子供の頃の自分への自己嫌悪が止まらない。
毎回やさしいお言葉をかけてくださりありがとうございます。すごく心の支えになっています。
私は小学一年生のときに複数人の男の子から性被害にあいました。
深いキスをされたり、体のいろんなところを触られたり、男子トイレに閉じ込められて、服を脱がされそうになったりしました。
当時は何をされているのか分からず、ただそれから男性が怖くなり、大人しい性格になりました。
大人の男性がとくに苦手で学校の先生や学童の先生にも目も合わせられませんでした。
小学2、3年生の頃、学童のとある男の先生がとても苦手でした。50代か60代くらいの方だったと思います。何がきっかけだったのか覚えていないのですが、苦手でした。
怖い先生ではなく、とても優しい先生だったと思います。
それなのに私はその先生をわかりやすく避けたり、酷いことを言ったり、しまいには駄々をこねて足をジタバタさせ、その先生を何度も蹴ってしまいました。
先生に罪は何もないのに、私はその先生に酷いことをしました。
最近強く思い出すようになり、寝る前に毎日涙を流し、「先生ごめんなさい」と唱えています。
子供の頃を思い出しては私は最低だ、生きる価値がないと自己嫌悪になっています。
毎回ネガティブな質問で申し訳ございません。正直言うとこの自己嫌悪を乗り越えたいです。ですが、私にはそんなことは許されないのではないかと思っています。
優しい人を傷つけてしまいました。
この罪悪感とどう向き合えばいいでしょうか。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
子どもの状態や状況を把握した上で、接してくださっていた。
あなたは、何も悪くないよ。
あの頃は、恐怖体験のトラウマから、拒絶反応や防衛反応が働いたのよ。自分を守る、必要な行動だったの。
先生だって、子どもの状態や状況を把握した上で、接してくださっていたと思います。だから、先生は、あなたを責めたことなどなく、気にかけてくださっていたはずですし、大切な子ども(あなた)だったことでしょう。
だから、大丈夫。
安心して、自信もって、生きましょうね。
過去の記憶に一人で向き合わないでください。
Na 様
あなたのその罪悪感は、過去のあなたの被害を受けたことか来ているのでしょう。
恐怖に苛まれた辛い記憶があなたを縛っているのです。
その辛い記憶に向き合い、恐怖を対処しなければ、あなたの罪悪感は消えることはないでしょう。
だからと言って、その辛い体験の記憶に一人で向き合わないでください。
信頼できるカウンセラーや、セラピスト、あるいは僧侶など。過去の記憶に一緒に向き合ってくれる人とそれに向き合い、恐怖に打ち勝つ必要があるのです。
自分一人ではなく、助けを求めて取り組むべきです。
もちろん信仰をもって仏様がいつも守ってくれているという意識の中で取り組んでみるのがよりいいでしょう。
過去の記憶は簡単に消えなくても、対処する感情は変えることができるのです。
あなたはまだまだこれから生きていくのです。
しかし罪悪感や孤独感、自己嫌悪を抱えたままでは、行動を変えられないでしょう。
未来があるのです。委縮しなくていいのです。そのために、誰かを頼って過去の辛い体験・苦しい記憶と向き合い、負の感情に対処し、やがてそれでも私は大丈夫。安心安全を感じて、私には輝く未来がある。夢を追いかけていい。と思えるようになってください。必ずできると思います。一礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。
ご丁寧に2度も挨拶をいただきありがとうございました。
辛い時や苦しい時は、立ち止まり、足元を掘り起こして、そこに何があるのかを確かめて、これからの生きる力に変えるものを見つけるチャンスでもあります。
辛い記憶や怖さや罪悪感を掘り起こせば、あなたが一生懸命生きてきた姿が浮かび上がるように思います。それが力になるでしょう。掘り起こして大丈夫となったら、大地にしっかり足をつけて、歩むを進めるあなた自身を想像してください。あなたはあなたです。それが素晴らしいことなのです。再礼
質問者からのお礼
中田 三恵様
ありがとうございます。
その先生にごめんなさいだけではなく、感謝の気持ちを抱けました。やさしいお言葉をありがとうございました。
釋 孝修
当時のことをあまり覚えておらず、ただ私が悪いことをしたという記憶に縛られていました。
どうしても自分が悪人に思えて、自分を追い詰めていました。
カウンセラーの方にも相談してみます。
子供の頃の自分を新しい目で見られるように、がんばります。
やさしいお言葉をありがとうございました。
失礼しました。釋 孝修様