限界で泣いてしまった、心の病気かも
初めて相談させていただきます。仕事も、生活も、遊びも何もかもうまくいかず、もう限界で泣いてしまいました。心が病気になったかもしれません。
最近ストレスからか悩んで心が疲れやすく、体にも小さな不調が出がちですが、今日だけは楽しいことをしてストレス発散し、元気を出そうと、おしゃれをしてショッピングや好きなキャラクターと推し活しながら食事をしてましたが、一日の終わりに体調が急に崩れ、お手洗いの個室で声をあげて泣いてしまいました。今日のために頑張ってきたのに、今日だけは自信のある自分でいたかったのに、思わぬところで限界が来てしまったことをまだ受け入れられずにいます。そして今は、醜く弱い自分だけが残っている感覚です。
頑張っても、自分にとって楽しく幸せと思えるような事をしようとしても、こんな結末になるんだったら、私はもう幸せにはなれないんだろうなと思っています。
感情や思考、感覚が不安定で、自分をコントロールできず、人にも迷惑をかけてしまうため、他者以上に自分自身が怖いです。自分自身が一番、自分を不幸にしているようです。
毎日、明日なんか来なければいいのに、と思います。夜はつらいことを思い出して眠れず、眠っても途中で目が覚め、朝は、なかなか時間通りに起きられません。
自分が薄々感じていた辛さを放っておいたがために、こんなことになってしまったのでしょうか。休んだり、自分に優しくしようにしても、どうしたらいいか分かりません。死にたくなっても死ねません。もう何もできません。元から何もできない存在なのかもしれません。
こうして、きっと病んでいる私ですが、もし何か思ったことがありましたら、声かけをしてもらえたらと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お寺においで。ゆっくり心身を休めにいらっしゃい。
仕事も、生活も、遊びも、うまくいかず。
頑張って、もがいて、もういっぱい いっぱい。
限界なのね。泣いてしまうなんて、余程だよね。
あなたが、不幸のど真ん中にいるように聞こえるわ。
死にたくなるほどに……
何があったのかしら…
元気を出そうとしてオシャレまでしたのにね。
周りから何か言われたの?
孤独に感じたの?
つらいことがあるのよね?
お寺においで。
ゆっくり心身を休めにいらっしゃい。
私も仏様も、待っているからね。
いつでもあなたの味方だよ。
楽しい刺激でストレス解消は疲れる
楽しい刺激でストレス解消しようとする人は多いですが、それってけっこう疲れることですからね。
おしゃれをして出掛けるのって朝起きたときから出掛ける準備で神経を使います。
例えるなら、肩こりを治そうと肩をもむと、肩にダメージが残る感じです。
もんだり叩いたりするのではなく、腕を肩甲骨のつけ根からグルグル回して肩甲骨周りの筋肉をストレッチすることで肩こり解消になる場合があり、その場合はもんだり叩いたりの刺激を与えず緊張を緩めるだけなので、ダメージが少ない場合があります。
つまり、心も、刺激でストレスを隠すのではなく、思考と感情の緊張を緩める方が疲れずストレス解消になるかもしれません。
まずは、思考の堂々巡りをストップしましょう。
10分考えても答えが出ない(新しい情報がない)ことは、同じ情報の中で10時間考えても同じで、ただ神経が疲れるだけ。
心を病みやすい人は、未来や過去に対する妄想残念を何度も何度も繰り返してしまうのではないでしょうか。
人間なんだから、せっかくの休日に体調が悪くなることもありますよ。
でも、それはもう過去のこと。
過去の出来事を脳内で何度も繰り返すことはストレスにつながりますので、過去や未来への妄想残念に気をつけましょう。
ヴィパッサナー瞑想という瞑想方法を調べて、やってみてはいかがでしょうか。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。読んでいてまた涙が出てきたのですが、今度の涙は少し温かく感じました。
あのときは一人で出かけていたのですが、出先で急に体調が崩れてしまいパニックでした。自分のなぐさめ方を間違え、途中で燃え尽きてしまったんだと思います。
元々一人の方が落ち着くので、自由時間は一人で過ごすことが多いですが、ついに潰れてしまい、誰かに心の叫びを聞いてほしいと思い、投稿してみました。
中田さんが仰っていたように、きっと心のどこかで孤独を感じていたのですが、それを放ってしまっていたために、いっぱいいっぱいになってしまったと思います。
願誉さんのヴィパッサナー瞑想、初めて聞きました。調べてみると、ただ無になるだけでなく、瞑想中に何か思ったり考え出したりしたら、それを認め、また呼吸に集中するってことですね。私は瞑想に対して、ただ無になれるよう集中しなければならない、というイメージしかなかったのですが、自分が何か考え出してもそれを認めながらすればいいものもあると初めて知りました。
あのときのことがトラウマになって、苦しくなることもあると思いますが、過去や未来を案ずるのではなく、流れに身を任せながら今を生きられたら、恐れることはなくなるのかもしれませんね。