虐待
私の父は社会的地位のある人です。
しかし、私は幼い頃から厳し過ぎるしつけをされ、今思うと、虐待ではないかと思います。
幼い頃は、言葉遣いを誤ったり、口を滑らしたりという事は誰にでもあると思うのですが、他人にしつけが悪いと思われたくなかったのか、父は人前でよく怒鳴りました。家に帰ると、お前のせいで恥をかいた、と言って殴られました。
また、あくびやクシャミ、物に躓いたり、子供なら笑ってしまう何でもない事でも、笑うと、
『何がおかしいのか?』と言って殴られました。
冗談を言っても通じず、殴られました。殴られるとき、避けたり頭や顔を手で覆うと、卑怯だといって余計に何十発も殴られました。小学生の頃、一度走って逃げましたが、捕まって首を締められました。母が叫んだので、助かりました。
大人になってから知ったのですが、父は子供の頃チックがあり、からかわれていたそうで、笑われる事に敏感になっていたようです。
今になって思えば、父も若かったし、自分の怒りをコントロール出来なかったのかも知れません。また、子供のしつけ方が分からなかったのかもしれません。
父に殴られている間、母はいつも見て見ぬふりでしたか、大人になってから、あの頃は自分が殴られたら嫌だから助けられなかったと言って謝ってくれました。
私は今ほとんど笑わず、笑うことが罪の様に感じる性格になってしまっていて、人の冗談も、笑っても大丈夫か考えてからでないと笑えません。
テレビのバラエティ番組を見ても、人の欠点や失敗を笑いにしていることが多いので、見ていて怖くなります。
学生の頃から、面白くない、なんか真面目すぎる、とか言われ、心から友達と呼べる人は誰もいません。笑ってあげた方がいい軽い失敗なども、よく考えてからでないと、怖くて笑えないのです。
社会人になってからは実家にはあまり帰っていません。両親に会いたいとは思わないのです。
父は社会に貢献する仕事をしてきて、今でも世間からは立派な人だと思われています。いくら父が立派な仕事をしても、本当はそんな立派な人間ではないと私だけが思っています。
父に虐待されていた事を誰かに打ち明けたいのですが、そんなに親しい人もいないので、お坊さまに知っていただきたくて、書かせていただきました。
心の中の苦しさを軽くする方法かありましたらアドバイスをお願い致します。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
バチは必ず当たります!
ただし。バチは誰かがあたえるのではありませんよ。自分が作った業というバチを自分で受け取ることになる。だから因果応報。ご質問を何度かされていらっしゃいますが、納得できないんでしょうね。だから今回は別な質問を立てた。でもあなたが知りたいのは、わたしに酷いことをして謝りもしない、そんな人間がぬくぬく生きているのが許せない。家庭内DVも、モラハラ、セクハラも受けた恥辱は違えどもあなたにとっては消えない恨みですよね。子どもの頃から父親に対するずーと強い憎しみや恨み、そして、いまは経営者に対する憎悪。経営者がやったことは犯罪ですが、お給料のことがあり、告発もできないし、辞められない。そうですよね。そんな人間が札うちして御利益、ふざけるな!という気持ちわかりますよ。わたしもムカムカしてきます。
善因善果悪因悪果です。よいことをしたらよい報い、悪いことをしたら悪い報い。彼らが心底から悔い改めない限り、必ず報いを受けます。でもいまは受けていませんよね。何故か、魂は不滅だからです。生まれ変わり死に変わりします。今回積み込んだ業という荷物を今回下すかどうかはわかりません。でも間違いなく積んでます。来世かさ来世でとんでもない重荷になって降りかかるかもしれませが、それはあなたが決めることではない。あなたはそうしたものを受け取ることで解消したんです。ただこれだけは言っておきますよ。憎しみ、敵意、憎悪、恐怖は、あなたの心を焼き尽くす業であり、執着ですよ。特にお父さんから受けた虐待、あなたは一方的な受けたわけですが、それをずーと恨みとして返したら、やっていることは同じではないですか。受けながす、執着しない。何年かかってもいいから明るく元気で幸せな自分自身になることがあなたの復讐であり、因果の解消です。また経営者からまた迫られた時は、毅然と断りもし今後続くようなら然るべき対応をすると話しましょう。卑怯かもしれませんが、会話を証拠として押さえておいたら無難です。
負けない、憎まない、辞めないを徹底しましょう。何年もかかるでしょうが、ご自分をリデザインしてみてください。今度こそお幸せを祈ります。浄光寺
父は父。私は私の人生を歩もう。
酷いお父さんですね。
お父さんという言葉を時々忘れていいと思います。
この世に父を縁として誕生してきたにせよ、必ずしも理想的お父さんに巡り合えない場合もあります。
私は家族であっても、あえて家族意識を色濃く持ちすぎないように勧めています、
そんな理想的なドラマめいたお父さんお母さんなど存在しないからです。
ではどうすればいいか。
