気持ちと行動が伴わない
私は仲間の飲み会が決まると、嬉しいし、楽しみだし、いっぱい喋りたいと思いますし、周りにも言います。けど、一方で私は行っていいんだよね?とか、私と喋っても楽しくないんじゃないかとか、うまく喋れるかなと考え不安になってしまいます。そのためか当日、仲間の飲み会なのに、どこか緊張してしまい、うまく喋れなくなります。いっぱい喋りたいのに...こんな自分が嫌になります。
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そりゃ周りも嫌になるでしょ
こんばんは。以前の問答も読ませていただきました。
貴女は、飲み会で喋りたいのですね。そしてなんとなく不安になるというのは、以前何かあったのでしょうね。その辺、お気づきになっているのかどうか、書かれていないので分かりませんが、私なりの推測を書きますね。だから、違っていたらゴメンなさい。
どうも貴女は、話したいばかりに「反応の薄い人」なのではありませんか?会話は一問一答ではなくキャッチボールです。こちらが投げて、相手の反応があって、また続いていくというのが基本です。受け取っても持ったままだったり、とても取れないような球ばかり投げる人とは、次第にやる気を失います。
私たちは、相手からの反応を受け取りながら、つぎの行動を起こしていきます。「自分が何をするかは、以前の相手からの反応による」のです。
ですからね、今回は話したい気持ちを抑えて、聞き役を試みては如何ですか。もちろん、きちんと反応する。相手が話している時に、自分の話す隙を伺ったりしない。それじゃ相手が言っている事に対して上の空でしょう。会話にならないと、周りは詰まらなく感じますよ。
という事で推測ですが、思い当たりありましたでしょうか?
似たようなことを思いますよ!
飲み会幹事、同窓会幹事、交流会幹事、仕事幹事と、なんやかんやで幹事することがいつの間にか多いんですけど、楽しみな反面に実はゆりさんのような不安も抱いてます。
「参加者は楽しんでくれるかな」「つまらなかったって思わないかな」…
まぁ結局は杞憂に終わって、やってよかったなぁって思うんですけど。
飲み会は複数人の方とふれ合う場所です。
Aさんとの交流で満足できなかったところは、Bさんが補えばいい。
つまり、仮に相手がゆりさんと楽しく喋っていなかったとしても、他の人と楽しく過ごしていればOK!ってことです。
だから、ゆりさんだけがうまく喋る必要なんてありません。
そもそも楽しいか楽しくないか、そんなことは相手の問題です。
ゆりさんと話して楽しくなかった相手が、楽しめるスキルがなかっただけです。
違いません?完全に他力です(笑)
実際その人が楽しかったかそうでないかは知る由がありませんし、そもそも飲み会はプレゼンでもなければサービス業でもないんですから「うまく喋れて楽しくないといけない」ものでもありません。
シンミリ人生を振り返る飲み会があってもいいでしょう?
気にせず自分が喋ろうと思ったことを喋って下さいませ。
質問者からのお礼
ありがとうございました。