に過去や未来を入れない今です。
今の連続が一生です。その今の連続の中に生じる苦難を避けるために自己への欲は小さくし、他への欲は救済のために大きく持ち、ほどほどに今を生きることが煩悩があっちこっちに行かないように感情のコントロールを持てる免許が悟りとなります。

合掌

2024年7月1日 2:38
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有り難し
おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...
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質問者からのお礼

ありがとうございます! 「自分1人が助かるために悟りの修行をするなどといった思想は自分1人しか助からない小舟、すなわち小乗仏教だ。みんなで助け合い、支え合い、愛し合い、善で手を繋いで生きてゆけばみんなで一緒に助かる大きな船、すなわち大乗仏教になる」といったようなメッセージを聞いたことがあります!

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お金なんて要らんと貫いた心

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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