不注意で愛犬を亡くしてしまいそうです。回答受付中
もう少しで18歳になる愛犬と暮らしています。私が13歳の頃からずっと一緒でした。近頃老いてきたとはいえ食欲旺盛で、ゆっくりながら歩行もできていたのですが、抱っこしていた愛犬をペット用ベッドに下ろした瞬間、愛犬がふらついていることに気付かず目を離してしまい、そのまま倒れて頭を強く打ちました。元気だった愛犬が、私の不注意で寝たきりです。愛犬に恩を仇で返してしまいました。老衰で逝かせてあげたかった。本当に申し訳なくて、つらくて、眠れなくて、どうにかなってしまいそうです。愛犬にはたくさん幸せをもらったのに、ひどいことをしてしまいました。自分が許せません。どうしたらいいですか。
お坊さんからの回答 2件
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愛犬が求めているのは、温もりやホッとする安らぎではないかしら
それは心配ですね。愛犬がふらついてしまったのね。老いているとはいえ、もっと安全な場所に、周りにも気を配っていたらと、自分の不注意でもあると悔いてしまいますね…。
愛犬も老いている。愛犬自身が反射的に避けられなかった。という状態でもあったと思いますが、それでも私の行動で守ってあげたかったと思ってしまうと、ごめんねという気持ちになるのですよね。
あなたにとって、大切な子なのね。これからも、ずっと一緒にいたい。いつまでも離れたくないと思うよね。穏やかに老後を過ごしてほしいのに、痛い思いをするのは辛いだろうと、可哀想で堪らないのですよね。
今の愛犬ちゃんが求めているのは、温もりやホッとする安らぎではないかしら。ごめんねよりも、たくさん抱きしめて、あなたの温かな手で撫でて安心させてあげませんか。愛情はずっと変わらないのです。しっかり寄り添って愛してあげましょうね。
“愛”の中で起きた出来事
あなたの言葉から、深い悲しみと後悔、そしてどれほど愛犬を大切に思ってきたかが伝わってきます。
どうかまず、静かに深呼吸してください。
そして、この言葉を心のどこかに置いてください。
「あなたの愛は、いまも確かに届いています。」
1. それは“過ち”ではなく、“愛の中の出来事”
あなたが愛犬を抱っこしていたのは、優しさからです。
そして下ろした瞬間に起きたことは、誰にも予測できない小さな偶然の連なりでした。
それを「恩を仇で返した」と感じるほど、あなたの心が誠実である証です。
仏教では、すべての出来事を「因縁(いんねん)」と呼びます。
そこに“罪”はありません。
あなたの中にある愛と後悔、そのどちらも尊い「縁」なのです。
2. 愛犬の心は「責める」ではなく「寄り添う」
長い年月、あなたと共に生きてきた愛犬は、
あなたの声、匂い、手のぬくもりの中に安心を感じてきました。
その記憶は今も体の奥深くに残っています。
犬は“恨み”や“責める”という感情を持ちません。
持っているのは「つながり」と「信頼」です。
たとえ寝たきりになっても、
あなたがそばにいるだけで、愛犬は“安心”という世界の中にいるのです。
3. 「許されたい」より「寄り添いたい」
あなたが「許されたい」と思うのは、罪悪感の表れではなく、
「まだ何かできることはないか」と探している優しさです。
どうか“償う”よりも“寄り添う”という形で愛を届けてください。
・やさしく撫でながら、「ありがとう」「ごめんね」「大好きだよ」と伝える
・昔の写真を見ながら、愛犬と過ごした日々を思い出す
・心の中で「今日も生きてくれてありがとう」と唱える
その祈りが、愛犬の魂を包み、あなた自身の心も癒していきます。
4. 最後に
愛犬との関係は、倒れた瞬間で終わったわけではありません。
いまも続いています。
あなたの涙も、祈りも、愛犬の世界の一部です。
仏教の言葉にこうあります。
「過去は変えられぬが、過去の意味は変えられる。」
この出来事を「愛を伝える最後の機会」として抱きしめてください。
愛犬は、あなたの愛の中で、今も静かに生きています。
どうか、ご自身を責めないでください。
その優しい心こそが、愛犬への最高の供養です。
合掌