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どう気持ちを持っていけばいいでしょうか

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子どもが生まれた直後に夫の借金と女遊びが発覚しました。産後の私に労いの言葉もなく、子どもが可愛いという様子も一切なく、これからどうするか話し合いでは遊ぶのを我慢すると言われただけ、謝罪はありませんでした。何より子どもへの想いがないことが一緒にはやっていけないと思いました。

その後、同じ職場の人と再婚しましたが落ち込んだ気持ちを利用されたんだと思います。たった数年で前夫の倍以上の多額の借金が発覚しこれでは子どもの生活を守れないと判断し離婚しました。

仕事は続けていたので、フルタイム勤務で苦労は多かったものの何とかやってこれました。

数年前から、仕事に出ていた母も定年を迎えたので私は両親が所有する近くの家に引越し、住ませてもらい仕事から遅く帰る私の代わりに子どもの食事の世話をしてもらっていました。ようやく安定した暮らしが見えてきたかと思えば、今度は父から妨害を受けています。

父は女性問題で母と不仲であまりに喧嘩をするので私は近くに住んではいるものの、なるべく父ぬ関わらないようにしてきました。それなのに突然昨年秋、私が父の家を乗っ取ろうとしている、親の金をむさぼり親よりも金が大事な卑劣な娘に母がだまされているんだ私を追い出せと母に言い出しました。
共同購入した車も取られたと言い出しました。
母はそれでも父に従うしかないと私に言いました。

私はフルタイムで働いているのでお金としての援助は少しも受けたことはありません。

出ていくために小さな中古の家を購入しました。
住ませてもらっていた家はリフォーム費用を私が出していました。たった数年で出ることになり、逆に無駄な出費てした。車も自分で買い直し中古の家のリフォーム、手元には子どもの進学のために残すべき費用くらいしか残りませんでした。

子どもの頃はよその家より圧倒的に厳しい両親のいいつけを守り従ってきました。従わなければいけないんだとずっと支配されてきました。
結婚してからもどちらかと言えば夫を優先してきました。仕事も一生懸命熱心に取り組んでいるつもりです。これまでずっと頑張れば報われるんだと信じてやってきました。

でも一向に開けません。光の見えない毎日に悔しかったり悲しかったり腹立しいことばかりで疲れ果てています。耐えるばかりの人生、どう考えどう気持ちを持って生きて行けばいいのか分かりません。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「忍」 悪意や自我、自己愛まるだし人間とはほどよい距離間を。

あなたがであって来た人たちは、自分のことばかりだったの絵でしょうね。
本当に大変でした。そしてよくお子様の為に自分を押し殺して今日まで本当に頑張って来られました。
それだけでも本当に素晴らしいと思います。
人間、自分の自我の愚かさに目覚めない内は本当の意味で真人間とは言えません。
それに気づいて敬虔な生き方をしている人たちを友とするべきです。
魔人間と真人間の違いがあるとすれば、それは自我、自己愛、エゴの度合いです。
あなたは大変敬虔な生き方をされています。
それこそが光なのです。
忍 という字は 刃をつきつけられて心という字がしるされています。
刃物を突き付けられても、その距離が遠くはなれていれば恐れる事はありません。
それは忍ぶといっても、我慢ではありません。
グッとこらえる必要はないのです。
刃から、あなたが距離を持つのです。
時にはつらい思い、人を呪わしいと思う思いも現れると思います。
そういう思いこそ本当の刃なのです。
心を近づかせ過ぎてはいけません。
今私の横では子供が泣いていますが、気持ちを注ぎ過ぎてはこちらも参ってしまいますが、ちょっと距離を開けているからこそ、冷静さを保てるのです。
相手やひどい人たち、自分を悩ませることに対しては、意を注ぎ過ぎないことです。
それが忍の一字が示す、刃と心の隙間です。
側にあっても、忍なのです。我慢ではなく、平然とすることなのです。
それが、物事や相手をワタクシしない心なのです。
いくら愛や慈悲の名の元であっても、意を注ぎ過ぎればこちらが参ってしまう。
側にいても、距離が保たれているからこそ、「忍」なのです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

自分を守ってください。気持ちは親離れの方向性で。

aco様。

文章拝見しました。お辛い境遇の中での心中お察しします。

ACO様のお父様だけに当てはまるわけでなく、人間 歳とってくると家や土地や貯蓄への執着を言いやすい人に対して露骨に言われる傾向があるようです。
「介護 執着」と検索するといろいろ事例が出てくると思います。 
身内であるがゆえに相続が争続になりそうで辛いといった声を聞きます。

ACOさんのご家庭が特別でなく、同じような悩みを持ってらっしゃる方も実は少なくないと思われます。
親だから、親ならばという特別な視点ではなく、加齢によるありのままの人間臭い姿で捉えることも必要な時期になってきたかもしれないですね。

ご質問のタイトルへの回答で言いますと「従わなければいけない」というしがらみからの卒業。
昔は気にならなかったことが気になっている親への心配はキープしつつ、振り回されない適切な距離を保つ方向に気持ちを持ってくださればと思います。

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hasunohaに出会えた私は幸せ者です。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しい地方の町のお寺にいます。人混みは苦手、都会のイルミネーションやサイネージはまぶしすぎる。だけど、ここhasunohaでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みがなくても話してみたいときは相談ください

生きている意味を聞く。

人生は思い通りにならない。
いつかは死ぬ。
であるなら、人は何のために生きているのでしょうか。

それは仏法を聞くために生きているのです。
人間は仏になる為に生まれてきたのです。

人生は私が仏になる為のご縁です。
人生は辛いことばかりでありますが、その結果はこの上ない最上の幸福です。
それが仏になるということです。
お釈迦様が2500年前に菩提樹の木の下で悟られた境地を、この私が臨終に頂くのです。

いのちの行き先が定まるとき、全てが救われます。
過去は変えれませんが、過去の意味を変えることはできます。
是非、仏法を聴聞しましょう。

本願力にあひぬれば    
むなしくすぐるひとぞなき  
功徳の宝海みちみちて 
煩悩の濁水へだてなし 
(親鸞聖人:高僧和讃)

【現代語訳】
阿弥陀様の教えに出遇ったならば
空しく人生を終える人はいませんよ
阿弥陀様の功徳が私の中にいっぱい詰まって 
私の抱える煩悩は(私が仏になることに)全く問題にならないのですから

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おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学の身でありますが、多くの方のお支えの中で日々精進しております。 仏教には、「私が知らないことを仏様から聞かせて頂く」という大切な側面があります。 聞かせて頂くのは、仏様の智慧であります。 今まで仏様のご縁が遠いと感じておられた方が、少しでも仏法に触れるご縁になれば幸いです。

質問者からのお礼

回答いただき、すごくうれしいです。
ありがとうございます。
何度も読み返しています…
よくよく考えます。

丹下僧侶様
とても奥深いお言葉ありがとうございます。
意を注ぎ過ぎないこと、様々心当たりがあります。すごく身に沁みました。
まず両親から離れることから始めてみます。
離れれば怖くはないんですね。
少しやっていけそうな気がしてきました。

どんなに困難を越えても一向に変わらず重なる困難に、自分は前世でどれほどの悪人だったのだろうと考えることがあります。
人生の半分を過ぎ残りの人生は誰からも妨害されずに穏やかに過ごしたいです。
いただいたメッセージを大切に読み返したいと思います。お子さまが泣いているときに私のためにメッセージくださり、心から感謝いたします。

読み返すと泣けてきます。
本当にありがとうございます。

我慢ではなく忍、肝に命じます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