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長年に渡る実母との確執

回答数回答 2
有り難し有り難し 40

実母との長年に渡る確執で相談させて頂きます。
母は、私を幼少期から虚栄心を満たすための道具にしてきました。
私が結婚するまで、全てに関して干渉と支配をしてきました。

7年前に父を亡くしました。
発病から治療計画、闘病、葬儀の打ち合わせ、等至ること
母は、子供である私達3人には、全て事後報告で母の兄・姉と
決めて私達は蚊帳の外でした。
その都度母に、子供がいない訳ではないので、子供達に相談するように
言ってきましたが、跡取りである弟も当然蚊帳の外でした。
せめて弟だけでも父の治療の話し合いに入れるべきと妹と強く言いましたが
陰で伯父・伯母と母で話をまとめて弟に了承をさせてました。
当然亡くなった後の法事等も同様です。
挙句のはてには、親戚一同塔婆があり我が家だけが無かった等ということもありました。

伯母・伯父が母を洗脳して私の悪口を吹き込んで完全に母との関係が、
ズタズタでここ数年疎遠になってしまいました。
まるで私が極悪人のような状態になってしまい妹も被害をこうむるのがイヤで母サイドに付いています。
母も歳ですしどのような解決方法があるのかアドバイスをおねがいします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

親には何も願わないほうが良い

母親って多くはそういう❝サガ❞なんでしょうね。
特に支配的な母親は自分の意の通りにならないと腹を立てる、むくれる、不機嫌になるだけ。厄介です。
私もそういう女性をたくさん知っています。
結局我欲、自分の都合通りにしたいだけなんじゃないでしょうか。
まず、深~い意味で申し上げます。これはご想像に任せますが「母親から何かもらおうとしないこと」です。何の事を申し上げているかはあなたが一番分かるはずです。向き合ってみてください。
それだけですべて解決します。
それで、あなたが、本当に母親から独立できるのです。
干渉からの蚊帳の外に身を処するべきです。
影響は受けたい人だけが受ければよいのです。
あなたが一番影響を受けているのは、情報、です。お母さんがこうした、ああした…、身内がどうしたこうした…。その情報の出どころ、扱い所、振り回しどころが自分の内側であることに気づいてください。
ああ親不孝じゃなかろうか?身内は悪く思わんだろうか?こんなことしたら罰が当たるんじゃないだろうか?
その原因は、実はお母さんだけではなく、あなたがお母さんに対する要求心があるのですよ。
知らず知らずのうちに母親に対して、自分の理想を意見してるのです。
自分の理想の母親像を押し付けて、それと現実とがあまりにも違うから苦しんでいるのです。
ちょっと、母親に対する要求を引っ込めてみてください。
必ず変化を感じると思います。今すぐに。
あなたがあなたをしっかり生きるとはそういうことではないでしょうか。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

正直な気持ちを伝えることが、 心の回復になるかもしれません。

チェリーさん

幼少期に虚栄心を満たすために道具にされ、
そして、全てに関して干渉と支配をしてきた
お母さまへの怒りが伝わってきます。

そして
お父さまが亡くなったことを契機に
仏事を通して関係をもたざる得なくなり、

今度は仏事が争いのたねとなって
お母さまとの関係がズタズタで疎遠になってしまった。

チェリーさんの言う解決とは何でしょうか?

母と縁を切りたい。
関わりたくないということであれば
このまま疎遠になってしまえばそれで
いいのかもしれませんが、

今のチェリーさんにとっては
それは解決ではないのでしょう。

関係性を回復したいというよりも

あなたが幼少期から抱えている気持ち

支配されたことへの怒り

もしかしたら
愛されたかった悲しみを
伝えたいのではないですか?

そして
お母さまから申し訳なかったという
愛のある言葉を聞きたい

もっと大きな心の傷を負ってしまうかもしれないので
正直私も勧めることは出来ませんが、

お母さまへの正直な気持ちを伝えることが
心の回復になるかもしれません。

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おきもち

質問者からのお礼

中根様ご回答有難うございます。
母からの謝罪は聞きたいですが、それは求めても叶わぬことと
あきらめています。
せめて、仏事にさいしては、母と私達子供で相談して行いたいと
思っています。。
相手との距離感を計らずに出しゃばってくる伯父・伯母には怒りが消えません。
「やってやっているんだ。」と言う言動を取られても迷惑なだけです。
面倒な悩みに丁重にお答え頂いて感謝いたします。

丹下様ご回答有難うございます。
確かに母に、相談して欲しかったと言う私の思いがあります。
母の好きなようにやらせる事が母の為なのかなとおもいました。
そしてほ放っておく必要なときに手を貸す。
ある意味親子なんだけど、近所の他人的感覚を私が持たないと
いけないのかなと思いました。

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