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失敗した時の気持ち

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有り難し有り難し 3

初めて質問します。
私は自傷する癖があります。仕事、日常生活で失敗した際に自分を痛めつけます。

失敗した後の謝罪、処理は行うのですが、私は「それだけでは手ぬるい」と気持ちが収まらず、自分を痛めつけます。

具体的には、胸を殴る、首を締める、壁に頭を打ちつけるなどです。

つい、最近も職場で不注意から物を壊し、家では家族が作ってくれた料理にカビを生やしてしまいました。

しかも、それは私のために作ってくれた物で、以前も同じような失敗をしていました。

同じ失敗をしたうえに人として失礼なので、必ず罰を受けるべきだと思うのです。

親は死ぬから止めて、と言うのですが、なかなかその思いが染みついて取れません。

そこで、質問です。
僧の皆さんは何か失敗した際、どのようにご自分に罰を与えるのですか?

またはどのように気持ちを切りかえるのですか?

2024年9月2日 10:41

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

反省と許し

あなたが抱える怒りや自己嫌悪の感情、本当に辛いことでしょう。あなたがその痛みと共に生きているということを心からお察しします。そして、ここに相談してくださったことに感謝します。
まず、あなたが失敗に対して自分を責め、自傷行為に至ってしまうこと、それがどれだけ苦しく孤独なことかをお察しします。自分自身を痛めつけることで、その失敗を補ったり、赦したりしようとする気持ちは非常に強いものです。しかし、その行為があなた自身をさらに傷つけてしまうことを、あなたもきっと感じていることでしょう。
僧侶として私たちが失敗をしたとき、その失敗にどう向き合うかについてお話しします。私たちも人間ですから、失敗や過ちを犯すことがあります。そんな時、私たちが心がけるのは「反省」と「許し」です。

①反省すること
まず、失敗をしたときには、心静かにその原因を考えます。そして、その失敗が再び起こらないように、できる限りの策を考え、実行します。この反省は自分を責めるためではなく、学び成長するための行動です。

②自分を赦すこと
あなたが述べたように、謝罪や処理を行っても気持ちが収まらないということは、その根底に「自分を赦すことができない」という思いが深く浸透しているのかもしれません。お釈迦様の教えでも、自分を赦すことの大切さを説いています。他人を赦すことと同様に、自分を赦すことも必要なのです。自分を傷つける行為は、その赦しの妨げになってしまいます。

あなたには失敗を繰り返さないための真摯な思いがあることは伝わります。そして、親御さんがおっしゃるように、あなたが命を大切にすることが何よりも重要です。
自分を痛めつける代わりに、少しでも心安らげる方法を探してみてください。例えば、深呼吸をして心を落ち着ける、紙に思いを書き出してみる、親しい人と話すなど。自分を傷つけることなく、気持ちを切り替える方法を見つけることができたらと思います。
あなたの辛さは一人で背負うものではありません。ここに相談してくれたことが、その第一歩です。あなたの心が少しでも軽くなることを、心から祈っています。
苦しみや痛みを持っているあなた自身が尊重され、赦されるべき存在であることを忘れないでください。自分を大切にすることが、真の成長への道となるのです。

2024年9月2日 12:43
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有り難し
おきもち

仏教の目的は、抜苦与楽と成仏です。 生きている人の苦しみをどうしたら癒せ...
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質問者からのお礼

回答していただき、ありがとうございました。
私は成長するためには、つらい目にあうべきだと考えていました。失敗した場合は特にそうでした。
私が「赦されるべき存在」という文を読んで、安心した気持ちになりました。