高い理想を父親に求めると、実際がそうではないのです苦しくて仕方がありませんよね。
だから、こうすればいいのです。
「自分の父親に高い人間性を要求することを一切、しない。」
これを脳内インストールすることでお父さんを、ただの「その人」として見ることができます。
戦争があった時代は、戦争から帰ってきたものの心が病んでいて、病んでいるという事も認められず、家庭内で暴れていた人も多かったでしょう。もう亡くなりましたが、ずっと夫(父親)がDVを振るう人が近所にいました。要は本人が過去に誰かからひどいことをされて、その鬱積したものを発散するために自分より立場の弱い人にぶつけるのです。悲しいことです。人間にはそういう心理があります。第三者を通して、あなたが父親とお互い感情的にならずに対等に話せるようになったら、その第三者を仲介人としてお父さんを傷つけた相手を赦せるように、自分に向き合っていかれるとお父さんの心は軽くなれるはずです。あなた自身もお父さんに対する思いを強く持ちすぎて、その思いに支配されない様に、上手に距離を取ってください。家族ゆえに、どんな家族にも家族愛があります。欲する愛の形があります。
ところが必ずしも、相手が過去の状況によっては理想的でない場合がある。
私は家族に理想的な家族像を要求することをやめました。
あえて自分の理想を要求しなこと。
そのままを、良くも悪くも頂いています。ヒントになれば幸いです。
ゆうきさま
理不尽な目に会ってこられたこと、また会っていること
本当にお辛いとおもいます。
また、強い怒り、憎しみを抱えていること事体も
お辛い事と思います。
今の世の中、理不尽なことをする人、相手を尊重しない人
沢山いると思います。でもそうゆうことをする人たちも、また
同じことを受け、沢山の苦しみ、悲しみに満ちた人たち
なのだと思います。世代から世代へと連鎖してしまっている
悪いパターンがあり、見た目にはわかりませんが、横にも
隅々まで広がってきていると思います。
連鎖を止めること、怒りを手放すこと、自分を癒すこと、
大きな課題を背負わされている方、本当に沢山いらっしゃる
とおもいます。
まずひとつには、心の中に在るもの、話し出したら止まらない、
何日も話し続けられるほどあるかとおもいますが、どこかで
聞いてもらうといいと思います。どんどん外へだされるといいと
思います。モラハラなどの公的機関の電話相談窓口など
検索するとあるとおもいます。
南無阿弥陀仏とお唱え続けたらいかがでしょうか
無意識のうちに、自然に過去のことが思い出されたり、
怒り、憎しみそうした感情がこころを占めてしまうのでは
ないかと思います。
そうゆう内容でこころを満たすと、さらにそれが原因となって
同じようなものが心に結果として現れてきてしまうと思い
ます。ですので南無阿弥陀仏とお唱え続け、心の中を
仏様で満たし続けるということです。
すいません、書ききれないのでつづき、別のところ
もう一つのバチ~の方に書かせて頂きます。
質問者からのお礼
お坊さまは朝が早いのに、こんな夜遅くにすぐに回答をいただき、ありがとうございました。憎しみ、敵意、憎悪、恐怖が心を焼き尽くす業であり、執着だとおっしゃいました。普段は考えないように、思い出さないようにしていますが、何かの拍子に恐怖がよみがえり、恨みのような感情がこみ上げてきます。笑顔になると、殴られる恐怖はそう簡単に頭から離れそうにありませんが、父も、もう歳ですし、この先殴られる事はありませんので、許せるように、憎まないように努力致します。本当に、夜遅くにお返事いただき驚きました。感謝いたします。
法演和尚様
ありがとうございました
私のために2ページにもわたり、回答をいただき、こんなに親身になってアドバイスを下さる方がおられるのだと、ありがたい気持ちで胸がいっぱいになり、涙が出ました。
前回の質問で有難い回答を頂き、気持ちをきりかえ
る事ができたのですが、父の事は心のもっと深い所にあり、今回改めて相談させていただきました。プロフィールで出身地などを変えたのは父にバレないようにするためでしたが、わかってしまうのですね?もう娘だとバレたかもしれません。私はお寺に生まれ育ちました。だから、父にされた事は誰にも言えませんでした。
でも、ここで初めて打ち明け、楽になりました。本気で私の事を心配してくださり、アドバイスを頂き、本当にありがとうございました。
南無阿弥陀仏と唱え、心を落ち着かせて前向きに生きて行きます。
覚元和尚様
ご回答頂きありごとうございました。
酷い父親と書いてくださり、今迄の人生で初めて私の側に立ってくださる方にお会いできました。父がお寺の住職としてどんなに人々の為に尽くそうと、私の心の傷は深いまま、恨みの様な感情から逃れる事が出来ずにいました。
父が立派な人間だと思うから余計に許せなかったのかもしれません。ストレスを私にぶつける事で、父は立派な人間を演じられたのかもしれません。父が父親としては、立派な親ではない、と考える事で苦しみが和らぎそうです。
この度は私の気持ちをご理解いただき、ありがたいお教えを頂き、ありがとうございました。