スズメの雛
先日、巣立ちしたばかりのスズメのヒナを家の前で見つけました。
可哀想とゆう自分本意の考えで、何の知識もない私は一晩保護をしてしまいました。
私は親鳥の前でヒナを誘拐してしまったんです。
翌日、元気だったので、外に逃がしたのですが、親鳥が迎えに来てくれる保証はありません。
私のせいで、助かっていたかもしれない命が、助からないかもしれません。
そう考えると、胸が苦しく、いてもたってもいられません。
自然の摂理とは分かっていますが、どうしても自分の中で整理ができずにいます。
この気持ちは、どうすればいいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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私たちは命を犠牲にしながら生きていかなければならないのです。
ゴーヤさん、こんにちは。
スズメの雛を無暗に保護してしまったのですね。私も子供の頃に、2回ぐらいスズメの雛を捕まえたことがあります。でも育てるのは難しいといわれ、返しました。その後どうなったかわかりません。
人は食べる殺生だけでなく、食べない行為以外でも意味なく殺生していることはたくさんあります。今回はスズメの雛ですが、あなたが使っている化粧品やシャンプーでも、たくさんの動物実験の犠牲の上でなりたっています。それ以外でも、歩いていれば蟻を踏んで殺しているでしょう。ゴキブリや蚊も殺虫剤で殺していますよね。水の中にはたくさんの微生物もいます。私たちの人生は、食べ物以外でも、利用、非利用関係なく、生物の犠牲の上で成り立っているのです。
だからこそ、他の犠牲の命の上に生きていることに感謝のために、自分を生き生き一生懸命生きるのです。それが他の犠牲の命の上に生かされた命への感謝の行為なのです。
そしてその気持ちを作るために、毎日お経を読んでいく。回向供養をしながら命の大切さを自覚していく。それが日本仏教の信仰だと思います。
雛は助かるか助からないかわかりませんが、今は雛が助かることを祈ってあげてください。もし助からなかったらそれも雛の運命なのです。あなたが辛いのであればお寺で供養をしてあげてください。
合掌
質問者からのお礼
夜分遅くに、とても丁寧なご回答、ありがとうございます。
沢山の命を犠牲にして生きているとゆう、そんな大切な事も考えられず、目の前の事だけしか見えておりませんでした。
染川さんの仰った通り、これからは、心の中でスズメが元気に育つことを祈り、私は精一杯今を生きていこうと思います。
気持ちが楽になりました。本当にありがとうございました。