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滅罪のための信仰について

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これまでの人生の苦しみは、自分自身の内面の愚かさが原因であると思うようになりました。
自分の悪い業を滅罪するには、書籍などを参考にすれば、不動明王様を信仰すれば良いような印象を受けますが、観音様を一心に念じれば、必ず助けてくれる。お地蔵様は、どんなダメな人でも救ってくれる。毘沙門天王様を信仰すれば福徳を授けてくれる。どの尊を信仰すれば、自分の悪い業を滅することができるのか迷ってしまいます。どの尊を信仰すべきか教えてください。観音様、お不動様、毘沙門様、お地蔵様、全部信仰した方がいいのでしょうか?

2024年5月28日 19:27

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏様の光明に照らされて、愚かな私が知らされますね。

仏様の目から見れば、人間は皆 罪深い者でしょう。こうして、仏様の光明に照らされて、愚かな私が知らされますね。
知らされて良かったとも思います。これからの生き方を改めていけるのだから。

プロフィールも読ませてもらいました。あなたも苦しみの中、もがいて生きておられるのですね。

仏様は、責めるだけの存在ではなく、罪にも原因があったのではないかと尋ねてくださいますよ。あなたも辛かったねと、抱きしめてくださいます。そして、ただ許されたい救われたいと願うのではなく、自らの罪と向き合いながら、懺悔していかれませんか。あなたの内面、何を想い考えるのか。ちゃんと仏様に聞いていただきましょう。
そこに届いてくださるお救いは、きっと あなたを導く光と安心になっていくと思います。

ハスノハのオンライン個別相談もありますから、お坊さんに打ち明けながら、信仰に出遇っていっていただきたいわ。

2024年5月29日 2:35
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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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罪がある人でも救われる

浄土宗開祖の法然上人がおっしゃるには、親が子供の罪を嘆きながらも子を見捨てないように、阿弥陀仏は私達の罪を嘆きながらも私達を見捨てず救ってくださるそうです。
具体的には、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏を称(とな)える者は、罪人であっても阿弥陀仏の力で、臨終時に極楽浄土に往生させてもらえるのです。
極楽浄土に生まれれば、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちることはなく、光り輝く菩薩の姿に転生して、阿弥陀仏のご指導のもとで悟り(成仏)を目指して修行することができるのです。
ただし、過去の罪や修行などのポテンシャルによって成仏までに必要な修行の年月には個人差があると考えられます。
いずれにせよ、南無阿弥陀仏と念仏を口に称(とな)えて往生極楽を願う人は、来世は快適な修行環境である極楽浄土に往生(異世界転生)できると、経典には書かれています。
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ

2024年5月29日 12:49
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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

願誉浄史様 ご回答誠にありがとうございます。阿弥陀様に救いを求める口称念仏は、法然上人が民衆を救うために、ひたすら念仏を唱え、阿弥陀様にすがりなさい。と説かれたことは、存じ上げております。法然上人の少年時代の像を拝観したことがありますが、とても理知的な目をしておられたとの記憶がございます。
 口称念仏に関する解説も番組で拝見いたしました。
 阿弥陀様にすがるのも、一考の価値があるのかもしれませんね。
 この度はありがとうございました。

中田 三恵様 ご回答誠にありがとうございます。この年になって、これまでの人生を反省することしきりです。もし、やり直せるのなら、やり直したいことだらけであります。過ぎ去った時間はもう取り戻せませんが、残りの人生、滅罪に注力していきたいと考えております。そうですね、ただ救いを求めるだけではなく、まずは、懴悔ありきであると私も思います。これからは悔いのないような、生き方を心がけていこうと思います。
 この度はありがとうございました。

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