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認知症の意味

回答数回答 4
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なぜ認知症になるのでしょうか?

医学的な事ではなく又本人が死に向かっての準備という様な事でもなく『他者に対してどういう意味』があって認知症になるのかわかりません。

食事を食べていないと言ったり誰かわからないなどは認知症の中でもまだ軽い症状です。

認知症が進むと言われていることが解らなくなります。本能であるはずの食べるという事も解らなくなります。

それでも介護者はべ物を口に運び・失禁で濡れた服を替えなければいけません。

現在では認知症の親を施設に預けることが多いと思いますが、職員が暴力・暴言を受けることも多々あります。

しかし職員は言い返すことも手を振り払う事も出来ないため言葉で諭すのみ、生傷が耐えない時もあります。

何をされても言われても職員は自分を守る事が出来ない。認知症の方は弱者…頭では理解していても泥棒・バカ・気持ち悪い等々日々言われ傷つかないわけがありません。施設職員は神様仏様ではないんです…その為 鬱病等を患い辞めていく方も沢山います。 

ゆっくり時間を掛けて対話をすれば違う状況もあるでしょう。しかし介護施設(特に特養)と言われるところは時間に追われる日々 
常に職員不足によるものなので仕方がありません。

これから高齢者は増え続けますが介護職員は減っていくと思います(雇用状況が良くなり若い職員は他業種へ転職・ベテラン職員は順番に退職を迎えます)

子供が認知症の親を看ている時代なら別ですが 他人に介護を任せる時代何故『認知症』と言う病があるのかわかりません。

赤の他人を心身共に傷つけるだけ(可愛いらしく年齢を重ねた方も多くいますが)の最期が何故用意されているのかわかりません。

質問には直接関係ありませんが収入が良い訳でもありません。介護職員の平均年収は320万ほどだそうです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

意識について

あゆみ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

介護現場の大変さ・・介護保険、介護報酬に係る社会保障制度的な問題については、政府がしっかりと対応していくべきであり、もっと介護従事者の処遇改善も図られてしかるべきであるかと存じます。

さて、仏教では、この世におけるあらゆるモノ・コトは、必ず因縁(原因と条件)により成り立っているとご説明申し上げます。

ですので、「認知症」も、もちろん、身体的機能、特に脳機能的なことを原因として色々な条件も重なって発症するものであると考えられます。

医学・医療の発達により、寿命は延びたものの・・だからといって・・と思うところはありますよね・・

私たちもいずれ認知症になるかもしれず、他人事ではありませんが・・

いずれにしても、生老病死の基本的な苦しみからは誰も逃れることができない・・ということなのかもしれません・・「一切行苦」、「一切皆苦」ということでございます。

何とかこの苦しみ、迷いの世界から離れていくための教えが仏教となります。これを機会に是非学びを進めていって頂けましたら有り難くに存じます。

ここからは少し難しい話となりますが、私たちの意識には、肉体に支配されている粗いレベルの意識と肉体に左右されない微細なレベルの意識があるとされています。

肉体に支配されてしまっている粗いレベルの意識は、もはや肉体の崩壊とともに、どうしょうもなく、それは認知症の方も同様ですが、死後にも存続していく意識としての微細なレベルの意識へと向けては、色々と働きかけていくことは可能であると考えられます。

その微細なレベルの意識へと向けて、仏教的な働きかけではなくても、慈悲の思いを向けてあげて、優しい言葉をかけたり、心配りや、配慮ができていければ、微細なレベルの意識に良き変容を促すことは可能であり、死後の良き赴きへと向けても、少しなりにも役に立つことができていければ、大変に有り難いことになるのではないだろうかと存じます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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認知症の人の価値

認知症が何故あるか、なぜそんな最後があるのか…言い換えれば、認知症になるくらいなら生きる価値はないということですよね?
気持ちは分かります。「こんな状態で生きるなら、自分なら死んだ方がいいな」って思わないと言ったら嘘になります。
しかし、生まれて老いて、病気にもなって死ぬというのが逃げられない道でもあります。
病気の種類も選べない。辛いことです。
認知症を患っている本人も辛いと思いますよ。
自分の思うように生きられないというのは。
自覚がないから何をやってもいいのかという訳ではありません。人間同士のことですから、そうはいきませんが「こうゆう人と出会ったのは自分に必要なご縁だった」と思うようにしています。
それを他人にお任せする社会や家族の在り方については、このままではいけないと思っています。
余談ですが、うちのお寺から頂くお給料は夫婦合わせて年収330万です。
楽しいことより悲しい話の方が多く、辛いこともあります。貧乏でも皆さんの支えになれるようなお寺にして、潰してはいけないと思っています。どんな仕事でも…難しいですね。

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おきもち

普通のOLから、結婚をきっかけに仏教に興味を抱きお坊さんになりました。 ...
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なんででしょうねぇ..

