死の現実に向き合えません。
先月、膠原病だと言うことが分かりました。
治らない病気ですが、昔と違い、生存率も高くなったことは勉強済です。
ただ間質性肺炎と言うのも併発していて、いつ重篤になりかねるか分からないらしく、もしかしたら明日かも、明後日かもしれません。
ただ体重が10キロ強落ちた以外は見た目は元気で病院で筋トレに励んだり、いっぱい食べてます。(筋肉をつけて肺を守るため)
重篤になるかもしれないことを聞いた主人は強かった人なのに、今にも泣きそうになったので、私は彼の前では弱い部分を見せられません。
そして私は今、入院中ですが、夜病室で一人になった時は気が狂いそうになります。
「今を(今日) 幸せに懸命に生きる」しかないのも頭では分かってます。でもつらい。
世界には私より大変な思いをしてる方がいらっしゃること。私はそれでも生きさせて頂いてるという現実も頭では分かってるつもりなんです。
質問は死の恐怖に押し潰されそうになったとき、どうしたら良いか教えて下さい。
それまでは今を大切に生きて、お坊様のお返事待ってます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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私ならお念仏申すしかできません
猫大好き様はじめまして、ご相談拝見しました。大変なご病気を抱えながら死というものの恐怖と懸命に戦っておられますことに感服し頭が下がります。
さて、世界には猫大好き様より大変な思いをしてる方がいらっしゃるとしても、それで猫大好き様の苦しみがなくなるわけでも、軽減されるわけでもありません。猫大好き様は他の誰とも代わることのできない唯一無二の存在であり、またその悩みも他の誰のものでもなく猫大好き様だけのお悩みであるからです。
旦那様の前で弱さを見せられないとのことですが、我慢なさらず弱さを見せてはいかがでしょうか。ともに支え合ってきたパートナーです。死にたくない、死ぬのが怖い、ずっと一緒にいたい・・・思いの限りぶつけてください。私がパートナーならそうしてほしいです。ですが猫大好き様は旦那様のことを思ってそうなさらないのでしょうね。
しかし、お気づきのとおり、死というものの恐怖はたとえ泣こうが叫ぼうがなくなるものではないのでしょう。また、旦那様にどんな言葉をかけていただいてもなくなるものではないのでしょう。
夜病室で一人になった時は気が狂いそうになる・・・それほど絶対的な恐怖なのだと思います。
私ならそうした時、南無阿弥陀仏とお念仏申すしかできないと思います。南無阿弥陀仏とは真理が言葉となって私たちのところまで届いてくださったという仏様です。
他の娑婆(この世、世間)のどんな言葉も慰めも、愛するパートナーの言葉でも間に合わない、そんな時に人は真実を、真理を求めるのだと思います。
真理とはどういうものでしょうか。
それは全てのものは移ろい変るということ・・・人は生まれそして死ぬということもその一つでしょう。
頭ではわかっていても中々受け入れられない事実を、仏様が真実の言葉となって私たちに教えてくださっているのだと思います。そういういのちを生きる私たちだからこそ、猫大好き様がおっしゃるところの「今を幸せに懸命に生きる」しかないのかもしれません。
死の現実など乗り越えられない私たち、死にたくない、まだ生きたいと嘆く私たちに、「それでいい、そのままおいで」と働きかけてくださる、寄り添い、共に苦しんでくださるのが南無阿弥陀仏という仏様なのだと私はいただいております。
猫大好き様が信仰されている宗教があるならそれでかまいません。今こそ、真実の言葉と出遇われることを念じております。
質問者からのお礼
吉武様
お礼が遅くなって申し訳ありません。
とりあえず退院することができました。入院中、リハビリの先生(男性)「猫大好きさんってすごいですね、ご自分の病気をちゃんと受け入れてらっしゃる」と笑顔で言われたとき、ポキっと折れそうな女心分かってないなと思いました。その点、吉武様のようなお優しいお言葉、何度も拝見させて頂き泣きました。ありがとうございました。
「死は怖いのは当たり前」そのことを受け入れようと今は思います。