お葬式と宗派について
外国育ちでよく理解できていないのですが(変な質問ですみません)、祖父母はすでにおらず宗派などもわからず(お墓も不明)、両親も檀家などではないのでお世話になっているお寺もないのですが(あえていえば考え方としてこころにとめている宗派はあるのですが直接信者などというわけではない)、こういう場合、お葬式などでは宗派など聞かれた場合どうしたらよいのでしょうか。キリスト教のように洗礼を受けたりというのもないようですし、たとえば、天台宗の思想がとても自分の考えにちかいからそこでお願いしたい、などそういうことをしてもよいものなのでしょうか。またある宗派の信者になるということは仏教ではどういうことなのでしょうか?(海外の宗教とは違うのでよくわからず、くだらない質問で本当にすみません)
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
接してみること
マイカさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。
海外育ちで、日本の宗教・仏教に関してよく理解していらっしゃらないとのこと。
日本国内でも地域によって様々な習慣があるのですから、海外の知識と照らし合わせた時に「よくわからない」と思われるのは当然のことです。
また日本で生まれ育っても、よっぽど仏教に興味のある方でなければ、自分の家の宗派や、その宗派の作法など詳しくないものだと思います。
このhasunohaには、ほぼ全ての宗派、そして各地の僧侶がいますから、ここで聞いて頂けば様々な答えが得られると思います。
それはさておき、ご質問の件です。
祖父母の代の宗派は分からず、お墓も不明(ご両親に聞いても分からないですか?)とのこと。
また、ご両親の代もお寺の檀家にはなっていない、とのこと。
こういった状況であれば、マイカさんが心に留めている宗派を選ぶというのは自然な流れだと思います。また「家の宗派」という言葉がありますが、個人の信仰は家の宗派に縛られる必要はありません。「お葬式などで宗派など聞かれた時」には、好きな宗派を仰ればよろしいのではないかと思います。
ただもう一歩突っ込んだ話をすると、お葬式の時になって葬儀社さんに「〜〜宗でお願いしたい」と依頼するのは、あまりよろしくないと思います。
というのは、たまたま来た僧侶が、必ずしも素晴らしい僧侶とは限らないからです。もちろん「アタリ」の可能性もありますが、人生に一度の大切な儀式にギャンブルをするのはお勧めできません。「こんなハズじゃなかった」となる可能性も少なくありません。
ですので普段から、ここというお寺、この人という僧侶を探して接しておくことです。必ずしも檀家さんになったり、信者になったりする必要はありません(お寺によって決まりがあるかもしれません)。
マイカさんが心に留めている宗派のお寺が近所にあって、そこが法話会や写経会など一般向けに開催していれば、訪れて僧侶の人柄を見てくるのがいいのではないでしょうか。
もし開催していなくても、散歩がてら行ってみてお話しなど出来ればいいですね。ちょっとハードルが高いかもしれませんが、突然の来訪者に快く接してくれるお寺であれば、安心できるお寺なのだと思います。
また何かありましたら、ご相談下さい (−人−)
日本では信教の自由があります。
ここはワシの勧誘ナシに答えたいと思いますが、前提として、日本国憲法で信教の自由が認められていますので、気にせず、仏教に限らず、様々な宗教から選ぶことをお勧めします。
その時は出来るだけ、近隣のお寺や教会、宗教施設から探すことをお勧めしません。まずは本山や聖地を参拝することから初めて下さい。宗教とは葬儀のためにあるのではありません。ご自分の信仰のためにあります。家族が例え違う宗教でも自分は自分という気持ちを持ってください。これからは信仰もクルマやTVと同じで家族に1つではなく、個人に1つの時代になってきます。信者も家族から、個人会員、クレジットカードと同じになってきます。ワシの近所でもそのような人は増えてきております。
弊害として、葬儀は自治会で協力して行うものですが、それすら拒否し身内で済ます方も増えております。もう、葬儀と宗教は関わりが希薄になってきてます。これが個人で宗教を持つ弊害かもしれませんが、本人の気が休まれば問題はありません。
葬儀やお墓の事は気にせず、おもいっきり信仰を楽しんでください。そしてあなたの心の支えになる宗教を見つけて下さい。そこには色々な障害や壁が出てきます。その時はまたここに質問を投稿してください。お待ちしております。
ご自身の信仰を決めることは尊いことです。
くだらない質問ではありませんよ。
とても大切なことです(^^)
今日日本には、さまざまな宗教が混在しています。
信仰は当然自由ですから、ご自身の想いで宗教は選ぶことができます。
本を読んで勉強してみることもいいと思いますし、お寺や宗教施設に足を運んでみるのもいいと思います。
もちろん僧侶はそれぞれ各宗派を信仰する信者です。
その宗派に魅力を感じているから、僧侶をしています。
『この宗教のどこが魅力的ですか?』と端的に質問してみることをオススメします。
寺院探しは病院探しや結婚式場探しと同じです
貴女様のようなケースで最も大切なのは導師になる僧侶の選択です。病気に罹った時に治したい一心で真剣に薬や医者を選ぶのと同じです。誰でもよいはずはありません。
また、披露宴がどのような形になろうと、結婚式では、伴侶となる相手だけでなく、仏神やご先祖様など目に見えぬ方々や、場合によっては大自然や未来に対してまでも、伴侶となってくれる人を必ず幸せにしようと誓う純粋で思いやりに満ちた心になっているはずです。それならば、この世で精一杯の役割を果たし終えてあの世へ旅立つ人の人生を敬い、恩に報いようとする時は、告別式がどうであろうと、安心の世界へ行ってもらいたいというまごころをもって、できるだけのことを行わずにはいられないはずです。
