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誤解されたまま縁を切る時の考え方

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20年来の友人は人間的にも立派で正しく誰からも好かれるリーダータイプで尊敬すべき人なのですが、先日飲みの席でとある問題についての意見の違いから彼女を怒らせてしまい、なぜか私が差別的思考であるという流れになってしまいました。
私は驚いて(むしろ私は彼女の言い方にずっと差別的なものを感じており、でもそんな人では無いだろうと良いように解釈してあげながら聞いていたので)心外だと反論はしましたが聞き入れられず、以来会う度に私の言動を逐一監視、ジャッジされダメ出しされる事が多くしんどくなってきました。

確かに私は気が利かないし至らない点は沢山あります。でも私の方も彼女の言動に傷ついた事はこれまで度々あって、お互い様と思って言わずに許してきた事も多々あるのに、今回私だけ一方的に断罪されてしまいました。また、私の芸術に対する感性も低俗と言われました。

悪い事は謝りますが今回はただの食い違いですし、何より例えお酒の席で言い方が不適切だったのだとしても、人間性を疑われた事自体がショックで、自分の信用の無さが情けなくて悲しく誤解を解こうという気も失せました。

これまでも私は妹的な立ち位置で相手の価値基準で説教される事が多く、元から対等な関係では無いかもしれません。
でもまさか人間性や感性まで否定されるとは思いませんでした。

感謝してる事も沢山あるけど単に性格が合わないのかも知れないので距離を置こうと思っているのですが、共通の友人の大半は彼女を通じて知り合った人なので、私はこの出来事は周りに話していません。彼女側からの話だけ聞けば他の人達からも悪く思われるかもだけど、それも自分の信用が足りなかったせいなので受け入れなければとは思っています。

人間性を長年の友人に信用してもらえなかった悲しい気持ちや、私だって色々と言わずに許してきた事もあるという悔しい気持ちをこれからどう考えて昇華させていけばよいでしょうか。

2024年11月5日 8:10

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご質問ありがとうございます。
人は成長して変わっていきます。
過去のあなたはその方と話が合う感じだったのでしょうが、今のあなたは過去よりも成長してその方と合わなくなってきたのだと思います。
ですから無理にその方に合わせなくても今のあなたが合う友人を探した方がいいと思いますよ。
多くないかもしれませんが今のあなたのことを分かってくれる人もいると思いますよ。
これからの良い出会いを信じて生きてくださいね。

2024年11月5日 12:59
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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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誤解されたまま縁を切るのではなく誤解されたことの縁を切る。

スレ違いや誤解はちゃんと正せる・解ける・晴らすことができるものなのです。
だから矢面に立とうとも、ただひたすらに真実を言う姿勢だけは決してまげてはいけません。誤解があってもきちんと違うことは違うと主張し続けて真実を表明する気持ちを持ってください。応援しています。会話のフレーズ一節で揚げ足を取ってくる人間がいたとしても、誤解されたとしても、それに屈してはなりません。
別に悪意もなければ、誰かを意図的に傷つけようとする気持ちがあったわけでもないはずでしょう。まず言わんとする【こちらのメインの趣旨】があるのに、どうして違う受け止め方をして違うことに話を持って行ったり、論点すり替えやこちらの主導権を奪う人に圧されて屈してはいけません。会話とは建設的であるべきだからです。
違うことは違うのですから。「それでも私(ボク)はやってない」といわんばかりの気概を持ちましょう。
人生は勉強です。学びです。ケンカやすれ違いや誤解があったとしても、そこをTHE ENDにしてはいけません。
いつの時代も表現しづらい説明しづらい分野において真実を話すということにはリスクが伴います。
私も坊さん業界でよく誤解を受けますが特定分野に関わればリスクが伴いますし、誤解はつきものです。ですが誤解の本質はあくまで誤解。誤った解釈をした本人の誤解、カン違い、誤っているだけですから、そちらはメイン・趣旨ではないということはきちんと表明するべきです。
見識とは情報力・情報量がものを言います。表現力も大切です。特定分野の話を詳しく知らない人に話をする場合、会話の流れの中で差別・差別的思考と誤解されたとしても、それは会話の前後を迷惑をこうむっている人の声だって主張されるべきなのに、日本ではそこは取り上げられないケースは多いです。
人権問題・差別問題というものは、多くの人たちが保身的なポスト、正義ポストに立ちたがるために、被害者ポストを得た人が❝主張❞する声だけが通ってしまい「お話にならない」ケースが多いように感じます。実際は複雑で、それぞれの立場が多様性の名の下で平等に主張されるべきなのですが、弱者と思われやすい人の声ばかりが優先的に扱われて、本当は違うことを伝えたいのにそれが伝わらないという子とは多いと思います。それも信念をもって、言わんとする趣旨を貫き通せば、そういう誤解もちゃんと晴らすことができるものです。

2024年11月11日 10:06
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

聖章さま
ありがとうございます。合わなくなったのは残念ですが、過去のことと割り切って、これからの縁を大事にしたいと思いますm(__)mありがとうございました。

丹下 覚元 さま
ありがとうございますm(__)m
相手と落ち着いて話をしたくても、これまでも何か間違いを訂正するたび、こちらの話し方を責められて終わりになるため、もう誤解を解くのも諦めてましたが、今回の内容は私の人間性に関わることなので、違うものは違うと堂々として、説明する機があればはっきり説明しようと思います。気持ちを分かって頂き救われました。ありがとうございましたm(__)m

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