お坊さんは煩悩を持ちますか?
お坊さんは怒ったり、嫉妬したり、だれかを嫌いになったり、ぜんぶめんどくさくなったり、悲しくなったり、頑固になったりするのでしょうか。
私は時々、煩悩まみれの人間であることがいやになります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
はい
お坊さんも人間ですから当然煩悩を持ちます。死ぬまで煩悩まみれです。
でも、煩悩を煩悩と知らずにいたずらに煩い悩むだけでなく、煩悩を煩悩と知ることで煩悩と上手く付き合う道を求めることができます。
「煩悩まみれの人間であることがいやになる」ことも煩悩の所為であるなあと味わいます。
煩悩を私が持たされる不当なものとして排除したくなる気持ちだけでは煩悩に振り回されるだけですが、煩悩こそ私をこの瞬間瞬間に成立せしめる私自身なのだと受け止めると視点は変わります。
そしてその煩悩まみれの私たちをこそ目当てにされたのが仏様ですから何とも有難い事です。
南無阿弥陀仏
ある!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ある!! 困ったものですね、お互いに。。。
しかしながら、大きな氷が溶けた時ほど、水は多いものです。
基本、いつでも煩悩は悪者扱いなわけですが、煩悩こそを仏道を完成させるための材料にしてしまう画期的な仏教もありますので、興味があればいつか学んでみるとよいでしょう。
諦めずに
hasu様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
お坊さんだからと言っても、煩悩が無いわけではありません。
世間的には、お坊さんだからきっと煩悩が少ない、大丈夫なのではないか、と思われるかもしれませんが、全くそんなことはありません・・
悟りへと至るためには、悟りの妨げとなっている煩悩障と所知障というものを断滅しなければなりませんが、まず、煩悩障の断滅のためにも相当な智慧と福徳の二資糧の集積が必要となります。
たかだが、僧侶となるための2、3年の修行ぐらいではとてもとても・・いや、あるいは、10年、20年・・例え50年修行をしたところでも、そう簡単に煩悩障すら少なくすることは難しいものであります・・
しかし、だからと言って諦めてしまえばそれまでとなります。
悟りへと向けて、悟るためのしかるべき因縁(原因と条件)としての二資糧をとにかく少しずつでも積み進めていくことが大切となります。
あまり嫌悪され過ぎず、無理だと諦められずに、一歩でも共に前へと仏道を進めて参りましょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
★吉武文法様★
ありがとうございます。
ありがたいお言葉、読むたびに気づきがあります。
読むたび感動しています。
めんどくさいことばかりだと思っていた世界が一転、
ありがたいことに囲まれた世界に思えます。
私に不安、幸せ、緊張、いろんなことを感じさせてくれるすべてに感謝。
ご回答、本当にありがとうございました。
★転落院様★
ご回答ありがとうございます。
大きな氷が溶けた時ほど、水は多い、勇気のわくお言葉です。
これから私が困難と思うことにであったとき、必ず思い出してふんばります。
仏教、とても興味あります。
ご回答、本当にありがとうございました。
★川口 英俊★
ご回答、ありがとうございます。
自分で自分を裁き、自分をいつも痛めつけているのは自分だと気がつきました。
自分をたたくのはやめて、いまこの瞬間に集中して、
一瞬一瞬を大切に生きていきます。
ご回答、本当にありがとうございました。
お坊さん、みなさん、本当にありがとうございました。