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自分を許すこと

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有り難し有り難し 58

過去に様々な出来事があり、自分で自分を許せずにいます。

開発プロジェクトの失敗などで大切な命を間接的に亡くす結果となったこと、悩んでいる友達を救えなかったこと(自殺なども含めて)、自分を待っていてくれた大切な人たちの思いに答えることができず(私がくるのを待っていた人たちがいました。それぞれの事情は違いますが、どれも国が違っていたため私はいつも最期に間に合いませんでした)、多くのひとにつらい思いをさせてしまった気がしています。常に、あの時にこう行動できていれば、とどこかで自分を許せずにいます。

過去を振り返ってめそめそするタイプではなく、あくまで毎日を大事に、一生懸命精一杯自分のできることをこなして生きているつもりです。ただ、あるきっかけがもとで過去を思い出すことが増え、思い出す度にやはり失った大切な人たちへの思いで胸が痛みます。そして、自分を許すことができていないことに気づかされます。長年の様々な葛藤から、怒りや憎しみ、嫉妬などは持たないと決めているので、私にとって他人を許すことはとても簡単にできますが、自分を許すことがどうしてもできない。

潜在意識で、それは夢となって襲ってくる時があります。自分を仏として仏性があると、そう思うことは他人に対してはできるのですが、自分に対してそう思うことは私にとっては難しい。最終的に、空のレベルでの境地においては善悪もなく、そして許すも許されるもないとわかっていても、現実の世界でのレベルでは感情がついていきません。

自分を許すということを、仏教ではどう捉えていますか?
そして、ご回答いただける方へ、あなたは自分を許せますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

許せないのではなく こだわっている 固執しているのです

取り合い、取り扱いを起こす。
心の中で沸き起こってきたことを毎回毎回、つかまえてしまうマイカさん、こんにちは。
心の中にドンブラコ川という川がありましてな。
川上からいつもドンブリコ、ドンブリコ、と色々な情報が流れてくるんざますの。
マイカさんは、きっちりとした性格であられるご様子。
毎回毎回、全部を拾い上げようとしているのでしょう。
それは、ある種欲張りというもの。情報なんて無限にあるもので、とてもすべてを拾い上げられるものではありません。
今日から、マイカだけに「まぁ、いっか」とスルーするーのです。
SNSのどうでもイイ記事を指先一つでスルーするように、スルーするぅのです。
赦すということってのは、許そうとして赦すんじゃないのです。
今既にケロリンしていて、問題になっていなかった自分に参ずるのです。
もう、今ちょっとの間だったけど、忘れとった自分があるでしょう。
問題にしてなかった、取り合っていなかった、ケロリンしていた自分。
たとえば顔にどうしても取りたいほくろがあったとします。忘れている時は何でもないのです。
取り除こうと思って高須クリニックを予約しようとまで考えていたのに、忘れている時には、除去されているのと同じくらいへっちゃらになっているのです。
そういう、心の中で取り上げられてない時は、人間が赦す、自分が許すのではなく、生命として赦せているのです。それが真の赦し、許しです。あなたはあなたという自分が許そうとしていた。だから矛盾が起こる。目を開きながら、目の前のものをみないようにしよう、としても見ています。掴んでいるものを掴みながら何も持たない状態になろうとしても、持っています。許そうとしようとして、その事をずっと気にしている。ゆるす、忘ずる、放ぜる訳がありません。
私は、ドンブラコ川から流れてくるものはイチイチ相手にしていませんから、残り物がありません。
さて、また川上から色々なものが流れてきました。もう拾わんでいいのです。

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有り難し
おきもち

『生死事大 無常迅速 各宣醒覚 謹莫放逸』

マイカ 様

質問を拝見いたしました。拙いながら一言残させていただきます。

タイトルの言葉
「生死は仏さまの一大事、時は無常に迅速に過ぎ去っていく、おのおのこの現実に目覚めて、弁道精進につとめ、無為に過ごしてはいけない。」という意味です。

