心から作品を応援してもらいたい
しがない物書きです。
もともと物書きとは違う活動をしていて、そちらの活動ではそれなりに知名度が高いです。
しかし、本来やりたかった執筆活動を始めた途端に人は離れていきました。読者数自体はまあまあ増えたものの、応援してもらえずといった具合です。
ちなみに執筆活動自体は、昔に2年間ほどやっておりましてそれなりに人気だったため、過去の栄光に縋っているのかもしれません。それでもやめられないのは、執着だけでなく、本当に好きだからという理由が大きいのだと信じております。
知名度のせいで、今までは合わない方含め色んな方が寄ってきておりました。それに疲れ、今は自分のやりたいように活動し、振舞っているのに心が満たされないのです。何故でしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
焦らないで
「心から作品を応援してもらいたい」分かります。
誰でもそう思います。私だって、そう思います。でも、私の場合は、自分の不得意な面は全く関わりません。いや関われないので、そんな苦しくありませんが、まころんさんはプロですから、そんな訳にはいきませんね。
「心から」ですから、心から書きたいものを書いているかです。
あとは、ニーズに応えているかです。お腹が一杯なのに、まだ食べろ!と言われても・・・
今、みんなは何を求めているかも大切です。
そう意味で、プロの方に語るのはおこがましいですが、今は次のための準備期間、エネルギー充電期間だと思い、自信を持っていかれればいいのではないでしょうか。
困った時こそ、神仏から離れるな!という言葉もあります。時には、そんな景色でも、空間にでも触れられたらどうですか。
いつか「これです」と、その日を楽しみに待っています。
好きとは貪りです
好きとは貪りであり、貪りは煩悩です。
煩悩を(なるべく)捨てなさいというのが仏教です。
ですから、好きな執筆活動ばかりにとらわれてはいけません。
嫌いな活動もしましょう。
そうすることで、心に得るものが見つかるのではないかと思いますよ。
自信持って行きましょう!
それなりに知名度のあるお方とのこと…もしかして御名前聞けば、私や家族の一人くらいは「知ってる!」方なのかも知れません。
ただ、本来やりたかった執筆活動をされるようになったものの、満たされない気持ちが募っておられるとのこと…なぜでしょう。前の活動程は、又以前の執筆時程は注目を集められていないからでしょうか。また、そうお感じだからでしょうか。
注目を浴びたい…多くのお方の持つ自然な感情ですね。目立ちたい…坊さんにはそんな気持ちは毛頭無い…ワケはなく、それなりに備えておりますよ…間違いなく、まんべんなく…。
注目を浴びるためには才能が必要ですね…才能は努力と同義語でしょうか。やってみる、やり続けるしかないように思います。目立つための特効薬なんてありませんし、もし、実力が伴わないまま注目を集めたりすると、かえってプレッシャーとなってしまい、お仕事が続かなくなることもあるかも知れません。
あなたの心を満たすのは、本当は周囲の視線ではなく、あなた自身のあなたの作品への満足度だと思います。作品には満足出来ておられますか? イケてる感じですか?
イケてると思ったらどんどん売り込みましょう。
あるいは、ちょっとまだ手を入れられる部分があるかな と思ったら、トコトンご自分の作品に向き合いましょう。
その辺は「プロ」でいらっしゃるのだから、私などが とやかく申すことではありませんね…失礼しました。
いつか作品を読ませて頂ける日を楽しみにしております。私と、また多くの未来の読者が…。