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私の母がお守りを紛失してしまいました。

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私の母がお守りを紛失してしまって、とても落ち込んでいるので相談させて頂きます。そのお守りというのは母のものではなく、私の弟のもので、一生もので身代わりになってくれるお守りだよと私たち兄弟に祖母がくれたお守りです。まだ幼い弟は危なっかしいので、弟が出掛けるたびに母がバックに付け替えたり、弟に持ち歩かせているうちにどこかに紛失してしまったようなのです。母は紛失してしまったことが今日わかって、私がなくしてしまったせいで息子になにかあったらどうしようととても落ち込んでいます。新しいおまもりを買ってもよいものなのですか?こういうときは何かすべきことはあるのでしょうか。対処の仕方などあれば教えていただきたいです。よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

誰かを守りたいという気持ち

お守りは、無くなった時点で役目を終えたとお考えになってください。
弟さんを何らかの不運から守ってくれたのだと思いましょう。
神社やお寺などで新しいお守りをお求めになってください。
あなたとお母さんで気持ちを込めて弟さんに送ってあげれば愛情も大事に思われているという気持ちも通ずると思います。
おばあちゃんのように、誰かを守りたい、という気持ちを持てるように、みんなでお参りに行って、そういう気持ちを養いにいかれるのも良いと思います。
あなたのお母さんの心配事を取り除いてあげたいという気持ちは大変素晴らしい心です。
おばあちゃんのお守りに通じる精神です。
そういう気持ちこそ、お守りの精神です。
大切になさってください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

大切なご縁になさってください。

フェリーチェさんのお祖母様の想いが詰まったものを失くされたのはさぞかし残念なことでした。
お母様の無念さは、私も同じ子を持つ親としてよくわかります。

でも、安心して下さい。
大丈夫です。

仏教には元々お守りなどは存在しません。
日本では××祈願や招福など様々なお守りがありますが、それらは本来神道のものであり、神仏習合の結果、各仏教宗派も利用するようになったと聞いています

仏教の教えは、「仏になる」為の教えですから、己の欲求を満たすという方向性は全く逆の教えになります。
しかし、様々な宗派で、お守りやお札、占いの類が存在しています。
浄土真宗にはそれらはありませんが、仏教におけるお守りは、仏法に出遭う為の方便であると理解しています。
お守りを持つことで、仏様の教えを聞くご縁になればいいということです。

フェリーチェさん、またご家族様がお守りを失くしたという縁から、仏教に興味をもって頂ければ幸いです。

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おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学の身でありますが、多くの方のお支えの中で日々精進しております。 仏教には、「私が知らないことを仏様から聞かせて頂く」という大切な側面があります。 聞かせて頂くのは、仏様の智慧であります。 今まで仏様のご縁が遠いと感じておられた方が、少しでも仏法に触れるご縁になれば幸いです。

質問者からのお礼

お返事ありがとうございます。母にお返事の内容を伝えました。「安心してください。大丈夫です。」の言葉に母はとても救われたみたいです。とても安心していたようで、本当に良かったです。ありがとうございました!
弟の不運をそのお守りが守ってくれたのだと思って感謝しようと思います。今度祖母も誘って家族みんなでお参りに行ってきます。
また「お守りの精神を大切に」という言葉がとても心に響きました。これからもその気持ちを忘れずに過ごしていきたいと思います。
ありがとうございました!

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