寛容な心の持ち方
ご相談させていただきます。
最近新しく職場に入ってきた私より一回り以上年上の新人についてです。
その人は、社会経験が少ないのか、言動がとても幼稚で学生のような振る舞いをしています。
一般常識も欠けているようで、小学生でも知っているようなことを聞いてくることがよくあります。
悪い人ではないのは理解しているのですが、距離感が近く、馴れ馴れしく接してくるその人に苦手意識を持っています。
未経験の業種への転職らしいため、周りは寛容に接していますが、私はそのお気楽な態度が気になり、うまく接することができません。
自分の感覚が「厳しすぎる」のも自覚はありますが、寛容に接していくには、どう気持ちを切り替えれば良いのでしょうか。
ぜひご教示いただければと思い投稿させていただきました。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
寛容、の先を考えては?
こんばんは。ご自身でも「自分は期待値が高すぎるのでは」とのことですが、感じてしまうこと自体を変えるのは、きっと大変なことでしょう(それを試みることは価値あることでしょうけれど)。
まず最初に大事なことを一つだけ。寛容であろうとするときも、「あなた自身の疲れない距離」を確保することが前提です。相手のために無理をして近づく必要はありません。あなたの安心が守られてこそ、人間関係は整えられます。
さて、お尋ねについては「こちらの期待値を下げる」というのがシンプルな対応ではあります。「新卒の子が来たと思って」という、こちら側の基準を少し下げてみるという方法です。ただ、これは諦めるという意味ではありません。
仏教では、人はそれぞれに因縁…背景や歩んできた流れを背負って今ここにいます。その方の「幼い振る舞い」も、あなたの責任ではなく、その人の因縁がそのまま表れているだけです。だから期待値の調整は「見捨てる」ではなく、「その人の現在地を正しく見る」ということなのです。
こうした見立てを踏まえると、次の一歩が踏み出しやすくなります。具体的には、二段階で接する方法です。
一つめは、人間関係の土台をつくる段階。まずは「必要な範囲だけ丁寧に接する」ことでよいのです。あなた自身の安全圏を守りながら、業務に必要な部分だけを整えていきます。無理に仲良くなろうとする必要はありません。
二つめは、その関係が少し安定したら、あなたが望む「対等な仕事仲間」へと少しずつ促していく段階です。言葉遣いや距離感については、一度相手の言い方に応じた上で、「こういう聞き方の方が私は話しやすいの」と伝える。相手がそれに応じた行動を見せたときには「ありがとう。最近は〜してくれるから仕事がしやすいわ」と評価してあげる。依頼→行動→評価、という流れを作ることが大切です。
馴れ馴れしさが苦痛なときは、無理に合わせる必要はありません。その部分は「距離を取りつつ、業務は丁寧に」という線引きが十分に丁寧です。
寛容とは、あなたが我慢することではなく、「人に応じた距離感を見つける」ことです。相手を育てるためにも、あなた自身を守るためにも、段階を意識しながら関わってみてはいかがでしょうか。
できるだけ想像力を豊かにしてみる
おれんじ様
はじめまして。
「寛容にしていくにはどう接したら良いか」のご質問ですね。
距離感が近い、幼いなどの特徴がお有りの方なんですね。
私の頭の中は「もしかしたら、もしかしたら…」という言葉でいっぱいになりました。
例えば「もしかしたら(断定ではない)発達障害の特性がお有りなのかも知れないな」とか「アダルトチルドレン、生き辛さがあるのかも知れない」「壮絶な生い立ちがあった」「事情を隠されているのかも知れない」etc…
少し離れた所から観ると寛大になれるかな?と思いました。
もちろん、発達障害以外にも色々考えられます。
二重三重に障がいがある方もおられます。
理解してあげなきゃ、と思うより
「そんな方なんだな」と「そのまま」を認めるのが良いかも知れません。
私も「あなたには欠点もあるけれど、無理はし過ぎなくていいよ」と言われたら安心できたりがんばれたりします。
おれんじさんの少しでも寛大になろうとする努力が、温かさが、私は素晴らしいなと感じました。
因みに「〜するべき」「〜ねばならない」という思考を緩めると気楽になれますよ。ご参考まで(^^)
観音三十三身
観音さまは三十三の姿に身を転じて衆生を救うとある。
これは三十三とは無限の意味。時、場所、相手に応じてそこで必要な救いのアクションを行なうということです。
つまり我がない。アタシ、オレがない姿勢。
観音さまとは空想や絵空事ではなく、誰の中にもある無我の作用のこと。
おのれという意識、アタシ、オレ、自分という意識が強くなると人間観音三十三身の功徳、無我無心の功徳を失するのです。
確かにその人は尊大だったり、無礼だったり、礼節にかけるところがあるのでしょう。ですが、その人と同じテンションで関わってくるお友達や同級生もいるでしょう。そういう人たちであればさほど害悪を感じないということがある。同じ言葉遣いでも、乱雑な言葉でも傷つきも減りもしないということがある。条件付けがないからなのです。
人間いつの間にか、どこかにマイルール、わたくしルール、自分ルールが生じ始めてしまう。自分の方が上だ、先だ。
そのいつの間にか生じたわたくしルールに反する事案・存在があると何とも許しがたい気持ちも生ずるのです。
無我とは難しい姿勢ではありません。
人間はモノを見る、聞く、触れる、出会うその瞬間。最初から無我で自分ルールなんてありゃしません。試しに目の前に✌の形をしてみてください。そこにはまだ意味なんて、ない。
「これはなんだ?」と問いかけた時、初めて意味をつけ始める。
2だ、チョキだ、Vだ、ピースだ。✌
角度、解釈によって異なる、ルールや意味づけによって物事は後から人間のルール、我が入り込んで意味が添えられるものなのです。その道理を知識として知るだけでも良いです。心底体感するには坐禅・静慮してものの真実の姿を明らめればいいでしょう。
あなたが、その人の態度によって毎回毎回心が揺らいでしまうのであれば、まずはこちら側がそのアクションから影響を受けないよう、自分の我やルールを立てない無我のスタンスに安住することです。次回、実験してみましょう。
またその恵まれない環境でお育ちになられたお方?がいつものようにライトな学生テンションで言葉を発する時。黙~って数秒、十数秒、数十秒聞いてみる。聞き流す。聞き届ける。見届ける。するとあなたの中の無我の観音三十三身功徳が発動して、かわせるようになる。元々何でもなかった状態に帰するでしょう。
結果、寛容。
結果、害悪なし。
結果、人畜無害。無問題。
合掌



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