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昨日、入居者の方がお亡くなりになりました。状態は良かったのです
関係ないと思いますが定期回診で医師からの指示で採血を行なった直後から
容体が少しずつ悪くなり翌日には飲食が出来なくなりました。懸命に生きようとしている姿を見て何も出来ずに見守る事しか出来ない歯がゆかったです
定期的に呼吸の確認をして口腔スポンジで唇を湿らす、舌が傷ついていたので
看護師からの指示でワセリンを塗布したり‥それくらいしか出来ませんでした
その方は食事が一部介助ですが自力でほぼ召し上がって頂けていました。食べ終わった物を下膳すると「すみません、ありがとうございます」満面の笑顔で仰ってくれていました。昨日、その方の近くに座っている方の食事介助をしている時に容体が悪くなる前は当たり前のようにいてくれたのにいないことに感情が抑えきれず涙が止まりませんでした。今までもお亡くなりになった方を見てきましたが今回はどうしても蘇ってくるあの日の採血さえなければいてくれたと思ってしまうのです。結果論に過ぎない事は分かっています。人には寿命があるのですが
突然すぎて自分の心が付いていけません。ここまで自分が抑えきれなくなるなんて思っていませんでした。もう、あの笑顔に会えません。お見送りの時は逃げたくなりましたが他のスタッフが「お見送りしてあげよう」と背中を押してくれ
最期を見送れました。今も涙が溢れそうです。何故、今回だけこんなに悲しいのか分かりません。ご家族様にお気に入りのひざ掛けを渡して棺に入れられるようでしたらお願いしますと伝えました。数日後には新しい入居者の方が来ます
今の精神状態で受け入れることが出来るのか‥どうしたら私は今の状態から抜け出せますか?ここまで拘ってしまうのはどうしてですか?
立て続けに最期に当たってしまうのは私の日頃の行動が悪いからですか?
どうしても今回の死は私の人生に深く残りそうです。初めての経験で戸惑っています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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死は悲しいことではありますが、不幸なことではありません。
お寂しくなりますね…
最期をお看取りするのは、いつでも悲しいものですね。関わりがあった方でしたら、余計に胸が苦しくなりますよね。
あなたに、優しく声をかけてくださる方だったのですね。共に過ごした時間が、笑顔が、忘れられないことでしょうね。
死は悲しいことではありますが、不幸なことではありません。この方の人生の最期に出会うことにはなりましたが、この方が生きてこられた中で、多くの喜びや幸せも重ねてこられたことでしょう。あなたが知る部分は、ご高齢になり介護が必要になられた期間。ですが、この方を想う大切な人たちが、この方を愛し、この方の意志は受け継いでいかれることでしょう。そうして、この方のいのちは、後の方々が生きる支えとなっていくのです。
あなたもまた、この方が生き抜かれたお姿を思い浮かべながら、この仕事の励みにしていかれたらいい。あなたの務めが、この方の最期を支えたのですから。
死は、大切ないのちの学びをさせていただくのですよ。そして、終わっていくものではなく、仏法を聴くご縁に繋げてくださる。仏様がお救いくださり、また遇える世界へと導いてくださると聴かせていただくと、この死は別れではなく、また遇える仏縁になっていくのです。仏様に救われていくいのちですもの。決して不幸ではないのですよ。
一緒に手を合わせましょう。
ありがとう〜またね と。
合掌