失敗した時の気持ち
初めて質問します。
私は自傷する癖があります。仕事、日常生活で失敗した際に自分を痛めつけます。
失敗した後の謝罪、処理は行うのですが、私は「それだけでは手ぬるい」と気持ちが収まらず、自分を痛めつけます。
具体的には、胸を殴る、首を締める、壁に頭を打ちつけるなどです。
つい、最近も職場で不注意から物を壊し、家では家族が作ってくれた料理にカビを生やしてしまいました。
しかも、それは私のために作ってくれた物で、以前も同じような失敗をしていました。
同じ失敗をしたうえに人として失礼なので、必ず罰を受けるべきだと思うのです。
親は死ぬから止めて、と言うのですが、なかなかその思いが染みついて取れません。
そこで、質問です。
僧の皆さんは何か失敗した際、どのようにご自分に罰を与えるのですか?
またはどのように気持ちを切りかえるのですか?
失敗(他人、自分問わず)が許せない 完璧な人間になりたい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
反省と許し
あなたが抱える怒りや自己嫌悪の感情、本当に辛いことでしょう。あなたがその痛みと共に生きているということを心からお察しします。そして、ここに相談してくださったことに感謝します。
まず、あなたが失敗に対して自分を責め、自傷行為に至ってしまうこと、それがどれだけ苦しく孤独なことかをお察しします。自分自身を痛めつけることで、その失敗を補ったり、赦したりしようとする気持ちは非常に強いものです。しかし、その行為があなた自身をさらに傷つけてしまうことを、あなたもきっと感じていることでしょう。
僧侶として私たちが失敗をしたとき、その失敗にどう向き合うかについてお話しします。私たちも人間ですから、失敗や過ちを犯すことがあります。そんな時、私たちが心がけるのは「反省」と「許し」です。
①反省すること
まず、失敗をしたときには、心静かにその原因を考えます。そして、その失敗が再び起こらないように、できる限りの策を考え、実行します。この反省は自分を責めるためではなく、学び成長するための行動です。
②自分を赦すこと
あなたが述べたように、謝罪や処理を行っても気持ちが収まらないということは、その根底に「自分を赦すことができない」という思いが深く浸透しているのかもしれません。お釈迦様の教えでも、自分を赦すことの大切さを説いています。他人を赦すことと同様に、自分を赦すことも必要なのです。自分を傷つける行為は、その赦しの妨げになってしまいます。
あなたには失敗を繰り返さないための真摯な思いがあることは伝わります。そして、親御さんがおっしゃるように、あなたが命を大切にすることが何よりも重要です。
自分を痛めつける代わりに、少しでも心安らげる方法を探してみてください。例えば、深呼吸をして心を落ち着ける、紙に思いを書き出してみる、親しい人と話すなど。自分を傷つけることなく、気持ちを切り替える方法を見つけることができたらと思います。
あなたの辛さは一人で背負うものではありません。ここに相談してくれたことが、その第一歩です。あなたの心が少しでも軽くなることを、心から祈っています。
苦しみや痛みを持っているあなた自身が尊重され、赦されるべき存在であることを忘れないでください。自分を大切にすることが、真の成長への道となるのです。
質問者からのお礼
回答していただき、ありがとうございました。
私は成長するためには、つらい目にあうべきだと考えていました。失敗した場合は特にそうでした。
私が「赦されるべき存在」という文を読んで、安心した気持ちになりました。