hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「煩悩」問答(Q&A)一覧

【暴言多め】ちくしょー!私は煩悩の塊だぞ!?

乗っけから乱暴ですみません。 ここでしか言えないので。周りの人は、 「怖いと思ったら、離れなさい。 それが今あなたにできる事」 と言います。 でも、私だって楽しみたい! 他の人みたいに、安心して遊びたいし、 歩きたいし! カワイイ子いっぱいいるだろ! 何で私なんだよー! 私からは、「とても感じのいい、 人から頼られやすい雰囲気」 「内面の良さが外面に」 出ているそうです。不思議です。 正体はこのザマですよ?描く絵だって 血生臭いし。結構物騒な事も考えて ますよ? 最近は、生来の防衛本能(霊感と 呼んでます)が大暴れしています。 一歩道を歩いて、男性とすれ違えば 下を向いて横目で警戒。 目を見なくても、 「こいつ、ヤベェぞ」 と頭の中で 警報が鳴ります。 いつ絡まれないか、手を出されないか。 現実、いきなり手を振って近づいて こられそうになった事もあります。 人混みに出て、後ろに男性が来れば、 ソワソワ落ち着きがなくなり、 睨みつけたり、徐々に離れたりと言った 目立った行動をとります。 あとは、防犯ブザーをちらつかせ たり、付属のレーザーライトを カチカチ点滅させてしまったり… これで、逆に話しかけられた事も あります。怖いんだよ畜生が! 要は威嚇です。 同性もしかり。私が前を通過すると、 目で追われたり。迷惑なんだよー! 最近は、この本能大暴れのせいで 今年2度目の風邪をひきました。 暴言三昧ですみません。 聞いて欲しかった、それだけです。

有り難し有り難し 26
回答数回答 1

ふと我に返り悩む事があります。

初めて投稿させて頂きます。 私はまだ28歳の若造ですが、今沢山の人のご縁を頂き画家という職業をしております。 幼い頃から絵が好きだった私は、美大を出てデザイナーとして働いていました。 会社で辛い事が重なり病気をして1年程休み、暫くして百貨店と契約する画家になりました。 毎日絵を描く日々で時折絵の制作を邪魔する煩悩に悩まされます。 でも絵を描いていて時々心の底から嬉しくなる時があります。 それは「絵と自分が一体となる」感覚です。 私はお酒も煙草も大好きですが、絵を描いていてふと自分自身の絵に救われる様な気持ちと喜びが時々あるのです。 確か心身一如と申しましたか。 自分がまっすぐ絵と向かいあっている時、私は心も身体も澄んだ心地になるのです。 私は2年浪人して美大に入学しました。 今浪人時代辛かった時に、私の心を救ってくれたある風景を絵に描いています。 10年近く構想を温めていた新作ですが。 まだ私には絵を描いている時以外欲に苦しめられる時もあります。 正直に申せば果たして今回の制作も上手くいくか不安なのです。 ですが俗世の人間である私でも、心から絵を描いてきて良かったと思う事がありました。 それを支えに今もまた毎日自分の絵と向き合っています。 短絡的な質問で恐縮ではございますが、欲や悩みに駆られた時でも自分の仕事に集中する良い手立てはないでしょうか? どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 49
回答数回答 3

光合成するペット(自然と煩悩)

