復讐したい気持ち
パワハラを受けた上に左遷させられました。恨まないよう毎日 自分なりに努力していますが 半年経っても心の中から憎しみが消せません。良くないこととわかっているのに死ねばいいのにとか、事故に会えばいいのにと妄想が頭から消せません。自分が嫌になってしまいます。どうしたら このような気持ちを無くすことができるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
みんな流すんです。あなた自身のために。
いまからもう20年近く前になります。私の同期生が1人自死しました。理由は明らかに報復人事、嫌がらせだと私は思っています。同期生それも業務について未経験のものを彼の上席に据えたんです。職務遂行能力は明らかに彼が勝っていましたし、同期ですから資格は同じです。理由は彼が反主流派の頭目の1人と目されたいた方のたまたま部下になって一生懸命に働いていたからでしょう。彼は単に不運でした。その後。気分障害を罹患し、その次の異動内示の時に昇格がないことを儚んでその日に自死しました。会社や人事の不条理を本当に感じさせられました。奥さまは会社関係者の参列を拒否されましたよ。いま思い出しても辛いですね。しかしどうすることもできません。娑婆世界で生き抜くには強さと図太さがいります。そんなどうしようもない上司を恨んも、あなたの気分をがいするだけです。向こうの世界はしたこと、されたことがすべて明らかにされる世界です。あなたに対する嫌がらせ、パワハラ、左遷は厳しく吟味されて、すべてその上司の業として積増しされます。彼を裁くのは彼自身です。
あなたはあなたの生を全うしなければなりません。そんなことに気持ちを煩わすのではなく、いかに前向きな明るく生きて、娑婆世界で貯金をたくさんしていくのかのみを考えてください。
ご多幸を心からお祈りしていますよ。浄光寺
「復讐」よりも「福修」
ハスハコ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
恨みにお苦しみのご様子・・
仏道におきましては、恨み、憎しみ、嫉妬などに耐え忍ぶという「忍辱(にんにく)波羅蜜」という修行の実践がございます。煩悩に負けず、他を傷つけるという悪業も積まずに耐え忍ぶということになります。
お気持ちは分かります。分かりますが、仏教的には、煩悩に負けて、悪業を積んではやはり宜しくないこととなります。
「感興の言葉・ウダーナヴァルガ」(中村元氏訳)・岩波文庫・第14章・「憎しみ」から・・
「実にこの世においては、およそ怨みに報いるに怨みを以てせば、ついに怨みの息むことがない。堪え忍ぶことによって、怨みは息(や)む。これは永遠の真理である。」
「怨みは怨みによっては決して静まらないであろう。怨みの状態は、怨みの無いことによって静まるであろう。怨みにつれて次々と現れることは、ためにならぬということが認められる。それ故にことわりを知る人は怨みをつくらない。」
逆に恨みを持っているその者に対して、慈悲の思いを向けることによって煩悩を対治することも一つとなります。
煩悩、無知によりそんなことをしてしまう者を憐れんであげて下さい。
そして、どうか煩悩による「復讐」よりも、慈悲によっての善い行いに勤め励むことでの福徳の修習としての「福修」を積むことで、幸せへと至る因縁(原因と条件)を調えて参りたいものでございます。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。今までは堂々巡りの考えを繰り返すばかりでしたが、前を向いて生きて行きます。まずは復職に向け1日1日 大切に過ごして参ります。
ありがとうございます。恨んでいる相手への慈悲の心は難しいですが、何とか恨みを消せるよう努力して参ります。