「自傷行為・リストカット」問答一覧

赤裸々に話したことを後悔しています

先日、アルバイト先の店長に、家族の悩みをいろいろと話してしまいました。 私の家族は仲が悪く、特に姉は、リストカットまでしています。 過去に警察沙汰になったこともあり、その事は内容が内容なので、誰にも話していません。 ですが、先日、アルバイト先の店長に、警察沙汰になったことや、姉がリストカットやパパ活に近いことをやっていることなど、やばいことをいろいろと話してしまいました。 私と姉はアルバイト先が一緒だったのですが、姉が就職にともない、アルバイトをやめるから、「姉に聞かれる心配はないだろう」と思ったからです。 しかしよく考えれば、姉は制服をまだ返却していません。 そのため、もしかしたら、そういう話をしたことが、ばれる可能性もあります。店長はそういう話を他の人に漏らすような人ではないと思うのですが……。 話してから、その事に気付いて、とても後悔しました。 また、あまりにも踏み込んだ話もしてしまい、とても後悔しています。 よく「心配事の96%は起こらない」「自分が思っている異以上に他人は気にしていない」と言いますが、それでも非常に後悔しています。 どうすれば良いでしょうか?

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他罰を受けに行くという自傷行為

本日も、過去の罪についてのお話を聞いていただければと思います。 私は過去の問答でも何度も投稿した通り、多くの罪を犯した罪人であり、罪を自覚してからは日々、反省と懺悔に努め、また死ぬまでに少しでも世の中に善い芽を遺して死のうと、自分にできる善をつみながら生きている毎日です。 最近は罪悪感に酷く苛まれ何も考えられない、というようなこともなく、こんな私でありながら、朝日に照らされ健やかに生きることができています。しかしながら、何故そのように生きることができているかと言いますと、ある行動を控えていた(少し避けてしまっていた)からだと思っています。 それと言うのが、罪の意識を再確認するために、また自らを追い詰め罰を受けるために、私のような加害者を酷く糾弾し強く非難している言葉の数々を意識的に見に行くという行為です。その行為によって、少し気持ちが緩んでいるときや浮かれているときでも、今一度罪を認識し改めることができるのです。しかしながら、やはりどうしても心身を消耗してしまうため、最近は意識的に避けてしまっている節がありました。私は義務として、責任としてそれらから目を逸らしてはいけないと思っていながら。 それらには本当に多くの方の苦しみや恨みの感情が込められていて、どうしてもどうしても耐えきれずにおります。また、多くの方の恨みを目にする中で、私はそれら全てを背負わねばならない=私は忘れているだけでこれ程酷い行為の数々をやってきたのではないか?と少し錯覚させられつつあります。(実際そうである可能性もあり、自分の過去が本当に恐ろしいです。) 正直な気持ちを申しますと、苦しく辛い行為です。しかし、自己満足であり自傷行為であると分かっていながらその行為をやめた私は生きている価値のない・罪を何とも思わない屑人間に成り下がってしまうという思いが消えません。罪を犯したものとして、これ以上悪に心許してしまったらいけないのに。 心の中の私(かもしくは誰か)が、「非難・糾弾を受けとめろ」「見に行け」と話しかけてくるような思いです。 この私の行為について、お坊様方の客観的な御意見をお聞かせいただけたらと思っています。 また、常日頃から罪を忘れずに生きる心構えについても、お聞きしたいです。 乱文、長文失礼致しました。最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。

有り難し有り難し 17
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アームカットの跡について

最初に言っておきます。 不快になる方もいらっしゃるかもしれませんので見る時は覚悟して見てください。 現在、転職活動中です。 しかし、4ヶ月間(3月から6月まで)親に甘えており、アルバイトせず、家事のことも全然してきませんでした。 7月中旬、母からお説教があり、自分一人で生きていくために考えて行くようになりました。 ただ、私には、一つ後悔があります。 それは、先程書いた母からのお説教の時、自分の心だけではどうしようもなくなって、ハサミでアームカットをしてしまいました。 右太ももにも傷があります。 力加減を強くやってしまったので、未だに消えてません。 1週間くらいしか経ってませんが、完全に消えそうになく不安です。 衝動的にやってしまってとても後悔しています。 学生の頃、消える程度の自傷行為はしていました。それは、今までの自分の考えは、自分の身体は傷ついても、他人は傷つかないからいいと思っていました。 自分が辛い時は、心も身体も自分で全て背負ってしまえば誰の迷惑も心配もかけないという考えがあったからです。 ただ、今回のなかなかすぐには消えない跡を作ってしまって、とても後悔と反省をしています。 これからは、自傷行為をしないで生きようと考えています。 もし、今後、とても辛いことがあった時、 私はどのような考えを持って生きれば良いでしょうか? そして、アームカットの跡、太ももの跡ざ消えなかった場合、人に対してどのように説明したら良いでしょうか? 沢山の方々の意見を参考にしたいです。 よろしくお願い致します。

