最近本当の自分って何だろうと考えるようになりました。
大学4年生になって就活が始まってから、友人が楽しそうにしている写真や、毎日が充実しているSNSの投稿などをみて、今まで自分は何をしてきたんだろう?振り返ってみれば、自分が本当にしたいこと何1つしていない。人生損をしてしまった。と後悔することが増えました。
また、そんな悩みを相談しようと思った時、今までいろんな相談にのってもらっていた幼馴染にさへ「そんなこと気にしなくても」と言われそうで相談できませんでした。
そこでも、今までは幼馴染、親友だと思っていたけど、実は自分はその人にも本当の自分を出せていないのでは?と思うようになりました。
実際、中学生の頃にいじめられていたのをきっかけに高校では同じようになりたくないと、強気のイメージで行きました。その甲斐もあっていじめはなく、友人もでき、今でも交流がありますが、たまに1人溶け込めていないと感じる時もあります。
家でも情緒不安定な姉に悩んでいる母を近くで見ているので、自分は困らせてはいけないと悩みを相談することなく常に明るい子になっています。
外でも内でも自分を演じている気がして、本当の自分がわからなくなってしまいました。苦しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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本当の自分がいるのならウソの自分もいる?
サクラ様はじめまして、ご相談拝見しました。
本当の自分とは何でしょうか?考え出すとわからなくなってしまいますね。
家族の前での自分
高校の友人の前での自分
大学での自分
幼馴染の前での自分
それぞれ違う自分が表れていると思います。どれが本当でしょうか?逆に言うと、どれかが本当だとするとそれ以外はウソの自分ということでしょうか??
そうではないですね。どれも自分なんです。「本当の」ということではなく、それぞれがそれぞれ全部自分です。
人間は関係存在です。仏教的に言えば縁によって存在しています。関係(縁)の中で様々な自分が表れますがそれでよいのです。ですから本当の自分なんかもともとないんですね。
「本当の自分」と似たような言葉で「私らしい」なんて言葉がありますが危険な言葉だと思います。これが「私らしい」と自分で勝手に決めた本当の自分と今の自分が違ってしまうと苦しくなります。本当の自分にあわせなきゃと、もともとないはずのものに囚われますからわけがわからなくなります。
ですから本来無いものにとらわれず、それぞれの自分を大事にしてみましょう。全部まるごと自分です。
そうした中でやっぱりしんどいなと感じたら、「本当の自分を出さなきゃ!」ではなく、「感じたまま・ありのまま」の自分でいいんだな、しんどい自分でもいいんだなと考えてみましょう。
現実の社会の中で生きることは「ありのまま」でいられないことも多々あります。でも本来は「ありのまま」でいいんだなと気づいているのとそうでないのとでは息苦しさが全然違うと思いますよ。
これからはありのままのサクラ様でしたいことに取り組んでください。損得感情に囚われてはいけません。
「これから」が「これまで」を変えていきますよ!!
質問者からのお礼
まず、誰かに話を聞いてもらえたこと、相談にのってもらえたことがすごくうれしいです。「本当の」にこだわらなくていいんだと思うと、すごく楽になりました。ありのまま、感じたままの自分でいいんだと気づくことができました。「これまで」を「これから」で変えていきたいと思います。社会人になる前にすごくいい言葉を聞くことができました。前を向いて進めそうです。ありがとうございました!