お通夜の後の親族のマナー
昨夜、主人の父方の祖父のお通夜がありました。
お通夜の後は朝まで孫一同交代しながら葬儀場にて線香の火を絶やさないように番をするらしいのですが、主人や主人の妹達は番をする間なにをしていても良いと言われた為、斎場ではwiiというゲーム機を持ち込んだり、交代で外にでた妹達はカラオケに行っておりました。
わたしも知識がないので良く分かりませんが、個人的に不謹慎ではないかととても思ってしまいます。
何も気にしなくていい行為なのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
朝までお通夜です。
さち様
この度のお悩み、拝見させて頂きました。
お心を痛めておられるのですね。
通夜の場では、地域によっては、お参りの方々へ通夜振る舞いという酒盛りや軽食のお接待をしたり、
中にはその際に歌を歌ってお偲びするという一幕も飛び出すこともあるかと思いますが、
カラオケをしたりというのは行き過ぎかと思います。
全てに於てそうなのですが、我々というのはとかく何よりも経済活動が優先されてしまい、
様々な儀式や行事、また人間そのものの在り方が、我々の都合により、本来の姿を保てなくなっております。
大変危険なことですが、それを選択しているのは我々で、国や政府も、経済経済で、その風潮を助長どころか奨励推奨しているように思います。
ですので、さち様のように、優しいお心正しいお心は、マイノリティーな意見として、世間に掻き消されてしまいがちです。
大変危険なことです。
お通夜のことを夜伽(よとぎ)と言うたりします。
伽とは、サンスクリットという言葉のギャからきています。
侍る、集まる、傍らにいる、そのような意味です。
お通夜の晩は、ご遺体のお側にいて、
故人様のご遺徳やご恩を偲んだり、ご生前の様子、ご苦労ををゆっくり丁寧にお尋ねをする時間です。
お釈迦様がご入滅(亡くなること)のときに、そうされて過ごしたのが起源です。
遺体の遺は、遺す、遺言の遺ですね。
ご遺体、ご遺影を通して、遺して頂いたお心、ご苦労を偲び伝えねばなりません。
カラオケは、あきませんね。
お通夜のご案内には何時から、としか書いてないはずです。
終わりの時間が定められてないのは、明日の朝までがお通夜ですとのメッセージです。
また、翌日には今は二時間~二時間半ほどで火葬され白骨のお姿です。
故人様と過ごせる最後の大切な夜です。
さち様だけでも、そのようなお心を持っていて下さり、嬉しく思います。
通夜、葬儀の意味を知る!
人が亡くなる時、仏教では死水、枕経、お通夜、葬儀告別式を執り行います。
なんでするのか?ここの処を理解しなければなりません!
理解すればカラオケ、ゲーム等をしていいのか悪いのか判断できます。
「死水」:お釈迦さまが入滅(亡くなる)されるとき喉が乾いた為阿難尊者に水を汲んで来るよう告げられました。これは人が亡く成る時には熱を持ち喉が乾く為で仏教の祖師お釈迦様にあやかる行為です。
「枕経」:現在は死んだ後に行っていますが本当は間違いで息を引き取る間際に安心してあの世へ行ける様挙げるお経の事です。
「お通夜」:夜伽(よとぎ)とも言い夜を通して寄り添うと言ういみで分かり易いのがお伽話で子供に寄り添って話をしてあげる姿を思い浮かべれば分かり易いでしょう。始まりはお釈迦さまが入滅なされた時多くの弟子達が囲みその周りに色んな動物が囲みお釈迦さまの死を悲しみ森の木も悲しみから枯れてしまいます。これを現したのが「涅槃図」です。この事から現在も仏に成る為お釈迦さまにあやかりお通夜を執り行うのです。夜通し線香とロウソクの火を絶やさぬ様する意味は、線香の煙はあの世へ(仏国土)を向かうときの道しるべでありお腹が空いた時にお腹を満たす為、ロウソクの明かりは冥土への道は暗い為足元を照らす為のものです。
「葬儀告別式」:宗派により違いがありますが私どもでは葬儀は死んだ人の為の式ではありません。仏と成るためのあの世へ旅立つ為これから仏になる為の色んな教え行いを授け死んだ日から数え四十九日間懸けて仏に成るための修行をして仏となるのです。その時には仏の名前で無ければならないので戒名を頂き仏の世界で生きて行くのです。あくまで葬儀はあの世へ仏として生きる為の儀式なんです。
以上を行うのは仏を創る為です。人が亡く成り何を学ぶか悲しみ苦しみ絆、愛、感謝、感動思い遣り色んな事を学ぶ場がお通夜であり葬儀であるのです。