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過去の選択への後悔が強くて今を生きることができない

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過去の選択への後悔が強くて今を生きられません!

本当に誰にもどうにも出来ることじゃないんです!(タイムマシーンや魔法使いがいない限り)

「縁がなかったんだ」「それを選んでもその時の私じゃどうなったかはわからない」と言い聞かせても、朝から晩まで「それが欲しい」と駄々っ子が頭の中で騒ぎ、後悔が頭から離れなく憂鬱でどうしようもないです。

どうしようもない後悔や憂鬱からの解放ってありますかね、それともこれからも不愉快に過ごすしかないのですか?

私は、後悔で鬱々としていることが嫌です。今、気分良く建設的に過ごすにはどうしたら良いのでしょう?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あきらめる

コスモス様はじめまして、ご相談拝見しました。

どうにもあきらめがつかないもの・ことってありますね。
あの時ああしたらよかった、こうしたらよかった、あっちにしたらよかった。

完全にその思いを断ち切ることは難しいかもしれません、私も「たられば」について思いをはせることはあります。

しかし、「不愉快に過ごすしかない」ということはありません。

これからがこれまでを決めます。
今どうするかで過去の選択もまた必要なものだったのだと受け止め直すことができます。

過去に失敗した→今、後悔してウジウジ

でなく

今、努力し変わることができた→過去の失敗のおかげ

という方向性です。

世の中には思い通りになる(可能性が高い)ものと、思い通りにならないものがあります。

過去はどうでしょう?なりませんね。
その事実を明らかに知ることです。本当の意味であきらめるとはそういうことです。なんとかなったんじゃないかなあと引きずられても、もうどうにも変えられない事実は事実。
そのことをしっかり受け止めるのが”「あきらめる」=明らかに知る”ということです。

これからどのように歩むかで過去を乗り越えることができますよ。いい思い出話に変えていきましょう。

追記
ご返信ありがとうございます。正しいか間違っているかは誰が決めるでしょうか。周りに何を言われようが自分が自分を認めていれば乗り越えられるものです。
つまり、自分を苦しめるのも救うのも自分次第。正しい正しくないを決めて苦しむのも、これでよかったのだと認めるのも自分です。
何が正解なんてありません。自分で正解にしてしまえばいいんです。間違ったと気づいたらやり直せばいいんです。
ご自身がご自身の味方でいてあげてください。私も応援しております。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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過去とは何か・・

コスモス様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

少し難しいことなのですが、時間論について述べさせて頂こうかと存じます。

まずは、果たして過去、あるいは未来は「有る」のでしょうか。

既に過ぎ去った「過去」は、もう過ぎ去ったものですから、既に「現在」にはありません。もちろん、「過去」を思い浮かべて、あたかも「有る」ように錯覚してしまいますが、思い浮かべているのは、あくまでも「現在」の自分でしかありません。

また、まだ来たらぬ「未来」は、まだ来ていませんから、「現在」には当然に有り得ません。「未来」を思い浮かべて想像して、「有る」ように錯覚してしまいますが、想像している自分も、実は「現在」の自分であります。

また、「現在」と言っても、言ったそばから実は「現在」で無くなっていってしまいます。「現在」自体も、時間が止めれない限り、基本的には「有り得ない」ことにはなります。

もちろん、「過去」、「未来」、「現在」は無いわけではありません。一応は、「現在」があると仮定して、その相対として世間一般において「有る」とは言えますが、厳密に分析すれば、「実体」としてはそれぞれ有り得ないものになる次第でございます。

でも一応は、しいて世俗的に時間論について何が言えるのかとなると、現在における瞬間、瞬間の連続体はあると考えることはできます。

むろん、過去がなければ、今の自分はあり得ません。更に今の自分が無ければ、未来の自分も可能性としては有り得ないことになります。

過去と現在の自分は明らかに繋がっている、また、現在の自分は未来の自分とも繋がっていくものと言えるので、異なってはいないのだけれども、もちろん同じとも言えません。このことを難しいことですが、仏教的には「不一不異」と申します。

さて、結論的には、とにかく、「現在の一瞬一瞬の連続体でしか生きていない」自分のありようを理解することにより、これから先への良い結果へと向けた良い因縁(原因と条件)を確かに紡いでいくのも、この瞬間、瞬間の自分であり、しっかりと、この一瞬一瞬に集中して、大事に大切に過ごしていくことが必要であるということになります。

過去への後悔と憂鬱を乗り越えるためにも、少し上記の時間論についてご理解を頂けましたらと存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
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質問者からのお礼

法覚寺 吉武文法樣

回答ありがとうございます。
後悔って一時手が届きそうだった分、届きそうにないものと比べてあきらめにくい物なのかもしれませんね。
正直もう歩んでも正しい道じゃないんじゃないかとか思ってしまうんですが。過去の選択が間違ってても今、一生懸命やれば乗り越えられるんですかね。正しいか間違ってるか近道か遠回りか良く分かんないですけど変わると正しい道に出るんですか?

法覚寺 吉武文法様

再びの回答ありがとうございます。

自分を苦しめるのも救えるのも自分次第本当にその通りですね。自分は自分で救わないとすくえないんですね。自分を諦めることを諦めます。応援してくれてありがとうございます!
改めて、回答をくださりありがとうございます。

瀧山 往生院六萬寺 川口英俊様

今回も回答ありがとうございます。

確かに、これから出来ることってそれしかないですね。「一瞬一瞬大事に大切に」言葉では分かるんですが感覚(?)がないと言いますか、大切にできてるのか良く分からないです。

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