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死の恐怖からどうしても抜け出せない回答受付中

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有り難し有り難し 1

お久しぶりです、最近死が怖くなってしまったので投稿します
25になりましたが後半分で還暦になってしまうと思ったことと年月も早く感じてきてどんどん怖くなってしまいました
死んだらどうなるのか極楽へ行くのか地獄に行くのか地上を彷徨うのかそして最終的には輪廻で記憶が無くなってしまい自分その物が無くなってしまうのかと考えてしまいます
道行く人、テレビに出てくる人の中年か年寄りの方を見かけると20年か10年かそれとも近いうちかと思ってしまってとても恐ろしいです
周りに相談しても今考えてもしょうがないから受け入れようとか今を満喫しようとか寝てスッキリしようと返ってきて趣味だったり寝たりしたんですけど一旦和らぎますがその後からぶり返してきてしまいます、やはり怖いものは怖いです
こうしてる今も少しづつ死が近づいてきて生きてる瞬間も怖いです、一体どうしたらこの苦悩から抜け出せますか
それともこういう考え方をしてしまう自分が可笑しいのでしょうか

2026年6月26日 20:16
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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

カラ念仏から実念仏へ

 こんばんは。以前の問答も拝見しました。「念仏念仏言うけれど…」というタイトル。カラ念仏のこととか、本願ぼこりのお話がありましたね。
 私も僧侶の資格を頂いて30年ほどになりますが、実際自分のお念仏がカラだったのか、実ある物だったのかと問えば、最初はそうではなかったのだろう…というのが正直なところです。お寺に生まれたのでお念仏に接してきた時間は長いのですが、そこにどんな思い、どんな願いが込められていたのか?といえば怪しいものでした。
 しかし現在じつに還暦を間近にし、「ああ、自分の人生最大の問題への保証は、ここにあるのだな」という思いでおとなえしています。
「終わり良ければ全てよし」という言葉がありますが、お念仏は「終わり良し」を保証してくれる行為。「自分が亡くなる時は、仏様よろしくお願いしますね」という思いでおとなえしています。kairiさんはどうされていますか?
 お念仏のやり方にはいろいろあるのですが、教義的ではなく実践的に一番大切なのは「念仏一会」といって、「何回でも気が済むまでお念仏称える」というやり方です。「ああ、自分は死ぬのが怖いなぁ」という思いが浮かんできたら、すかさずおとなえする。「仏様、自分がこの世を去る時にはぜひお迎えに来て下さいね。あなたご自身がそう宣言したそうじゃありませんか。私の時にも、ぜひそれを守って下さいね」という気持ちを持って、口には南無阿弥陀仏を称える。気が済むまで、何度でも。一日に何万回と称える方もあるそうですよ。
「寝たりすれば一時は和らぐ」というのですから、きっとお念仏もあなたの気持ちを和らげてくれます。自分がそれを感知したら、取りあえず今日はそこまで。お金が掛かるわけでもなく、誰に迷惑かけるでもない。
 しばらくして、また恐怖が襲ってきたら…同じ事の繰り返しです。大事なのは「怖い怖い」と思っても、その対策を持ち、実施すること。こればっかりは、都度実行するよりないと思います。仏様は、「人間は死を怖がるもの」とご存じですから、その時にお念仏称えることができれば、仏様も「おお、分かってくれている」とお喜びになるでしょう。実践が大事です。そして、私も同じようにしています。

2026年6月27日 2:20
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

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