人の言葉の裏を勘ぐる癖をやめたいです。
他人の言葉の裏を勘ぐってしまう癖があります。
会話や態度からなんとなくわかることが多いです。
当たってることが多いので、また嫌です。疲れます。
他人の評価を気にする性格であることやそういう人が周りにいたこと、仕事で相手が何を求めてるか察して先に行動することを求められたのでそういうことに敏感なのかもしれません。
どうしたらこの癖をやめられるでしょうか。
気にしないようにすることが難しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
直感的だからやめられない
自転車に乗れるようになった人は、一生そのバランス感覚を忘れずに直感的に自転車を倒さずこげるでしょう。
あなたの勘ぐりもその領域に達しているので、思い付いてしまうこと(気付いてしまうこと)は止められないのではないでしょうか。
また、中高年がダジャレ上手になるのは、脳細胞が減って今まで繋がっていなかった回路同士が繋がり、創造性(アイデア)が向上するからだそうです。
なので、あなたも年齢と伴に、(記憶力は衰えても)むしろ直感的ひらめきが鋭くなる可能性すらあります。
ただし、仏教では「法は無我である」と考えます。
法(ほう)とは、意識が認識対象とする情報全般、概念や思考等です。
それが無我(実体がない夢や幻みたいなもの、執着に値しないもの)であるというのは、
「頭で考えたことは夢幻みたいなものだ」
ということです。
頭で思い付いた勘ぐりは、あくまで「私がこう思ったことにすぎない」「妄想雑念かもしれない」もの。
なので、直感的に色んな勘ぐりが思い浮かんだら、その後に「・・・と私は考えた」と付け加えて思考を終えましょう。
そうすることで、「執着に値しない」と俯瞰できる可能性があるります。(と、お坊さんは思いました。)
質問者からのお礼
ありがとうございます。
諸法無我を知って、こうやって悩むことや時には勘ぐって思い悩むことも執着なのだなと思いました。
これからも勘ぐると思いますが、教えを思い出したら悩まなくてすみそうです。
「‥と私が思っただけ」というのもやってみようと思います。