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病的な心配症で苦しんでます。

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私は9年前に母を飲酒運転のひき逃げで亡くしてます。それから、どんな時でもどんどん悪い方向へ考えしまいます。

家族が外へ出ると、事故に遭うのではないか。無事に家に帰ってこないのではないか。心配で仕方なくなります。

そんな私も1年前に娘を無事出産しました。
妊娠中も、何か病気を持って生まれ出来たらどうしよう。と毎日心配になり夜も寝れなくなるほどでした。

健康に無事生まれましたが、右手多指症で生まれてきました。
右手の指が6本あります。

生まれてすぐ検査に入りましたが、全身麻酔で6本目の指を切除する手術は体がある程度大きくなるまでは何も出来ませんと言われました。

1歳で手術をする事になり、その手術が7月に行われます。

幸いその他は健康に成長しています。

わたしの主人も、義母、兄弟は大した事はないから大丈夫。と言われるのですが、

わたしは全身麻酔で目が覚めなかったらどうしよう。
切除した指の隣の指が神経に支障が出たらどうしよう。とどんどん悪い方向へ考えます。

自分の心の中で、大丈夫。でも最悪な事が起きたらどうしようと繰り返し繰り返しで疲れてしまいます。

自分が母親になって、さらに心配症が増してしまいました。

このままだと、娘が成長し、学校に通うようになったら過保護な親になってしまうのでは…とも考えてしまいます。

亡くなった母の仏壇、お墓参りに行くたびに、どうか守ってください。と手を合わすばかりで、母も呆れてるのではないかと思います。

心配は心身ともに疲れてしまいます。
どうしたら、心配症は治せるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お子様がお健やかにご成長なさるように

拝読させて頂きました。今までの人生の出来事によってあなたが精神的にも追い込まれてしまうようになられておられるのでしょうね。あなたのお気持ちをお察し申し上げます。
私達は独りで生きているわけではありません。そして様々なものや人に囲まれて育まれて生き生かされています。そして先の事はどなたもわかりえません。今生きる中でできることをできるだけやっていき、その中で成長させて頂いているのです。私は心配性ですからあれこれ考えてしまいます。今日のお通夜でもし事故に遭ったら、もし声が出なくなったらどうしよう、マイナスのことを考えると夜も眠れなくなってしまいます。しかし私達は多くのものや人に守られて生きているのです。そして日々その恩恵を受けて生かされているのです。自分のできることをできるだけやり、そしてその後は仏様やご先祖様どうぞ守ってくださいね、とお祈りして毎日なんとか生きております。
私達にできることは限りがあります。それはやむを得ない現実です。それを受け入れながら守られている自分達を認識し、生きて頂きたいと思います。必ずや仏様やご先祖様はあなたやお子様を見守りそして正しくお導きなさって頂けます。あなたもどうぞ仏様やご先祖様にあなたのお子様を守ってくださいとお祈りなさってくださいね。あなたのお子様がお健やかにご成長なさることを私も心よりお祈りさせて頂きます。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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心配性を治してはいけません

こんにちは。拝見いたしました。

9年前にお母様を亡くされたとのこと。おさみしいことだと思います。つらい状況の中でも出産され、母親としての道を歩んでおられること、とてもすばらしいことだと思います。よく頑張ってこられましたね。自信にしても良いことだと思いますし、この書き込みを見て励まされている方もたくさんおられることと思います。

さて、「心配性」を治せるかどうかというお悩みでした。結論から言えば「治す必要はありません」という答えです。心配性はあなたの短所ではありません。長所です。あなたの心配性のおかげで周りの人は助かっています。問題の本質は心配性を治せるかどうかではなく、あなたの中の「心配性=駄目なこと」というルールを作ってしまっていることにあります。あなたは何事にも慎重に考えることができ、まわりに気を配ることができる人です。
誰も心配する人がいない状況は怖くて仕方がありません。心配するという能力は人間が未来を想像する能力を手に入れたときに生まれたものです。あなたは能力的に優れた人なのです。

長期的には上記のように考えていただき、短期的なお話もしておきます。まず「変えよう」「治そう」とする考え自体が今の自分を否定することにつながるのでやめましょう。人間は簡単に変わりません。だからこそ変えたいと悩むのです。ただ、仏教における変えるとは心配しない人間になるのではなく「受け入れる」ということです。自分の中にもう一人の自分を想像してください。その自分は管制塔からあなた自身を見ています。もし心配性のアラームが鳴ったなら「そうだよねぇ心配だよねぇ」と管制塔から自分自身の気持ちをなだめてあげてください。思っちゃ駄目という批判はいけません。例えば子供を駄目だから変えてくださいとは言いませんものね。その上で「どのように歩んでいくのか」が大事なのではないでしょうか。

あなたの長所を大事にしてあげてください。

合掌

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有り難し
おきもち

御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせて...
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