hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

結婚を邪魔してくる元彼氏

回答数回答 1
有り難し有り難し 10

結婚式を控えています
一年半前くらいに急に連絡がきて
正直今の彼とうまくいっておらず
会っていました

自分の中で結婚するのでもう会うのをやめたいし、会いたくないと言うことは伝えましたが
どうしても最後だから会いたいと
結局、もう断るのが大変なくらい
言うことを聞いてくれないので
会いました
もうこれ以上関わり合いたくなく
幸せな結婚生活を送りたいです
今の彼とは仲良くやっています

ラインをブロックしたとしても逆効果とみましてどうしたらいいかわかりません
これ以上関わり合いをなくす方法ってあるんでしょうか

2024年11月4日 19:58

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

え?今更…と思うようでも、結婚はキャンセルするべきです。

個人的な意見ですが、あなたは結婚しちゃダメな人だと思いますよ。
相手にすごく失礼ですし、彼氏さん可哀そう。
相手の家族にも失礼ですし、可哀そうですよ。そう思いませんかね。
もし、あなたの彼氏が元カノと今も続いていて、あなたに隠れて会っていたとしたら、あなたはそれでもその彼氏と翌月結婚を控えているとして、結婚する気になれますか?

花嫁とは何でしょうか。
結婚とは何でしょうか。
バージンロードとは何でしょうか。
純白・純潔とは何なのでしょうか?
間男つきの結婚って、物凄い地獄絵図ですよ。
一応結婚式って、宗教儀式なんです。宗教儀式というのは人の道に外れる行為をしちゃァいけないんです。神様仏様、立派な人間性を持った人たちのその教え、生き方、あるべきルールに反する行為はしちゃァいけないのですよ。ウソもついちゃぁいけないのです。別に、バレなきゃいいじゃん?とか思うでしょ。いいえ。神様仏様を裏切る人間性を持っている時点で、結婚をしたらそれは残念ですが、絶対に悪い結果が現れます。夫婦というものはエゴを優先させてはいけないのです。
自分のやっていることが見えていないのだと思います。
相手の家族や友人もあなたの現在を知ったら親族・知人総出で断るでしょう。
むしろ知らせた方がイイと思いますが。その方が相手に対しても不誠実ではないでしょう。
今後待ち受けるかなしい結果を迎える仮面夫婦の結婚生活よりも、今の時点でブレーキをかけたほうが彼氏さんとご自身の為です。
私があなたの現在の彼氏であれば、絶対に結婚したくありません。
むしろ今回正直に真実を話してくれて、目が覚めてよかったと感謝すると思います。
正直に全部話してそれでもOKというのであれば、彼も人間的に問題です。
人生、神や仏の名において何でもカンでも赦しちゃダメなんです。
相手に裏切り行為をしていながら、それを悪いと思わず元カレにあってしまう価値観では家庭を築くのにも家庭的な人間性とはいえませんので、まだ結婚はしない方がイイと思います。彼氏に全部話して結婚を取りやめてはいかがでしょうか?
式の一か月前とはいえ完全にアウトだと思います。
百歩譲って携帯も何もかも即手放して、過去と決別する気持ちを持つべきでしょう。今後また彼氏と不仲になれば、また甘えでまた元カレと連絡を取るのでしょう。絶対に結婚してはいけないと思います。個人的意見です。

2024年11月4日 22:17
{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