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突然他界した父に謝りたい

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有り難し有り難し 13

いつも家族のことを一番に考えてくれた優しくて穏やかで面白い父が突然他界しました。

家族で仲良く、数年前までは両親と私で旅行に行ったり遊びに行ったりととても楽しく過ごしていました。

しかしここ数年、足の悪い父は出かける時に家で留守番してると言うことが増え、そのうち私も誘わないで母だけ連れて行くようになりました。

それに加えてここ数年、私の思い通りになっていないと父を怒ったりしていました。
それでもごめんな、と言う父。
そんな優しさに気づくことなく父は先月突然他界しました。

部屋から私を呼び、起きれないから起こして、と言われ部屋に入ったらもう亡くなっていたんです。

私は悔やんでも悔やみきれないことをしました。
父に寂しい思いをさせたまま旅立たせてしまいました。
私がもっと父を見ていてあげたら絶対もっと長生きしたはずなんです。
翌週には伊豆旅行の予定で、一番楽しみにいていたのが父でした。

父に謝りたいし、話がしたいです。
毎日泣けて泣けて仕方ありません。
ずっと過去に戻りたいと思っています。

まだ四十九日もすぎていないから近くにいてくれてるでしょうか。
掃除した父の部屋のベッドの脇に靴下が落ちていたり、一緒に行こう!と父が好きだった回転寿司に行って余分に用意した父用の醤油皿に脂が浮いていたりして、母とお父さんいるね!なんて話してます。

母と愛犬がいますので私が頑張らなければいけないし、お父さんが見守っていてくれるからみんなで頑張ろうね!と話していますが、1人になると父への後悔で涙が止まりません。

父は今、幸せでしょうか。
大好きな妻である母の事見守っててくれますか。
私はこれからどうやって父への謝罪をしていけばいいでしょうか。
本当に喜ぶことをしてあげたいです。

2024年10月4日 0:24

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

何気ない日常生活に幸せがある

お父様は病院で闘病生活をするのでもなく、ご自宅で、何気ない日常生活の中で寿命(その人を生かしているさまざまな要因、命の電池)を全うされたのでしょう。
介護や医療の現場では、患者さんのQOL(クオリティオブライフ、生活の質)を尊重することが大切だとされますが、入院患者等の場合、それはなかなか難しいことですよね。
QOLの尊重は、生活習慣の尊重でもあります。
その人の普段の生活、何気ない日常の習慣こそがその人らしい生活でしょう。
その意味で、お父様は最後まで「何気ない日常」の中で過ごせたのですから、お父様らしい最後であったとも言えますね。
また、家族であっても、特別な思いをぶつけるのとかは面倒くさいし、言いたくないことを言わずに生活するのだって「日常」「その人らしさ」ではないでしょうか。
だから、あなたがわざわざ謝罪しなくても、お父様はあなたを許してくれているのではないでしょうか。
さて、浄土宗では、南無阿弥陀仏と念仏を唱えて、阿弥陀仏の力で極楽浄土に往生(転生)させてもらえるように願います。
極楽浄土でいつかお父様と再会できるとイメージして、お父様の分まで念仏してみましょう。
合掌
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
また、お父様の分まであなたが善い行いをする(募金箱に小銭を入れるとかでもよい)のも素晴らしいのです。
仏教では、善い行いをすれば極楽浄土で成仏する(悟って悩み苦しみが消滅する)のが早くなると考え、亡き人の分まで善い行いをして、亡き人の成仏も早くなるように願います。
念仏やお経を読むのも善い行いになりますし、他人や仏様へのおもてなし(その象徴として仏壇にお花やお線香等をお供えするのも含む)も善い行いにあたります。

2024年10月4日 3:26
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

少しでもお楽になれれば・・・

父親が亡くなって10年以上経ちますが、未だに悔やむことがあります。
再婚のこと、お寺のこと、色々なことがあったとは言え、すべてを受け入れられなかったこと、ありがとう、ごめんなさい、そんな普通の言葉が出なかったこと。
相談者さんと違い、父親とはどう贔屓目に見ても仲が良かったわけではありません。母親の死後、揉めてばかりだったと思います。結果、再婚相手と合わなかった私は実家を棄てました。
そして紆余曲折があり、お寺に戻りましたが、廃寺寸前の寺を目のあたりにし、なんでこんなにしてしまったんだと父親を責めました。50歳半ばまで公務員で、寺の経営の知識もないなかで父親なりに必死にやってきた。頭では理解しているつもりでも、なかなか受け入れられない。そんな日々でした。
父親が亡くなって10年余り。後悔がなくなることはありません。しかしながら、その後悔も含めて引き受けていこうと今では思っております。お浄土で再会したときに、すぐに許してもらえなくても、その後悔のことも含め話すことで、少しずつでも分かりあえるのではないかと考えております。

長々と自分の話になってすみません。お伝えしたかったのは、お父様に対し、こうしてあげれば良かったというお気持ち、そのものがお父様に伝わるだろうということ、そして、その思いが相談者さんとお父様の絆となっているのではないでしょうか。
これからどうしていけば。ということに対しての答えにはならないかも知れませんが、相談者様がお父様への思いをお持ちの限り、お父様は相談者様の中で生き続けていかれることと存じます。
ご質問の答えにはならないかも知れませんが、当文章を読んで頂くことで、少しでもお心が軽くなられることを願います。

2024年10月4日 3:04
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有り難し
おきもち

個別相談可能
大阪市西成区の金剛寺に生まれる 高校在学時から声優養成所へ 卒業後も、バイトしながら 声優養成所に通う。 父の再婚により、家に居づらくなった等 色々と要因が重なり、 20歳で見切りを付け就職、 大阪に1年、その後東京へ。 精神的にも経済的にも限界を迎えて 25の時に実家の寺を継ぐ準備として 宗派の専門学校に入学。 卒業後真宗大谷派僧侶となる。 父からは贅沢をしなければ 食べていけると聞いていたが、 その現在の認識、将来の見通しが あまりにも甘いことを思い知らされる。 当時全くなくなっていた提携葬儀社を 作るために葬儀社訪問をしたり、 同宗派のお寺との付き合いを広げたり、 そのような中、住職に就任。 多少マシにはなってはきたが、 飽和状態の市内では それ以上の発展は見えてこない。 そこで、10年ほど前に河内長野市に 移ってまいりました。 それから10年。恥ずかしながら  考えていたようにはいかず、 経済的にも厳しい時期もあり、 借り入れもしてしまいました。 しかしながら、最近になりやっと、 借り入れもなくなり、 私一人ではございますが、 食べていけるようになりました。

質問者からのお礼

お話いただき本当にありがとうございます。
せっかちな父らしい旅立ち、本当に最後まで立派な人でした。
周りの人にもいつも優しい父でしたので、アドバイス通り私も周りに優しく、父ならこうしただろうと言うことをやっていきたいと思います。
お父様との不仲のお話も心に沁みました。
いつも父の写真に話してますが、いつか父と会えますよね、その時にきちんとごめんなさいありがとうを直接言えるように、それまでは私もこの後悔や感謝を受け止めて父が心配しないようきちんとした人生を送りたいと思います。

本当にありがとうございました。

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