職場の先輩に反抗的な態度をとってしまった回答受付中
お世話になります。
自身は30代半ばの男で
転職して1年程の会社で高圧ガスの
営業兼配達をしております。
社長の事も大好きで大切な職場です。
超体育会な職場でもあり
先日ですが可愛がって頂いている先輩に
自身も聞いていない事で怒られた事もあり
先輩からしばくぞとの言葉を頂き
自分も反応してしまいしばいてみろやと答えてしまいました。
そこから先輩は火がつき自分の事を否定する言葉を強く言われました。
その先輩は大好きですが酔ったり
忙しく余裕がなくなると怒りっぽくなる癖があり社長もその辺りは理解をしており、
その先輩にも普段は自分も時には冗談を言われたり賑やかにもしていたのですが
今回言い返した事により挨拶などや仕事の話はするのですが冗談を言われたりするのがなくなりました。
社長も今回の件は会社での問題もあるとの認識で自分も社長に引き抜いてもらったので会社にも恩はあります。
ただその先輩と少し距離が空いたのかということが少し心配です。
周りの先輩等は気にするなと声をかけてくれたりと有難く思っています。
上記のことで少し悩んでおります。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
先輩が反省して自粛されている証拠。見守りながら、いつも通りに
売り言葉に買い言葉。先輩の挑発に、ついつい反応をしてしまったのですね。先輩も、あなたも、大人げなかったですね…。
あなたの知らないことで、先輩は怒ったのですよね。しかも、暴言で。あなたにとっては、理不尽であり、なぜそんな態度を取られなくてはならないのかと、腹立たしかったことでしょう。
結局は、大ごとになり、社長にも話が伝わったわけですから、これでよかったのですよ。仕事中でのトラブルは、社長が把握の上で、社内対応をしてもらいましょう。
先輩は、怒りっぽい人なのですね。今回のことは、先輩の誤解から始まったことであり、あなたを傷つけて、社長や周りにまで迷惑をかけた。大反省なさっていることでしょう。
先輩と少し距離が空いたのは、先輩が反省して自粛されている証拠です。そっと見守りながら、あなたはいつも通りにお仕事をなさってくださいね。
周りの先輩方が、上手くフォローをしてくださると思いますよ。
人間関係は変化する
たった一言がそれまで時間をかけて築いた大切な人間関係を壊してしまうことはよくあることです。
釈尊は「荒々しいことばを言うな。言われた人々は汝に言い返すであろう。怒りを含んだことばは苦痛である。報復が汝の身に至るであろう。」と、言葉を慎むことの重要さを盛んに説いています。
これはあなたにも、そして先に暴言を吐いた先輩にも通用することです。
あなたがその先輩のことが大好きで、以前の関係をどうしても取り戻したいというのなら、謝罪の場を設け、先輩が許してくれるのを待つしかないでしょう。
ただし、先輩に二度とそんな暴言を吐かれたくないという思いがあるのなら、これを機会に先輩との関係を改めるのもいいでしょう。
職場の人間関係で、無理に我慢する必要はありません。
私が人生の先輩としてあなたにアドバイスするなら、周りの先輩等と同じく「気にしなくていい」です。
“つながり”を保つための仏教的視点
ご相談の内容には、深い誠実さがにじんでいます。
職場も社長も先輩も大切に思いながら、同時に人間関係の微妙な空気の変化に心を痛めておられる。
その姿は、まさに「人を想う心」と「立場の責任」のはざまで揺れるお姿です。
1. 怒りの本質を見つめる
仏教では「瞋恚(しんに)」
怒りは三毒の一つとされますが、同時にそれは“熱意の裏返し”でもあります。
あなたも先輩も、仕事や仲間への想いが強いからこそ、衝突してしまったのです。
怒りとは「自分の理想が裏切られたとき」に湧くもの。つまり、そこには“理想がある”ということです。
お二人の心の奥には、仕事を良くしたい、仲間でいたいという願いがきっと共通してあります。
2. 言葉より「態度」で伝える
いま先輩が距離を置いているのは、あなたを嫌っているのではなく、「どう接したらよいか分からない」状態かもしれません。
仏教では「無言の布施(むごんのふせ)」という行いがあります。
それは、言葉ではなく、態度やまなざしで思いやりを示すこと。
たとえば、
先輩の作業を少し手伝う
感謝の言葉を短く伝える(“ありがとうございます”“お疲れ様です”だけでも)
こうした小さな布施の積み重ねが、再び信頼を結び直す縁になります。
3. 「距離」も修行のうち
今は、心の間に少し“距離”があるかもしれません。
しかし仏教では「遠き縁も、また近き因(いん)となる」と説かれます。
いま離れていることが、長い目で見れば、お互いの心を育てる時間にもなるのです。
無理に元に戻そうとせず、「この静けさも修行の一部」と受け止めてみてください。
焦らずとも、心からの挨拶と仕事への誠実さが、やがて沈黙の橋を渡してくれるでしょう。
4. まとめ
あなたは既に“謝る勇気”も“感謝の心”もお持ちです。
その心を行動に変えながら、「今できる最善」を一歩ずつ積み重ねていけば大丈夫です。
仏教では「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」
どんな場面でも、自分の在り方が修行であると説きます。
怒りのあとに残る静けさを、どう生きるか。
それを見つめる今こそ、あなたの心が磨かれるときです。
合掌