故人の宗派と異なる葬儀
ここ数年、親族が相次いで亡くなっています。
亡くなった大叔母は先祖代々浄土真宗本願寺派で、ご住職とも懇意になさっていました。けれど、跡継ぎの息子さんはキリスト教徒でした。
その大叔母亡き後、葬儀もお墓もキリスト教式でした。
お墓も先祖代々の墓を墓じまいし、他のお寺経営の大規模霊園にうつされました(息子さんの家はそちらが近い)。
先日亡くなった叔父は先祖代々真宗大谷派でしたが、奥様は創価学会の学会員です。
葬儀は学会形式(?)でした。
それぞれ個人が生前にどのような希望をされていたのか存じません。
けれど、亡くなった方の葬儀なのに、当人とは違う宗派での葬儀に疑問と不安があります。
葬儀というのは喪主の都合に合わせて行われるものなのでしょうか?
特に仏教徒だった大叔母がキリスト教のお墓に入っているの見ると、果たして無事に成仏できているのだろうかと不安になります。
祖母のように大変慕っていた方だけに、ずっともやもやしています。
大叔母はちゃんと成仏できているのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなた自身が迷わないように
ご相談読ませていただきました。
浄土真宗は「浄土真宗のお坊さんに葬儀をしてもらったら成仏できる」というものではありません。必ず救うと誓われた阿弥陀如来の救いを信じて往生成仏させていただく教えです。大叔母さんがお念仏一筋の人生を歩んでおられたら、葬儀がどこでも問題はありません。
…あまり心配し過ぎると、大叔母さんではなくとっこさんが迷ってしまう可能性もあります。あなたが迷うと逆に大叔母さんがあなたのことを心配してしまいますよ。(それでも心配してしまうなら、お寺などでご法話をお聞き下さい)
葬儀の件ですが、故人の都合や希望が意思表示されてない事が多く、結果として喪主の都合を前に出しやすい、とは思います。(最近はエンディングノートなどが広まり始め、自身の死について考える機会が増えてきたようにも思いますが)
また「先祖代々からのウチの宗派」という認識はあっても「私は無宗教」、つまり「ウチは◯◯宗だけど私はよく解ってない」くらいの認識の方が多いです。厳しい言い方をするなら、いくら先祖代々続いてきたからといっても「自分が大事にしてないものが続いていくはずがない」のです。
現代は無宗教の人が喪主になったら無宗教葬を選ぶこともある時代ですから、自分の信仰をお持ちの方が喪主になられたら、その方の都合(信仰)が葬儀に反映されやすいでしょうね。「ウチの宗派」を大事にしていきたいのなら、まず「私」が大事にしよう!その姿勢が必要だと思います。
大叔母さんの件と葬儀の件2点、私なりにですが、お答えさせていただきました。何かしら考えるヒントやきっかけになれば幸いです。
質問者からのお礼
慈海さま、ありがとうございました。
大叔母は信心深い人でした。
なので、心配はいらないのですね。
安心しました。