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仏壇での唱え方について(曹洞宗)

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質問させてください。
仏壇でお唱えをする時に浄土宗や日蓮宗は「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」と唱えますが、曹洞宗の場合は「南無釈迦牟尼仏」でいいんでしょうか?
他には「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」だったり、「南無釈迦牟尼仏、南無高祖承陽大師道元禅師、南無太祖常済大師瑩山禅師」、はたまた無言でも良いですよと書かれている場合も見受けられます。
どれが正解なのか?そもそもすべてが正解なんでしょうか?

よろしくお願いいたします。

追伸:「南無釈迦牟尼仏」でお唱えするならば、1回ですか?それとも3回ですか?

2024年7月12日 21:41

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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なりきること

曹洞宗はそもそも禅宗ですのでお唱え言というものは、あまり言いません。強いて言えば南無釈迦牟尼仏と私は教わりました。

大切なことは言葉ではなく、唱えている時の様子です。南無阿弥陀仏でも、何枚だーでも100枚だーでもなんでも良いのです。

唱えているときには唱えている事になりきっているか。坐禅している時は坐禅になっているか。食べている時には食べているようになっているか。スマホなんていじってないか。

なりきる。自分の存在が消えるほどにその事になりきることが仏になるという事です。

やってみてください。何度でも唱えてみたら良いと思いますよ。

2024年7月15日 4:30
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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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質問者からのお礼

邦元様

ご回答いただきありがとうございます。
禅宗では唱え事はあまり言わないか、「南無釈迦牟尼仏」とのこと。
気持ちがスッキリいたしました。

それ以上に「なりきること」を学ばせていただき深く感銘いたしました。
確かに言葉ばかりに気を取られてしまい、道元禅師様が仰っておられた「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、萬法に証せらるるなり萬法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」を失念しておりました。

気づきをいただきありがとうございます。
その気づきを大切に毎日を過ごしてまいります。

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