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母に会うのが辛く

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5年前、母が脳梗塞で倒れました。
重い後遺症が残り車椅子生活を余儀無くされました。リハビリ病院を退院後在宅介護生活が始まりました。
家事、子育て、仕事に追われ気持ち良く笑顔での介護ができませんでした。母も負い目を感じ辛い毎日だったと思います。

二年ほど経ち兄弟の近くの施設への入所になりました。本音のところ、楽になると安堵もありましたが、反面どうしようもない葛藤がありました。
入所後はどんどん覇気か無くなり、出来ていたことも儘ならなくなっていく様子を見るたび自分も辛くなりました。
食事も喉を通らなくなり衰弱してしまいました。胃ろう、点滴、あらゆる手段をつかってでも生きて欲しい…家族の思いは母はどう思っているのでしょうか 意思表示が困難になった今、母の気持ちを想像しながら涙が出るまいにちです。
とても優しく、家族の為に一生懸命で献身的だった母に同じような優しさで介護出来なかった事の後悔でいっぱいです。
悲しみ、辛さでいっぱいの自分で接したくないんです。どのように受け止めれば穏やかに母の顔を見れるのでしょうか


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

穏やかではいられないと思います。

ご相談読ませていただきました。

私の母も脳梗塞で数度倒れ、私が16歳の時に往生いたしました。
倒れる度に弱っていく姿を見るのは辛いものでした。
さぞお辛いこととお察しいたします。

おそらく今、百の言葉で励ましても、目の前のお母さんのお姿を見ると消し飛んでしまうかもしれません。それほど大切な方の老病死していく姿・現実は重く、苦しく、悲しいものです。そして大切な教えでもあります。

しっかり介護できなかった後悔もあるでしょう。ですが、しっかり介護できていたとしてもやはり、弱っていく親の姿を見るのは辛いものだと思います。「私はこれだけやったんだから最期の瞬間も穏やかな気持で迎えられるだろう」となるほど大切な方との別れは簡単ではありません。逆です。大切であればあるほど「もっとしてやれることはなかっただろうか」という思いになるものです。

悲しみいっぱいの自分でいたくなくても、お母さんを目の前にしたら辛さや悲しさが溢れてくるではないですか? でも、お母さんはきっと「お母さんの前でそんな姿を見せたくない」というあなたも、「お母さんの姿を見るのが辛くて悲しい」というあなたも、どちらもそのまま受け入れてくださると思います。

どれだけ衰弱しようと、どれだけ意思表示が困難になろうと、母は命終わるその瞬間まで母でありつづけるでしょう。「娘」として、しっかりと受け止めて下さい。

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有り難し
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2016年5月より登録させていただきました、新米回答僧です。 浄土真宗の...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
単なる励ましではなく、私の気持ちを理解して頂いたお言葉 しみています。
母は私が思っているよりずっと強い人なのかもしれません。かわいそうと思っている私を最後まで心配するのでしょう
母の姿を受け入れ、今までそして今身をもって教えてくれていることに『ごめんね』ではなく『ありがとう』と伝えないといけませんね。
ありがとうございました。

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