ご葬儀の導師として誰を選ぶかは送る立場に立った人、また、生前に送られる立場を自覚した人の人生観が問われる重大場面です。
できれば、会ってみたいものです。あるいは、いかなる寺院で、いかなる住職が、いかなる信念や方針で、いかなる法務を行っているかホームページなどで調べてみましょう。
もしもブラックボックス状態であったなら問題です。そもそも、寺院は住職のものでも宗派のものでもなく公器であり、その認識があれば情報を公開しているはずです。
また、檀家になったり、高額なお布施を払ったりしないとご葬儀を行わない寺院も当然、問題です。ご本尊様は相手が誰であれ、すがる人を選ばずに救うみ仏であり、寺院が都合の良い条件をつけてすがる手を払いのけることなどあってはなりません。
さて、仏教徒になる方法は、はっきりしています。仏法僧の三宝に帰依することです。ご本尊様の前で敬虔な気持になり、教えに深く道理を感じ、菩薩になろうとしている僧侶や、菩薩のように他のために汗を流している人々を敬う気持になれば立派な仏教徒です。
檀家になったり高額なお布施を差し出すことそのものが仏教徒である証ではありません。心から仏法僧を大切に思えるかどうかだけが条件です。
寺院を訪ねるのはどうしても億劫に感じられることでしょう。しかし、医者を探したり、結婚式場を選んだりする時の真剣さを想像すれば、できないはずはありません。 まず、ネットで調べましょう。そして自分なりの方法で確認すれば、本来の公器として開かれている寺院が見つかり、大きな安心がきっと待っていることでしょう。
しっかりと納得して関わっていくという自覚と責任が大切
マイカ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
基本的には、既に大鐵様もおっしゃられているように「信教の自由」がございますので、宗教、宗旨宗派の選択も各個人の自由が尊重されるべきことでございますが、何でもかんでも自由気ままにということではなくて、宗教、宗旨宗派に対して、しっかりと納得して関わっていくという自覚と責任が大切になるのではないかと存じております。
特に仏教の場合は、実践思想哲学的な側面が強くございます。決して盲目的・盲信的な信仰であってはいけないかと存じております。数々の釈尊の善巧方便の教えをしっかりと学び修していくためにも、まずは仏教全体の概要の教え、基本的な法理、各宗旨宗派の基本的教義などを概観することから始められて、その中から、少しずつお決めになられていかれると良いのではないと存じております。また、その中でやはり別の教義も学んでみたいとなりましたら、それはそれで全く構わないのではないかと存じます。
拙生自身もいまだテーラワーダ(初期・根本仏教)からチベット密教まで幅広く学びを進めさせて頂いている途上でございます。
さて、以下は補足となりますが、お葬式と宗派につきましては、下記の拙論の中におきまして少し各宗派の葬儀の要諦について私なりに簡単にまとめさせて頂いておりますので是非ご参照頂けましたらと存じます。
「お葬式について」 平成26年8月・お盆配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76
また、これまでの下記各拙回答も少しく参考となるのではないかと存じます。
問い「お葬式・改宗について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1006716402.html
問い「お坊さんを変更できますか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1006677441.html
誠にご仏縁、ご法縁もご縁なるものかとも存じます。どうかマイカ様に御仏の善きお導きのあることを祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
遠藤さま。日本に来てあまりに宗派の多さと作法の複雑さやお布施やお墓など供養の料金の高さなどいろいろ直面しなにをどうとらえてよいのか混乱していました。仏教徒というものの最も大切な根底にあるべきものを指摘していただきとても心に届きました。「かたち」にとらわれた宗教ではなくその根本を見ようとしなければいけないですね。浦上さま。仏教は生まれで決まるものでもなく全てのひとに可能性を与えるという面では無限の可能性があるのですね。お寺の行事に参加するには正座も長時間できず作法もわからず日本語も書くのが下手なので(日本人なのにできないことが恥ずかしく)勇気が出ませんでした。信者のためだけかと思っていました。僧侶に出会った場合こちらから声をかけてもよいものなのでしょうか。大鐵さま。仏教以外の宗教とは生活の中で関わってきていたのでわかるのですが(知人がヒンズー・イスラム・シーク・ユダヤ・キリスト・ゾロアスター・ジャイン等様々な習慣を実践していたので)なぜか仏教に関する行事などは身近になく日本にきてあまりの宗派の多さに混乱していました。人種・生まれ・育ちなど関係なく「共存」できる宗教の体系は仏教にある気がしています。釈心誓さま。ユダヤの知人で養子だとわかった時にその母親がユダヤ人ではなかったということを根拠に生まれて以来ずっと関わってきたユダヤ教から追放されたひとがいましたが、日本の宗教は神道も仏教もその寛容性には感動すら覚えます。仏教において様々な宗派を知る機会があるのですからまずいろいろな考え方にふれたいと思います。皆様に感謝をこめて。
川口さま、お返事をありがとうございます。確かに仏教の宗派が存在するのはそれぞれの哲学なり解釈なりが違っていて共通する概念を知った上で違いというものを理解する必要があると確かにそのように思います。ご丁寧にリンクの方もありがとうございました。少しずつ勉強してみたいと思っております。