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人間関係

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久しぶりにご相談があります。

最近は体調もよく今年は夏の暑さも乗り越えられました。
しかし今、会社の人間関係でストレスがたまってしまいまた体調が悪くなってきました。

私は社員で8年目になりパートのおばさんは10年目です。
そのパートのおばさんが午後から出勤でお昼になると吐き気、腹痛がおきます。
会社にはいりたての頃からイジメられて何もしてないのに、いきなりヒステリックになり怒鳴られます。
毎日、顔を伺って仕事していてストレスがたまってしまいました。

仕事を辞めようかとも考えてますが、おばさんが辞めればいいのに。と思います。

仲良くしたい訳じゃないし、どうしたらいいでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏の一黙

「こんにちは。今日はいじめ対策和尚さんにお越し頂きました。
さっそくお話を伺いたいと思います。」
イメージ;マッチョ
「おう。いいか?イジメる人間ってな、自分より❝気❞の弱い人間をイジメるのよ。
アンタがいつも職場で胸張ってねえから寄ってくるんだよ。
アンタは立ち向かっていっていい。
気合だ、気合。胸を張って、かかって来やがれって態度をするんだ。
いちゃもん付けられたり、カラんで来たら上等だ。
とりあえず理不尽な発言の証拠を録っていつか会社の上層部や相手の家に送りつけられるよう決定的な証拠を記録をしておくことだ。ICレコーダーを携帯しろ。BBAが出勤する頃にONにしろ。
オレだったら「うるせえこのBBA、何様のつもりだ!」とキレ返して襟元をつかんで壁ドンだがな。
アンタは言われっぱなしだからいけない。だからそのBBAも調子づいて8年も言い続けてくるんだよ。
反論だ。反撃だ。反発だ。全身全霊で。
こっちを怒らせると痛い目にあうってところを示すだけでイイ。
それがアンタの成長の為だ。さぁ、明日から反撃開始だ。わかったな?」
「…ありがとうございました。(笑)」
「おう。」
…ということができないようでしたら、
ただ黙って相手の心を見透かすつもりでじっと見つめることです。
ずーっと言わせているだけでイイです。
実はこれが一番効果的です。
相手に自分のやっていることが悪いこと、虚しいことと思わせるのです。
毅然とした態度で、じっと相手の目や額や胸元を観て黙っているだけで構いません。
相手はあなたの困る顔や、反応を楽んでいるのです。
何されても、ひたすら相手の心を見透かすつもりで見つめる事です。
イジメる人間は根が腐って、人間性が小さな人間です。
憐れみの目で黙って聞いて居てみてください。
本人が恥ずかしくなってやめていきます。
あなたに何かをしても響かない、効かないということが分かれば相手は手を出さなくなります。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

思って無くても、その人を認める言葉を使ってみては?

もえさん、こんにちは。

人間関係の悩みは、誰しも持っているものです。この悩みからは逃れることは出来ません。四苦八苦という言葉があります。前の四苦は「生苦・老苦・病苦・死苦」で、主に自分の命の変化からもたらされる苦悩ですが、後の四苦は「a愛別離苦・b怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦」で、a.bは人間関係の苦です。お釈迦様は、人間関係の苦悩も、人間が持つ根本的苦悩の一つと見抜かれました。
もし、もえさんが、新しい仕事を始めても、この苦から逃れることは出来ません。また別の人との人間関係に悩むはずです。

さて、人には煩悩があります。
煩悩とは、ざっくり言うと、「身を守りたい」とか、「存在を認めて欲しい」という心です。
パートの方が、もえさんをいじめているのも、自分の身を守りたいという心が元になっています。
逆に言うと、パートの方は安心していないのです。
もしかしたら、そのパートの方は、もえさんに、自分の立場を奪われるかもしれないとか、自分の立場を奪われたと思っているのでは無いでしょうか。
それに対して、もえさんは、パートの方を認めるような言葉をかけてあげると良いと思います。
「ありがとう」が基本ですが、お仕事ですから「あなたがいてくれて助かる」とか、「あなたのお仕事ぶりはすばらしいね」とか。思って無くても、言ってみて下さい。嘘を付けと言うのではありません。言った後で、助かった所や、仕事ぶりの素晴らしい所を探せば良いです。些細な所でも、良いところを見つければ、その言葉は嘘では無くなりますから。

人は、自分を認めてくれる人を攻撃できないものです。

お互い、人間関係に悩みながら、娑婆世界を生きて行きましょう。

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有り難し
おきもち

45歳 独身 銭湯通い 浄土真宗の僧侶だけど、「中観派です」って言ってみたい。 最近は、一日一冊の本を読むようにしている。 毎日本を読んで分ったことは、 「本は高い(お金が無くなる)」です。 ※写真は五年前です。

質問者からのお礼

お忙しいところ返信ありがとうございました。
どこに行っても人間関係はあるって考えたら長く勤めてる今の仕事を大事に思えます。しばらく頑張ってみます。

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