現実に苦しんでおられるご様子ですが、私たちは現実を除いて生きていくことはできません。
本当に苦しいことです。頭で解っていても、現実がその頭でイメージしたり、心の中で思っている様になっていないと、苦しいと感じたり、悩んでしまう。それは、自分が生きているからこそであり、煩悩や自我という拭っても拭いきれない、生きているのに必要なものを私たちは持ち合わせていることを、「悪いこと」と「自分の中で決めつけてしまう」からではないでしょうか。

確かに、煩悩や、自我というのは一見わがままであったり、自分勝手さを創り出す材料であるから、無い方がいい、少ない方がいい。とはいえ、ゼロになるというのは生きている以上は難しいのでは無いでしょうか、少なくとも私はそう思っています。

だからこそ、我々一人一人の人間は、与えられた自分の命を生きていくこと自体が修行なんだと思うんです。苦しみ悩んでいいんだよ、と思います。
おのおのがそのことに目覚め(醒覚し)、つつしんで、ほういつにすることなかれ(あっという間の人生なんだから無駄にしてはいかんよ。)。

そこに、自分を許すことも含まれるでしょうし、他人を許すことだって含まれると思うんです。

最後に、私自身、僧侶として、お恥ずかしいほどの浅学、ましてや、人の役に立てるような存在ではありませんが。そんな自分を許すも許さないもなくただ自分に素直に今の有り様を受け入れるのみです、うまくいかないこともありますし、悪い夢も見ますし、過去の過ちに後悔することだってあります、事の大小に関わらず、してしまったことは取り返しがつきません、その傷を胸に抱いて、自戒を持って生きていくしかありません。現実の社会の中で皆様と様々なカタチで縁をいただき、どうにもならないことに悩み苦しみながら、手を合わせていく、心を傾けていくことに他なりません。

マイカ様の、外に向けた優しいお人柄、そして内に対する自分への厳しさを、この質問で垣間見ることができました。悩み苦しみながら、日々のご精進に勤めていただければと思います。合掌

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有り難し
おきもち

こんにちは。 埼玉県秩父市のお寺で住職をさせて頂いております、野村圭秀と...
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質問者からのお礼

野村圭秀様 確かに煩悩や自我というものを現実の世界で生きていく上でゼロにすることというのは難しいことですし、確かにおっしゃるように生きていく上でどこかで必要悪であるのかもしれません。苦しみ悩んでいいんだよ、という言葉、すごく、すごく強くこころに残りました。ただ、そこで終わらずに、だから人生を一生懸命生きる、ということの大切さにつなげていかなければいけない。自分を許すことも確かにそう考えればその一部。そして、仰るとおり、自分を許すも許さないも本来はなく、、、ただ、自分に素直に今の有様を受け入れるのみ、、、それを自分に問う事自体が、私の間違いだったのかもしれません。してしまったことに対しては自戒をもって生きていくしか無い、悩み苦しみながら手を合わせていく、心を傾けていく、、その野村様の姿勢、そうあることができたら、と、本当に読んだ時にこころからそう思いました。自分を許せないことを問うのではなくて、悩み苦しみから逃れようとするのではなくて、悩み苦しみながら日々精進するように努力する・・・。もう一度、ゆっくりと考えて見たいと思います。ご丁寧なお返事をありがとうございました。

追伸:許す=苦しみからのがれる、と思うから、苦しいんだとふと思いました。苦しいことから逃れようとするから苦しいんだ、と、いま考えながら、気付きました。苦しいなら苦しんだらいい。苦しみながら、前向きに「生きれば」、苦しみや過去にとらわれないですむのかもしれないと。なにか見つかる気がしています。本当に本当にありがとうございます。

丹下覚元さま どんぶらこ川!(笑 思わず笑顔になりました。そして、確かにその瞬間、私のなかには赦すも許すもなくなっていました。自分がある意味で「意識的」に許そうとして赦すのではなくて心のなかで取り上げられていない真の赦し…自分が許そうとするから矛盾がおこる。許せることを考えるから放せない… 本当にその通り、です。赦すということに、自分が縛られて、とらわれていたことに気付かされました。・・・でも、どんぶらこ川からの漂流物に翻弄されずにいることは、なかなか難しいことです。その平静なこころを保つのには、いまの私には、意識的に川に目をやらないように、たえず前に進もうと後ろを振り返らないようにしないと難しいことのような気がしています。自分の意識を、かえていきたいです。ご丁寧なお返事、こころに残りました。いつも、本当にありがとうございます。