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自分を傷つけてはいけない理由とは

自分を傷つけてはならないのは、なぜでしょうか。 私はストレスが溜まった時や、溜め込んだ感情が爆発しそうになったときに自傷行為をしてしまいます。 過量服薬により何度か病院に運ばれ、現在は入院しています。 私が何度も自傷行為を繰り返すことには、理由があります。 一つは、自傷行為をしてはいけない理由が分からないためです。周りの人には、自分を傷つけるのはよくない。もっと自分を大切にして。あなたが傷つくのを見ると悲しい。などと言われます。たしかにそれももっともだと思います。私のためを思って言ってくれているのだと分かるのでとても感謝しています。 けれども、どうにも納得がいかないのです。 私はこれまで周囲の人たちから傷つけられてきました。他者は私を傷つけるのに、なぜ私は私を傷つけてはいけないのでしょうか?それがいまいち分かりません。 二つ目は、自傷行為を悪いことだとは思っていないためです。よく、他者を傷つけるのはよくないと言います。私は他者を傷つけてはいません。ストレスや感情が爆発して、他者を傷つけるくらいなら自分を傷つける方がよほどましだと思うのです。 それに、もし自傷行為が原因で命を落としてしまったとしても、そうなったのは自分の責任だと思います。死のうが生きようが、それも自分の選択だと思うのです。 どうして周囲の人が私を入院までさせて自傷行為を止めさせようとしているのか分かりません。 今は自傷行為を別の代替方法に置き換える練習をしています。ですが、そもそも自傷行為をしてはいけない理由がよく理解できていません。そのため、練習自体も渋々といった感じで行っている状態です。 私に、自分を傷つけてはいけない理由を教えていただけないでしょうか。

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衝動的な自傷行為、夫を悲しませてしまった

はじめまして。宜しくお願い致します。 私は自分の人生全てにおいてコンプレックスを抱いてきました。育った環境を恨んで生きてきたと言っても過言ではありません。 友人たちが何不自由なく生きてきたのを見てなんてことない顔しながら心の中は嫉妬でいっぱいでした。 だけどそんな自分の生い立ちなど絶対知られたくなくて周りと同じように育ってきたかのように振る舞ってきました。 自分の弱みを隠して人に迷惑かけないように嫌われないようにしていたと思います。 そんな時、私の過去や生い立ち全てを理解してくれた夫と出会い、3年前に結婚いたしました。 結婚当初は夫と話すことで自己嫌悪になることも徐々に減り穏やかに過ごしていたのですが、昨年あたりから不眠症に悩まされ、将来や明日のことを考えると高揚して全く眠れなかったり、無気力になる事も増え、あまりにも体の不調が続いたため勤めていた会社を退職し、精神科を受診致しました。 その結果、双極性障害(躁鬱)と診断されました。 夫も理解してくれ、薬とうまく付き合いながらこの1年間過ごしてきましたが、先日どうしても不安な気持ちに苛まれてしまい、夜中に包丁で自分を傷つけてしまいました。 すぐに寝ていた夫が気づいてくれ救急車を呼んでくれたのですが、物凄い勢いで私を怒り、今まで見たことない悲しい顔をしているのを見てとんでもないことをしてしまったと思いました。 正直こんなことをしてしまったのは初めてで夫も私自身も驚いたのと同時に自分が怖くなりました。 二度と夫にあんな悲しい顔をさせたくないという思いで、自分と向き合いカウンセリングなども行っていますが、どうしてあんな行為をしてしまったのか未だにわからないのです。 心の奥底にある黒いものを捨てなければ私はこの病気から脱却できない気がして辛いです。 これからどうやって自分と向き合っていけばいいのでしょうか?ぜひお力をお貸しいただきたいです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