自分という人間を信用できない
先日は、罪悪感についての質問に回答頂き、本当にありがとうございました。
これからは周囲に対して尊重の心を忘れず、謙虚に優しい気持ちを持って接しようと心がけています。
悔い改め、幸せを広げることが出来る人間になれるように努力したいとおもっています。
しかしながら、今までの自分の行動や考え方自体が全て間違っていたと気がついた今、自分のことを信用できません。
今、自分で罪悪感を感じている悪行は最近になるまでは、気付くことが出来ませんでした。
ですので、テレビ等で悲しくなるニュースや不祥事、こんな酷いことをした人がいる、などの会話を聞くと
私自身もそんなことをしていた可能性があるかも知れないと過去の自分に思い、
未来の自分もそんなことをしてしまう可能性があるのではないかと、とても不安になります。
どのようにしたら、まっとうな人間となることができるのでしょうか。
そして自分のことを怖がらず信じていけるようになるのでしょうか。
ご助言ください。よろしくおねがいいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人間は変わるものです
昔、お釈迦様の時代にアングリマーラと言う殺人鬼がいました。
アングリマーラは人を殺してはその指を切り取り首飾りにしていました。
しかし、ある日お釈迦様と出会い、すっかり改心します。
その後修行に専念しすっかり立派なお坊さんになります。
しかし、世間は彼を殺人としてしか見ませんし、彼自身も過去の自分の姿に苦しむのでした。
そんな彼がある日、難産に苦しむ女性に出会います。
お釈迦様はアングリマーラに安産を祈るように申し付けます。
そしてこのような一言を添えるのでした。
「アングリマーラよ、お前は仏門に入って生まれ変わったのだ、過去のお前とは別人である。そしてこの事が真実であれば、必ず苦しむ女性は安全に子供を産み落とすだろう」
そして難産に苦しんでいた女性は安全に子供を産むことが出来たのでした。
そうなんです。
人は良く変わろうと思い立った時に変わるのです。
自❝信❞を持つ
私個人の考えですが、仏教の究極的な信仰とは自分を信じることです。(自灯明)
お釈迦様や仏さまらしい物体を信仰するものではない、と思っています。
なぜなら、仏教の原点のお釈迦様は、仏教を学んだのではありませんし、仏法を学んだのでもありません。
自分をみつめ、自分をまかせられるようになった、自分が明らかになった、という事だからです。
ココはお分かりになられますでしょうか。
そのお釈迦様の教えを編纂したもの、二次的に生まれたものが一般で言われる所の仏教です。
よって、一番大切なのは二次的に生まれた仏教を学問的に学ぶのではなく、原点のお釈迦様と同じように自分そのものを学ぶことが大切なのです。そうでないと何となく為になる教え、チエを学んだという程度にしかならんものです。私はそういったことを十数年やってきてので、多くの方々にこの点を誤らないように、と強くお願いしています。
では、自分を※信じる(※信…まかす、理解する、よりどころとする)にはどうすればよいか。
それは自分の意識や自分の思いを中心とした生き方ではなく、自分の見えていること、聞こえていること、事実の世界に身を任せるということなのです。これが俗に言われる無心、無我という心の在り方なのですが、カラッポになるということではなく、自分の思い、自我、我見がないものの見方が無(私)心、無我(見)ということです。
これは、一度そういう状態にならないと分からんでしょうから、とりあえず質問者様は静岡なので、今週末24日放映の心の時代「井上哲玄老師」(静岡 浜松 龍泉寺前住職)をご覧いただくか、井上貫道老師(掛川市 少林寺) をご検索頂いてのちに両老師の開かれている参禅会に行かれることをお勧めします。現在曹洞宗ではほとんどの僧侶が悟りを否定する立場ですが、こちらの両老師は私も長年参禅していますがきちんと悟りそのものを授ける力をもった本当に意味での❝お師家さん❞です。
師家という言葉は最近、使われなくなりましたが、仏道を求める学人をして観念の世界から、悟りの世界に導く力量をお持ちの禅の宗師を師家といいます。
井上哲玄老師
http://www.youtube.com/watch?v=EK3Fw1lU22c
井上貫道老師
http://www.youtube.com/watch?v=GodG42DEYgE
質問者からのお礼
悟東あすか様、ご回答本当にありがとうございました。
アングリマーラのお話を聞き、こんな私でも悔い改めひたむきに努力することで、変わることが出来るのではないか、今この時がチャンスではないかと思うことがきでました。本当にありがとうございます。
丹下覚元様、ご回答本当にありがとうございました。
自信ということが、そういうことであったのかと目から鱗でした。
そして詳しいお話、無心無我を実感するための道筋まで教えて頂き、本当に感謝いたします。
教えていただいた参禅会に、ぜひ参加させて頂きたいとおもいます。
お坊さんに質問できるこの場にも感謝しております。
自分でいくら悩んでもどうしようもないことが、こちらでご回答頂くことで、光が見えてくる気がします。
どうもありがとうございました。