「自分を許す・認める・受け入れる」問答一覧

感謝や反省をする方法が知りたい

こんにちは。 今回は 『感謝と反省をする方法』について ご相談させていただきたいです。 なにか感謝をすることを見つけたり、感じたら『ありがとう』 なにかをらしてしまったり、なにかをやってしまったかな…曖昧なときでも私がなにかやったと感じたときには『ごめんね』を 意識して相手に伝えるようにしています。 その『ありがとう』と『ごめんね』を心の底から思えていない気がします。 できる日はスマホのメモに ・元気に過ごせた ・お腹いっぱい食べることかできた ・暖かいところで過ごせた ・大切な家族と楽しい1日を過ごすことができた など感謝と反省点を記入するようにしています。 感謝をしたり、これはよくなかった…と気づくことはできているのですが 『ありがとう』と『ごめんなさい』は言葉だけのことが多くて、心の底から思えてないことが気になります。 悪いことをしてしまったとき 『ごめんね』は言葉では、いくらでも言えますが心から反省ができていなく、同じことを繰り返してしまうことが苦しいです。 苦しい、後悔を感じていても 悪いことを繰り返してしまったり、改善できないことが相手や自分自身を傷つけていたり、体がネガティブな感情に縛り付けられて いるようで苦しいです。 どのように改善したり、工夫をしたり、 どのようなことをすると 『ありがとう』と『ごめんなさい』を心から思うことができ、同じことを繰り返さないようにできるのか教えていただきたいです。 お忙しいところ恐縮ですが、 教えていただけると嬉しいです。

有り難し有り難し 14
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自分の弱さを認め受け入れることの難しさ

いつもお世話になっております。 小さな失敗でも大きな失敗でも、それを起こしてしまったことで「もう生きていたくない」「生まれてこなければ苦痛はなかったのに」と、過度に落ち込んでしまいます。 職場の人のアドバイスでは、「完璧主義が強すぎる、もっと自分の弱さを認めて周りにもさらけ出せる方がいい」ということでした。 メンタルヘルスやチームビルディングの観点からも、そうした方が楽になれるし共感を得やすいということは分かるのですが、なかなか自分の弱さを受け入れることができません。 ・自分の弱さを受け入れられたとは、どういう状態を指すのでしょうか? ・私は人間未満の存在なので、ほかの人との差を埋めなければだめだと思っています。マイナスをゼロに戻そうとする人生は、完璧主義とは異なると思うのですが、いかがでしょうか? ・生まれてきたことそのものが私自身の弱さだと考えますが、おそらく重すぎてこの弱さに共感は得られないと思います。どのように認知を整えれば良いでしょうか? ・仮に私以外の皆さんが自覚できている「弱さ」を自分で見つけられたとして、それを共有することで「私にとって必要としていないアドバイス」や「共感が得られない」というフィードバックになって返ってくるのが怖いです。どのように弱さを話していけば良いでしょうか? 永遠にこの生きづらさが解消できる気がしないので、どこかで人生を畳みたいです。お知恵を拝借できれば幸いです。

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赦して欲しい

昨今、「こいつは実はこんな悪いことをしていた!」というニュースをよく目にします。それに伴い、「こいつはこんな悪い奴だから何を言ってもいいのだ」とばかりに言葉の石を投げる光景も。 巷を賑わせている、既に亡くなってしまったあの人のように最後まで悪業を改めないのならまだしも、「悪いことをしてしまった」と反省して前を向いて頑張っていたとしても一生悪人のままなのでしょうか? 私は最近、なるべく身の回りで起こることを赦していこうと思うようになりました。というのも、私自身後ろ暗い過去や墓場まで持っていきたい秘密があります(現在進行形でしている悪さはない…と思いますが)。私が赦して欲しいからこそ人を赦していこうと思っています。 しかし、これからどう生きていても、過去が変わらない以上一生悪人のままなのか、それを知らずに私を慕ってくれている人たちを騙しているのか、とても不安になります。 誰かにこれまでの私を赦して、肯定してほしいです。何か私の考え方や生き方に誤りがあれば教えて欲しいです。そして、これから真っ当な人生を歩んでいけるように見守っていただきたいです。 相談とは違う内容かもしれませんが、是非ともお答え願いたく存じます。よろしくお願いいたします!