私の中学生の時の「将来の夢」は、「動く植物を開発すること」でした。 一番興味があったのが、『地球温暖化』全般。一番、地球温暖化を促進されるのが牛のゲップと聞けば、「ゲップし難いエサ(植物)の開発」を、生き物(動物)が出すCO2を吸収しているのは緑(植物)だと習えば、「とんな場所でも行ける緑(植物)の生き物(動物)の開発」を、と考えてきました。 自分が排出するCO2は、自分のペット(動く植物)に吸収してもらい、酸素をまかなう。そういう世の中、地球に優しい生き方が出来る社会にしていきたいと思っていました。 それで、中学生の時も高校生の時も、農学部に行きたい!新しい環境作りに貢献したい!と思い続けていましたが、幸か不幸か、何故か勝手に出された推薦入試の願書→受かったら辞退出来ない受験に合格してしまい、長年の夢を変更するしかないという形で幕を閉じました。 でも、高校1年生の時に被災(阪神淡路大震災)した記憶のせいか、医学を学ぶのも楽しかったので、新たな道を歩む決意をしたのです。 そして、「只今」違う生き方をしながらも、ふとしたことから、また「動く植物」が必要なのではないかと思い、過去の自分の夢を思い出すようになりました。 西日本豪雨災害に遭ったからからです。もちろん、根本的には『地球温暖化』が背景にありますが、今回は『豪雨による土砂崩れ』でたくさんの尊い命が失われた背景から、人の手が入らない山、森の木々たちが、自分で動いて、土砂災害を防ぐ働きをしてくれたなら、少しは亡くなる方が減らせたのではないかと思ったのです。 でも、人間が、自然・地球をこうなるまで放置し、対策を練らなかったのもまた事実。 私は有馬温泉の近くに住んでいます。避暑地でもあります。が、最近、自分の部屋にデジタル式の温度計を置くようになり、自分の部屋の温度が、冬と夏で「なぬっ!!!」と思う程、寒暖差があることが判明しました。(昔と明らかに違うと肌でも感じられますが)。 この今年の猛暑、酷暑。北の端の1番涼しいハズの部屋の温度が、35度に到達しているではないですか。この前の冬には、部屋の中なのに氷点下になっていたのにです。 何故、もっともっと『地球温暖化』のことをちゃんと考えてこなかったのかと痛感している毎日です。 お坊さま達も、お寺さんの中で熱中症になっていませんか? 地球温暖化をどう捉えていらっしゃいますか?

有り難し有り難し 28
回答数回答 4

アカウントの『私の煩悩:』の変更

初めてhasunohaを訪れた際、アカウントに『私の煩悩:』を記す欄があったので、何となく、ふと思い付いたことを書きました。 私が書いたのは、『よく「未来は自らの手で切り開くもの!」と言われるが、未来に希望が見出だせないでいる。』というもの。 ただ「解答用紙に、何か書かないと」というような思いだけで書きました。いい加減な書き方をして、すみません。 しかし、訪れて10日ぐらい経った今、「何か違う」「なら書き直そう」と思いました。ある投稿を読んだのがきっかけです。ここからが、私が未熟であるからこそ生まれた煩悩になります。 新しい『私の煩悩:』 (来世なるものを自ら決められるのだとしたら)次は男に生まれてみたい、という煩悩が生まれたこと 変更理由:①私が今、女であるから。②私は男として生きたことがないから。③なってみなきゃ分からないことがあるはずだから。 以上。 しかし、来世に、また人間として生まれてくる可能性も確率も分からぬまま、容易くそんなことを言えた義理じゃありません。もし人間になれたとしても、今の、現世の「女」の記憶が残っているものでしょうか。 以前、私は『プチトマト』というタイトルの質問を致しました。「私の前世はプチトマトだ!」と小2の私が直感的に思ったことを書きました。ですが、残念ながら「プチトマトの記憶」はありません。ただ「ハッ!」と閃いただけだったのでしょう。 今は、煩悩も「心境の変化は日常茶飯事」と同様の仕組みではないかと感じております。 哀しくも、女の私には、男のことは分かりません。それと同じように、男の人も、女のことは分からないのではないでしょうか。 「どちらが有利・不利」など、両者を経験した者にしか分からないことです。つまり、「そんなこと言っても仕方ない」「誰にも分からないのではないか」と思っています。 そんなことに腹を立てているから、「怒という煩悩」が生まれてしまうのではないか、と、只今感じております。 しかし、まず性別が「男と女しかない」と思っていること自体、『無知』であり『偏見』『差別』ではないでしょうか。 この時代に「男になりたい」「女になりたい」というのは、短絡的過ぎるような気がしてなりません。それなのに、私の頭にムダな煩悩が浮かびました。 どんなご意見でもご批判でも、受け止めます。皆様のお心の内をお聞かせ下さい。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

