般若心経(2)
「舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減」
これが第二のキーフレーズです。
「諸法」について花山勝友先生は「この世の中のあらゆる存在や現象」と解釈されていますので「宇宙」と解釈するのが正しいと思います。
横道にそれますが、「空相」は「空の姿」ですから、それに対比する「実の姿」があっての「空相」です。
従って本来はその前に「是諸法実相 生滅 垢浄 増減」(諸行無常)があるべきです。
「如是我聞」は釈尊が弟子(比丘)に説教するのが大部分ですから、常識的な会話は無に近いです。だから重要な「輪廻転生」の話はほぼ皆無です。
ここでも「諸法実相」が省略されたのでしょう。
では「諸法空相」に戻って、ちっぽけな「色」(身体)の説明になぜ宇宙を持ち出さなければならないのか不思議です。ここがキーポイントです。
「空の姿」の宇宙は自然界で唯一「閉じた系」です。
「閉じた系」の有用性は、皆様も中学、高校時代に物理で教わったように、「エネルギー保存の法則」です。
同じ空相でも「閉じた系」でなければ、「不増不減」(一定量)とはなりません。だから「色空相」として説明できないから宇宙を持ち出したのです。
これで「空(空性)」が「エネルギー」であることが確定したのです。
「是故空中、無色、無受想行識 無眼耳鼻舌身意無色声香味触法 無眼界
乃至 無意識界、無無明 亦無無明尽 乃至、無老死、亦無老死尽、 無苦集滅道、
無智亦無得、以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃」
「是故空中」とあるので、諸法空相を受けて、宇宙全体をエネルギーと見做せば、総てが無になることを説明したに過ぎません。
以上が「色即是空 空即是色」に関する説明です。
明治時代以前迄は、釈尊が悟りを開いたとき「これは非常に高尚で誰も理解できないだろうと」と布教を諦め、「この喜びのうちに生涯を終えたい」と神通力を駆使して自殺をし、彼岸に渡って「梵天勧請」事件を経て、再び生き返り諸転法輪を回したほど、難解な内容でしたが、現代では教科書で学ぶほど、「般若心経」は科学的常識となったのです。
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科学から保健体育と道徳へ
医者の不養生という言葉がありますね。
科学的な結論から、保健体育と道徳、つまりは日常生活の悩み苦しみの軽減策にどうつなげるかが重要ですね。
梵我一如、一即一切一切即一的な三昧の境地だけなら、下手すりゃ違法ドラッグでも近い境地を味わえる可能性もある。
また、仏教以外の瞑想や修行でもその境地(科学的な結論)にはたどり着けるかもしれない。
しかし、それを日常生活の煩悩の制御や悟り(煩悩の消滅)にどうつなげるかは、保健体育や道徳的なノウハウの領域になりますね。
仏教の本格的な修行は、科学的な「空」から始まるのかもしれません。
質問者からのお礼
願誉浄史御住職様 ご指導を有難うございます。
般若心経は真実を述べていますから、科学と一致するのは当然ですね。
それは濾尽智通の瞑想から得たものですから、同じ結論にたどり着けるのは至難の技でしょう。
日常生活の煩悩の制御については、むしろ阿含経の分野でしょうか?
「厭離」、「離貪」にどのようにしてたどり着けるかのノウハウを示して下さることが重要かと考えます。