 介護のお仕事をされているのでしょうか?認知症の方に傷つけられるような言葉を言われて辛い思いをされているのですね。
 介護のお仕事の需要はこれからますます高まっていくと予想されるのに、待遇の悪さ。続く夜勤。報酬の安さ。本当に辛いと思います。大切なお仕事なのに、このお仕事については、まだまだ整備が追いついていないと感じています。おっしゃる通り、このままでは介護職不足がさらに深刻になっていくと思います。

 さて、なんで認知症になるんでしょうねぇ。好きこのんで認知症になる人はいないですよね。
 仏教には「苦」という言葉があります。この「苦」は、「苦しい」ではなく「思い通りにならない」という意味です。認知症も本人にとっては「思い通りにならない事」なんでしょうねぇ。

 「年寄り子供」という言葉を聞いたことがありますか?人は年をとると子供に戻る、という意味だそうです。認知症は究極の「年寄り子供」ですね。辛いことを言って当たる人は、小さい頃、ひどい思いをしてきたのかもしれません。言いたかったことが言えなかったのかもしれません。それが今出てしまっているのかもしれませんね。幼少期のストレス発散をしているのかもしれません。そう思って、この言葉はただの音なんだ!子供時代の悲鳴なんだ!と思って、その言葉に取り合わず受け流すしかないですね。
 見た目はお年寄りですが、中身は無邪気な子供だと思って、また「弱者」とは捉えず、ひとりの人間として対等な立場でお年寄りに寄り添うことができると良いですね。

 うまくスッキリした回答ができなくてすみません。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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望んで病気になったわけではありません

「子ども叱るな来た道だ。年寄り笑うな行く道だ。来た道悔やむな戻れぬ道だ。」という言葉をご存知でしょうか?
これは、自分自身の有り様を見つめ直しなさいという、とっても仏教的な言葉です。
あゆみさんのご質問を拝見しますと、認知症患者さんを憐れんで、自分はああなりたくないんだという風に受け取れました。加えて、認知症患者さんに暴言暴力を振るわれて、割りに合わない仕事だなと思われていらっしゃるようですね。

そこで失礼ながら言わせて頂きますが、認知症は病気です。患者さんご本人が望んでそうなった訳でもなく、あゆみさんを憎んで暴言を吐くわけでもありません。
誰もが病気になりたくなくても、ならざるを得ないのが人生です。生老病死が苦しみの根本だとお釈迦様は説かれました。

介護の仕事の辛さは良く解ります。ですが、それならなぜ、介護の仕事に就かれたのでしょうか?人間が人間らしく生きていく(死んでいく)為に、お手伝いをするためではなかったのでしょうか?

暴力を振るう患者さんであっても、病気になる前はとても優しく思いやりに溢れた方だったかもしれません。それまでの患者さんの人生の尊厳は、決して認知症によって損なわれて良いものではありません。
自分ではどうしようもないから「病気」なんです。
あゆみさんが毎日目にする患者さんが「弱者」なら、その後を追わなければならない私もまた「弱者」です。弱者同士で支え合わないと、人間は生きてはいけません。介護職の方は、その最前線で頑張っておられますので、何かと大変だと思います。ですから、患者さんの言動に振り回されず、プロとして受け流してしまうのが一番だと思います。あゆみさんの尊厳もまた、認知症患者さんによって損なわれて良いものではありませんので。
お礼を拝見しました。介護の現場を何も解らないのに夫婦で偉そうな回答をしてしまい、申し訳ありません。人手不足は国や自治体の課題を越え、社会全体の問題です。早く何とかなって欲しいですね。

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おきもち

みなさまこんにちは。 浄土真宗本願寺派の緇川(くろかわ)と申します。 ...
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質問者からのお礼

川口様 ありがとうございます。

死は恐れるモノではありませんね。肉体は魂の仮宿に過ぎませんから死は魂が宿を離れるだけの事…輪廻を信じる私にとっては死は終わりであると共に始まりです。

因果応報との言葉もあります。認知症とはいえ心が壊されるほどの(鬱になるほどの)体験をさせられるのは前世でどれほどまでの業があるのかと思ってしまいます。

自分に直接言われた言葉ではなくても聞いていて気分の良いものではありません。

優しく接する事で認知症の方の魂は良い方向へ向かうかもしれませんが鬱になって休職・退職に追い込まれた職員の心は何時救われるのかと考えます。

こんな自分勝手なお礼を書きながらふと気づいた事があります。

介護職員は感謝されたいと思いながら日々仕事をしている訳ではありません。ですが生身の人間 体も心も傷つきます。その傷が何故癒せないのか何故治せないのか…

簡単な一言が聞けないからでした。
もちろん職員間では普通に言っている言葉なのですが『ありがとう』の一言が

我儘ですが『ありがとう』の一言を聞きたかったのだ。と気づかせて頂いた川口様に感謝致します。改めてありがとうございました。

光禪様 ありがとうございます。

弱者というのは私がそう捉えているとより世の中が高齢者は弱者で守るべき者…と思っているのではないでしょうか

光禪様がおっしゃるように子供の頃に言えなかったことを言葉にしているのかもしれません。
それは多分そうなのだと思います。
暴力・暴言がない方も往々にしてそうであるように