欲を捨てたいのに煩悩を押し付けてくる周り

私は欲をあまり持てません。 ただ勉強する事が好きで精神医学を勉強して楽しむだけで満足できます。 色々な事に対して幸福感を感じることは出来ますが、他人に狭い価値観での独断的な厳しい事を言われた時は凄く動揺してしまいます。 少し前まではかなり気にしてたのですが最近は人生は死ぬまでの自己満です。 死ぬ時に点数をつけられるわけでもありません、生物学的な正解があるわけでもありません(私は生物学をかなり勉強しましたが未だに生物学を知らない人が人の人生を生物学を使って見下す道具にしてる) しかし、この日本社会というのが物凄い儒教国家で右向け右なのでどんなに強がろうとかなり苦しむ事になります。 右向け右の時に私は常に左を向いています。 これまでの生き方に殆どみんなが頭おかしいといってきます。 しかし私は満足しています。 医学から芸術に転向してもそれはそれで私からしたら幸福なわけです。 ですが毎日のように他人からの押し付け、社会制度が私に価値観を矯正するようにシステムとして押し付けてきます。 私はそれがとても苦しい。 欲を捨てても、自己満足しようと努力しても、他人が足を引っ張り 君は幸福ではない!!!それは自己正当化だ!!!!とまでいわれます。 酸っぱいブドウと言われます。 皆んなが皆んなブドウが好きならいいですが 私が悟ったのが早すぎました。私の価値観は数学>>>>欲なのです。 しかし周りの20代前半は、金!女!物!仕事!周りを見下したい!!!俺が凄いんだ!!!俺!!俺様!!SNS!!!どうだ!良い生活だろ!!! なんでお前はしてないんだ!興味無いわけない!頭があかしい!負け組!生物学に負けてる!(生物学的に負けなどない)生きてる意味ないだろ!(人類史において生きてる意味の確定的な物はない)酸っぱいブドウだろ?自分が人として劣ってるのを曝け出してよく恥ずかしくないな。目の前に高級車があったら欲しいだろ?(本気で目の前にあっても欲しくないし、そんな現実ありますか?誰でもハーバード大学に入れるなら入りますよね?でも出来ないから要らないといっている。)女抱きたいだろ!(本気で興味なし) このような価値観を押し付ける相手に対してどのように対処すれば良いのですか? 毎日言われる為に逆に洗脳されてきています。 洗脳される前に確固たる自己満足方法を得たいです。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

滅するべき煩悩とはなんでしょうか

よく回転寿司に行くのでそこで気づいたことを質問です。 煩悩とは何でしょうか。 『煩悩とは苦(ドゥッカ)である』 では終わるので少し掘り下げてみたいのですが、『欲』は生存に必要なものでこれを満たさないと自分の身体の生命維持ができないもの、として『食欲』『睡眠欲』などの根本欲は煩悩ではないと仮定します。 これはブッダも否定しませんでした(否定したら弟子ができる前に死んでた。睡眠不足で目が潰れた弟子もいる)。 次に『渇愛』ですが、これは自身の生命維持には必要でない『性欲』や喜怒哀楽(動物がもっている感情)と慈悲喜捨(善行)などの心(想い)に付随するものだと考えております。 最初は『渇愛』の中に『欲』も入れていたのですが、分けて考えないと生存と平穏はないなと思うようになりました。 では、『煩悩』とは何かというところになってくるのですが、『欲』や『渇愛』に『執着』がくっ付いたものではないかなと思います。 そして煩悩はそれぞれ『貪』『瞋』『痴』に分かれる。 『執着』だけではそれに寄生にする宿主(欲or渇愛)が無ければ『煩悩』にはならない。ただ、執着は一切のものにくっつく可能性があり、一切は煩悩になりえるのではと考えています。 つまり煩悩とはいかに執着を持たないかというところにあるのかなと思うようになりました。 ここで冒頭の回転寿司の話になるのですが、 1.凄くお腹が空いたから食事をしに外に行った。回転寿司を見つけたから入って適度に食べた。 2.すごくお腹が空いたから外に出た。どうしても回転寿司が食べたかったから回転寿司を適度に食べた。 1番は食欲を満たすだけなので煩悩ではなく、2番は食欲に執着がついているので煩悩である。 同じ例えで、 1.ボランティアで被災地に救援物資を送った。 2.ボランティアで被災地に救援物資を送ったが、力足らずだと思って悲しんだ。 どちらも大悲によって行った行為ですが、2番目は足りないという執着が生じているので煩悩である。 出家者は小欲知足と、渇愛のうち動物がもっている感情を滅し、慈悲喜捨に執着が付かないようにし心を乱されることなく過ごし、在家者は欲や渇愛は滅する必要はないが執着が付かないようにする。 ちなみに、十二縁起が全く理解できなかったので、四諦と八正道から経験を踏まえて考えてみました。 アドヴァイスをお願い致します。

有り難し有り難し 53
回答数回答 4