怒り
もうすぐ教員採用試験があります。
運悪く、仲の良い友人と連番になってしまいました。
その時に、わたしがいるから受かるわって感じで言ってきて、怒りを覚えています。
確かに、わたしよりもその子のほうが頭も良くて上ですが、そのような言い方をされると不快です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
教職を目指すのはお止めなさい!
お二人とも先生を目指しているんですよね?教職は聖職というのは古い表現かもしれませんが、ある意味、坊さんと近い存在ですよ。非行や、いじめ、けんかなど。色いろんな問題にぶち当たることでしょう。そんな時にどう生徒を指導をするんですか。勤務時間、始業、終業も関係なく対応するんですよ。そんな根性でどうするんですか?連番になったことを、優越感の発露として使う卑小さ、その言葉をまともに受けて、怒り心頭している愚かさ、なんとも拙僧は悲しくなりました。こんなつまらぬことで、ここに相談に来られるような方には先生になっていただきたくありません。僧侶は資格ではありません。生き様です。勤行だって修行という研修が終わればしなくても、誰にも咎められませんよ。でも毎日毎日仏徳讃嘆の感謝のお勤めをさせていただく。生き様だから、誰がいようがいまいが関係ないんです。仏さまに愛でていただかなくともいいんです。私の感謝行なのです。先生もそうだと思います。時には命懸けで生徒を守らなきゃいけない時もあるでしょう。また、自我を殺して暴れる生徒の悪態を忍ばなければならない時もあると思いますよ。教員採用試験を受ける前にあなた自身はなぜ、教員になりたいのかをもう一度お考えください。友だちのことはもうどうでもいい。他人ではなくあなたはなぜ先生を目指すのかどういう先生なりたいのか。しっかり、考えてください。建前でなく。私はこれからフリースクールを始めようと考えています。イジメや引きこもりの子どもたちに人と関わる機会や、社会復帰できるキッカケを与えることができたらとおもっいます。これを機会にもう一度、ご自分の人生を振り返り、これからの生き様について再考ください。ご活躍を祈念しています。浄光寺
気にするということは、相手の言った事を認めていること。
きてぃさん、お久しぶりです。
相手の発言にかちんときているのですね。相手の発言にかちんとくるのは指摘が当たっている証拠でもあります。
友達の人を思わないバカな発言に付き合っている暇はありません。相手にするということはその友達とバカレベルが同じということでもあります。そんな友達のことは心の中で友情ランキング最下位にしておいて、そんな無駄は怒りは捨てて、一所懸命勉強しましょう。
あなたの幸せは友達が作るのではないのです。あなたの幸せはあなた自身が作るのですよ。
教員採用試験がんばって!合掌
気にしないで下さい。貴女は貴女でいいのです。
きてぃ様へ
こんばんは。
日々、試験のための準備ご苦労様です。
ご質問読ませて頂きました。
仲の良い友人とはいえ、その様な事を言われるとやはり、誰でも「ムッ」としてしまいますよね…。
中には貴女の様に「ムッ」が「イライラ」になり、更に怒りの心へと変化してしまう方もいらっしゃるでしょう。
しかし、それは知らず知らずの内に自分と他人を比較してしまっている証拠とも言えるのではないでしょうか?
貴女の場合で言えば、友人は頭が良いが自分はそれより劣っているといった具合に…。
ご承知の事とは思いますが人は人、自分は自分です。
又、人間十人十色の言葉通り様々な人が存在します。
故に一人一人が本来、比べることのできない者同士なのです。
にも関わらず、比較する心を抱いてしまうから、その比較心が変化し怒りに変わってしまうのです。
この比較心を手放して、貴女は貴女で貴女らしく試験の準備を行って下さい。
そうすれば心のモヤも次第に晴れ渡り、良き結果を招く事にも繋がるのではないでしょうか…。
友人の言葉を逆に頑張る糧にする位の気持ちで
頑張って下さいね(^O^) 隆介 合掌
質問者からのお礼
お久しぶりです!
覚えててくださったんですね。
そうですね!そんな友達は相手にしないようにします。
なぜか、すごい私のことを敵対心むき出しで接してくるんです。威圧感もすごくて。
今、私にできることをします。
面接が苦手なので、どうしたらいいか困っています。
最初の言葉は出てくるんですが、途中から止まってしまいます。
やはり、練習あるのみなのでしょうか?