また想像することしか出来ませんが 今やりたくない事・自宅で暮らしていたときには嫌いでやらなかったこと(入浴など)・他人にしてほしくないことをされる故かもしれませんね。

ですが介護施設は集団生活 ある程度決まった時間や決まった曜日でなければ出来ないこと・やっていただけない事があります。

難しいですね。嫌かもしれない・嫌いかもしれない だからといって失禁したまま放っておくことは出来ません。お風呂が嫌いで拒否されるからと入浴しないままというわけにはいきません。
本人の希望とはいえ放置するのも逆に無理に行う事も共に出来ないのです。

光禪様は介護業界についてご存知の様ですが現場もご存知でしょうか
日中利用者様と対話出来る時間は『10分/20人』程度だと思います。もちろん介護施設もビンキリなので全てではありませんが

夜間はもちろんですが日中も20名を職員1人で…ということが半月ほどあります。夜勤も17時間 中 横になれる時間は滅多にありません。
長々と愚痴の様なことを申し訳ありません。

光禪様がおっしゃった『子供の頃や認知になる前に我慢していた事』忘れない様にしたいと思います。ありがとうございました。

緇川様 ありがとうございます。

そうですね。
自分が認知症と診断されたら何も解らなくなる前に出来るものなら自ら命を絶ちたいと思っています。そう考える介護職員は少なからずいます。
仏様の教えからは外れてしまいますね。

だからといって現在認知症になっている方まで生きる価値がないと思っている訳ではありません。
たとえ面会に来られなくても家族にとっては大切な存在だと思いますから

だからこそ本人も清潔でいてほしいし お部屋もどこも清潔に保っておきたい(感染症対策としても)寝具も常に整えてあげたい。

骨折などを原因に寝たきりになってほしくないんです。
でも御本人達は自分が歩けない事が解らないから車イスから立って歩こうとしては転ぶ 杖を忘れて転ぶ  

職員1人で10名月に半分は1人で20名 安全に配慮しながら介護できる人数ではありません。

緇川様がおっしゃる様にその様な方に出会うのはご縁かもしれませんね。
ですがウンザリするほど出会いすぎましたけど(笑)

私が認知になる頃には日本でも尊厳死というものが認められていれば良いのにと思います。

お忙しい中お返え頂いたのにお礼のコメントになっていないかもしれません。申し訳ありません。そしてありがとうございました。

 

緇川 浄様 ありがとうございます。

この仕事についたばかりの頃は介護の仕事が大好きでしたしずっと続けたいと思っていました。色んな方がいらっしゃいました。

利用者様が他の利用者様をたしなめたり 歌が大好きで御本人が嫌がる事をさせて頂く時も一緒に歌うと嫌がらずにやって下さったり…

人懐っこく誰か(近所の方か昔の友だち)の名前を言っては駆け寄ってきて握手してくる方 「お姉ちゃん大好きだよ。お兄ちゃん大好きだよ」と何時もニコニコしている方

夜 家に帰ると言っていた方…「お部屋を用意したので折角ですから泊まってください」と伝えると「じゃあ泊まるか」その会話を毎日繰り返して
いた方…
懐かしいですね。

今は…
続ければ続けるだけ嫌いになっていきます。

この職に着いたとき 最期は良い人生だったと思ってほしい って思いました。

でも食事とトイレやオムツの世話だけで終わる勤務時間 追われる時間 不穏な方の相手をしたために終わらない業務それ故のサービス残業。

介護の仕事はやってみなければわかりません。
家庭で親を介護した経験があっても施設での仕事の苦労を本当にはわかりません。

逆に施設で介護の経験があっても自宅介護の苦労はわかりません。

想像しても想像しきれないほどの苦労が互いにあると思っています。

高い志を持っていた方ほど理想と現実のギャップに挫折し辞めていきます。

介護職は基本肉体労働者ですから 

1人/20名の勤務

1日事故なく体調不良の方に早目に気づくためにどれ程神経をすり減らしているか

割りにあわない仕事だから多くの職員が辞めていき また新たな職員が入らないのだと思います。

緇川様
お礼にならず申し訳なく思います。

どんなに大変な仕事も心を傷つけられる様な出来事も 割りにあわない仕事も『ありがとうや助かったよ』の言葉に救われるのかもしれません。
その言葉をほしいと思うのは我儘かもしれませんね。

でも人は誰かの笑顔や喜びの言葉があるから辛くても生きていけるのではないかと思います。
認知症の方の魂は喜んでくれている…かもしれませんが肉体のある身にはわかりません。

奥様でしょうか 共にお返え頂いたようなのに失礼なお礼コメントになってしまい申し訳なく思います。

そしてありがとうございました。

 

追記 利用者様の言葉を受け流す気持ちの余裕を作るようにしたいと思います。

家事をする時間もままならず 何処か自然を満喫するために出掛けられるほどの休みもありませんが(数ヶ月に1度2連休があるのみ)たまには愛猫と1日戯れてみます。猫が付き合ってくれればですが

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