看護師として人として
看護師になり数年が経ちました。
私が看護師になった理由は、①「その方の人生に寄り添いたい、人の人生に関われる仕事は素敵だ」というものだったと思います。高齢者施設での体験も通し、人生について深く考えていきたいと感じていたのだと思います。その気持ちも朧げなのが現在。初心を忘れ傲慢になったと思います。よく言うなら自己を優先できるようになったとでもいいましょうか…。
1年目は理不尽に上司に怒られたりサービス残業をたくさんしたり怒涛の日々を送ってきました。それでも初心は忘れていなかったと思います。どんな患者さんにも優しく、尊敬を忘れないで関わるのが私のモットーでした。でも少しずつ、「なぜ私が」「こんなにやってるのに」みたいな気持ちが出てきて、このままだとメンタルがダメになってしまうと思いました。気づくと自己を優先するという方法をとるようになり「自分だって人間だから嫌いなのは嫌い」という気持ちが強くなり、苦手な患者さんに優しくできなくなったと感じます。(もちろん虐待とかそういうのではないですよ。今語尾がキツイなとか、顔に出てるな…とか。)
そして、今は上も変わり残業代もつけさせてもらえるようになり精神が安定できる環境になったのに、最初の辛い環境の記憶が今でも私を引っ張り続けます。そして傲慢になってしまいました。今の後輩は前の環境とは違い上司が手厚くしている様子を見て「私の時はこんなに甘やかしてもらえなかったのに」と感じてしまい、自分って最悪だなと感じます。
自分が辛かったことは相手にはしない、そうしようと学生時代は考えていましたが今は後輩に優しくできているかも分かりません。
最初に書いた①、そんなきっかけや思いがあって就いた職業ですがそこも朧げなのです。今はお金のためです。もちろんお金が目的でもしっかりとサービスして仕事ができる看護師でも素敵だと思います。でも初心を忘れた自分には悲しくなりますし罪悪感もあります。今日こそ苦手な患者さんにも優しくしようと意気込んでもその患者さんの性格で苦手な部分に触れると逃げたくなります。
どうしたら人に優しく出来ますか?看護師としてだけではなく人として優しい人間でいたいという気持ちはありますがもう初心を忘れてしまいました。とても悲しいです。自分も人も大切にすること、そんなことは出来ますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
頑張っている自分を労って。心身のバランスは心を整える。
仕事の持つイメージ。そして理想と現実(現場)がありますね。追求していくと、しんどくもなりますよ。
シンプルに、「自分はなぜこの仕事をしたいのか」を大切になさったら良いのではないでしょうか。
私も保育の現場で働いてきましたが。実習で受けた感動とは程遠く、理想と現実がありました。子どもたちも保護者もいろんな人がいますし、先生達の人間関係や行事・発表会・舞台と、パワーのいる仕事でした。気持ちの余裕がなくなったり、仕事に追われると、子どもたち一人一人の顔を毎日思い出すことも難しかったり… 責任ある仕事は神経も使いますからね、心も疲れちゃいますよね。
ですがいつも私を支えたのは、自分の子どものように愛したいという気持ちでした。やっぱり子どもが好きで、元気をくれたのも園の子どもたち。そして、支えてくれた家族や恋人、プライベートな時間をしっかり充実させたことです。心身のバランスは、仕事へ向かう心を整えてくれますからね。
今 お寺の法務や在宅訪問ケアをしていますが、高齢者お一人お一人も、自分の親や家族のように想って接しています。だから、続けられていると思っていますよ。
ちゃんと頑張っている自分を労いましょう。また周り(家族や友人)からも労ってもらって。ちゃんと評価されたい気持ちも、根底にあるのではないかしら。
そして向き合う方々を、自分の家族のように大切に思えたら良いですね。
自分の子どもや家族が、園や学校、病院や施設で、丁寧に接してもらえていなかったら悲しいわよね。患者さんも同じじゃないかしら。
自分に思いやりを向ける練習をしませんか
ひよこ 様 相談ありがとうございます。
私のお寺には、看護実習生が毎年、死生観を学ぶために実習にやってきます。
その看護学生さん達には仏教の死生観もお話しするのですが、もう一つ必ずお話しするのが、コンパッショネイト・マインド・トレーニングです。
直接死生観にかかわる話ではないですが、
看護を続けていく上で、死に直面したり、過酷な現場を体験したりすると心身のダメージをかなり受けると思います。
その時に必要なのが、セルフ・コンパッションだと私は思っています。
そうです、自分に思いやりを向ける練習です。
当然、自分に思いやりを向けることは、他人にも思いやりを向けることになります。また他人からの思いやりも素直に受けるようになります。
そのコンパッション(=思いやり・仏教でいう慈悲のこと)の実践をしてみては如何でしょうか?
手順は、
安心安全を感じる。
有るがままの自分に気づく。
心地よいリズムの呼吸で、心を落ち着ける。
そして、思いやりを学び、感じ、実践していく
ということになります。
参考書をお伝えいたしますので、是非とも手に取って実践してみてください。
『コンパッション・マインド・ワークブックーあるがままの自分になるためのガイドブック』(クリス・アイロン (著), エレイン・バーモント (著))です。
上記のことを私も学び実践しておりますので、どうぞ遠慮なくご相談ください。
思いやりを自分に向けるということは、自分を甘やかしたり怠惰にすることや、
まして自分に厳しくすることとは違います。そんな違いも分かるようになってきますので、是非取り組んでみてください。
一礼
はじめまして、ひよこさん。
はくりょうと申します。
まずは日々の業務お疲れ様です。数年経過して、今はもうバリバリなんでも出来る頼れる主任さんでしょうか。
初心を忘れた?いいじゃないですか。業務と指示を忘れてなければ。
自己を優先?さすがじゃないですか。自信がついてきた証拠ですね。
人に優しくできない?ひよこさんに限って、そんな事はありません。
ナースになって早数年、もう成り立てと言う甘えも効かず言い訳もできず、色んな病状病気を診て、色んな人を見て、たくさんの貴重な経験を積まれたのですね。
目の前で患者さんがステるのも、我ら坊主にはなかなか出来ない経験です。
初心を忘れたとおっしゃいますが、記事に細かく書かれているのは、忘れてなどない証拠。
自分優先にできるのは、業務を最優先するためのスキルの一つ。
そして「どうしたら人に優しく出来ますか?」と相談するのは、すでに優しい人の証し。
医療業務に携わるお人は、前世でも魂のレベルで優しさを磨いて来られた方々ばかりなのです。
ひよこさんのように「人を観て人を治す」のは、我ら坊主には絶対できないことです。
もうお分かりですね?ひよこさんが業務を元気で頑張る事こそが、「自分も人も大切にすること」なのです。
ひよこさんのご健康とご多幸をお祈りいたしております。お身体だけは壊さないようにご自愛くださいね。
はくりょう拝