自己嫌悪を子供に隠したい
子供を危険な目にさらしてしまいました。また、周りの方々にも迷惑をかけたと思います。
子供(小5息子、小1娘)と一緒に、駅のホームの待ち合わせ場所へ向かっていたのですが、間もなく電車が来ます。と言うアナウンスがあったにも関わらず、ホームが狭くなっていて、人の後ろを通れない所で、黄色い線の外側を歩いてしまいました。 まだ電車は見えてないし、今のうち…と思ってしまったのです。
言い訳ですが、待ち合わせをしていた相手から伝えられていた電車の時間が間違えて伝えられており、私たちの到着が電車の時間ギリギリになってしまったのです。
間に合わなかったら、次の電車で追いかけるから。と伝えていたものの、もしかしたら間に合うかも…といつもは絶対にしないのに、魔が差してしまったのです。
しかも、狭くなっているところから少し広い場所へ移動できたので、内側を歩いていたのですが、少し先を歩いていた息子が、待ち合わせ相手を探そうとしたのか、線の外側へ出てしまい、それと同時に電車がホームに入ってきたので慌てて大声で叫び、息子もすぐに気がついて内側へ身を寄せたのですが、それも、私の魔が差したせいで起こってしまったことだと思います。
怪我などはなく、電車が遅れたりすることもなかったし、何も起こらなかったことは幸いだ、二度としないようにしよう。と言う気持ちはあるものの、子供達、近くの人、電車の運転手さん、様々な人の気持ちを考えると、とにかく罪悪感と自己嫌悪の方が強いです。
自分のせいなのですが、子供達の前で引きずっている姿を見せてしまい、どうしたらいいかわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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体験も子どもにとってマイナスばかりではない。そのように納得を
何事も怪我がなくて一安心ですよ。お子さんが無事であったことを喜びましょう。
急いでいる時に限って、通れない、連絡が取りづらい、混んでる等、いろんなことが重なりますよね。焦ったことでしょうね。あなたの状況が思い浮かばれて、本当に あなたも含め、皆さんが無事でよかったわ。
仕方のないことが何度も重なってもいけませんが、あの時あなたはそう判断するしかなかったのですよね。周りも道を開けたりしてあげることが出来なかったほどの混みようだったことでしょうからね。
ただ、間もなく電車が来ますとのアナウンスがあれば、電車は凄い勢いで入ってきます。特に子どもには風圧や音にビックリするほどかと思いますし、ちょっとの接触でもあろうものなら…危険な行為ですものね。今後は気をつけたいですよね。
子供達の前で引きずっている姿も、仕方のないことですが、お子さんには勉強になったと思いますよ。危険!だと。もう小学生ですから自己判断も出来るし、このような状況なら判断しなければならないことでもあります。「ここは通っては行けない、危ないんだ」とね。
このような体験も、子どもにとってマイナスばかりではありません。怖い、危ない、お母さんの緊迫した声や表情からも、二度とこんなことがあってはいけない!と印象づけ、同じような危険な行動は二度としないでしょう。それは、あなたやお子さん2人にとっても、重要な体験となりました。
どうしたらいいかは、どうしようもできないことですが、怖い思いをさせてしまったことを謝り、みんなで気をつけましょうねと、念押ししましょう。それが子どもたちの命を守ることに繋がります。
体験から学ぶことも多いのです。そのように、納得していきましょうね。本当に、皆さんが無事でよかったわ。
自己嫌悪も「魔がさす」の一種
未来の心配も、過去の自己嫌悪も、どちらも目の前の事実ではない妄想雑念であり、それを魔が差すと言うのです。
感情に振り回されて目の前のやるべきことがおろそかになったり、考えなくても良いことを考えてしまう。
あなたが過去を引きずってあれこれ悩んでいることこそが、まさに魔が差しているのであり、あなたは駅のホームと同じことを今もやっているのです。
電車に遅れる未来を想像して、今やるべき安全確認が雑になってしまった。
過去の失敗を気にして、今笑うべきときに笑えない。
どちらも魔が差しているのです。
過去は過ぎ去りもうない。
未来は未だ来たらずまだない。
今考えなくても良いことは今は考えない、たとえば車の運転も、妄想雑念で感情が乱れると危険な運転になります。
人生は、今できることをできる範囲でやればそれで良いのです。
気にしない気にしない。