有り難し有り難し 21
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自分を許せません

自分を許すことができず、幸せになる資格などないと考えてしまいます。 結婚し、夫と楽しく過ごしています。 ですが、1人の時にいつも考え込んでしまい泣きたくなったり、苦しくなってあまり食欲が湧かない事が多々あります。 原因は、私が過去にしてしまった事です。 今の夫と付き合っていましたが、結婚前に同じ職場の男性と仲良くしていました。 ほぼ毎日他愛も無い連絡をしていました。 友達だと思っていましたが、仲が良すぎて周りの人達から勘違いされている程でした。 当時実家の仲が悪く、外に出たい私に付き合ってその男性はよく食事をしてくれていました。 夫はその時忙しく、私の相手をする暇もあまりありませんでした。 夫は知りません。 周りの人から勘違いされる程仲が良かったという事が自分の中でとても引っかかっています。 夫が知ったら悲しんでしまう。 傷つけたく無い。自分の罪悪感を解放するために夫に伝えるのは違う。 と思い、時間が経っています。 今はその方と会う事も話す事も無くなりました。 皆んなどういう目で私を見ているんだろうと気になってしまいます。 フラフラしている嫌な女と思うのでしょうか。 自分自身がそう思っているとは思います。 心が軽くなる日は来るのでしょうか? 許せない自分を学びに変えて、前に進みたいです

有り難し有り難し 7
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できない自分でも認めたい

 ありのまま自分を認めることがとても難しいです。人より優れた点がない割に、普通と比べてできないことが幾つかあります。  特に、人付き合いが苦手です。  学校では全く人脈を築けず、卒業後に身体を壊す程ストレスフルな場所でした。通った年数分の時が経っても完治しておらず自己防衛か何かなのかその頃の記憶があまり思い出せません。今でも時々思い出すのは一度、限界を迎えて訴えた時に父から「学校へ行かなければ殴る」と脅され母には泣かれ、一日とも休めなかったことです。また、いじめがあっても友人は話を聞いてくれず連絡がつかないこと。誰も頼れる人がいませんでした。 今では苦しみに向き合うため勉強し、心のケア専門の機関に関わったり、人との最も優れた関わり方というものを研究しています。しかし、人に好かれる話し方を勉強したらありのままの会話ができなくなり、友人はできても気を遣い過ぎでストレスが溜まってしまいます。 駄目な自分を受け入れる為に発達障害の診断を受けに行きましたが、その精神科医には酷く叱られました。何故か、精神障害を馬鹿にするなと睨み付けられ、まともなテストもして頂けなかったのです。散々空気が読めないだの悪口を言われ、友人もできず悩み苦しんだ末の行動でした。しかし何も話を聞かずに、拒絶でした。お医者様は恐らく虫の居所が悪かったのでしょうが、今でも自分が何か悪かったのかと考えてしまいます。 世の中では多様性を認めるとか、無理をしないで休んで良いという言葉を聞きます。 ですが、誰にも受け入れてもらえなかった、向き合ってもらえなかった事実があって、休むことが怖いです。 努力を怠ればすぐ追い越され取り返しがつかなくなるという恐怖です。それは違うと理屈で分かっていても、周りの人がとても立派なのを見て、できないのは自分だけに思えてきます。 では一人を楽しもうという方向で最近考えを改めてはいるのですが、本能か何か一人でいるのが猛烈に寂しく死にたくなってしまうのです。そして何か成そうと、趣味やSNSに心を病むまでに打ち込み過ぎてしまったりします。  他人と比較する癖、在るか分からない平均度を越えようとしてしまう癖、自責癖などがあり、前向きな考えを持てず将来を考えると辛くて仕方なくなります。  根拠なく自分を認める心を持ちたいです。 長文失礼しました。もしよろしければお答え頂けると幸いです。

有り難し有り難し 9
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